そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

人新世という警鐘に向き合うならば、今更巨大な生産形態を模索するのではなく、環境を考慮する未来に取り組まなければならない

2019-04-15 | 環境保護と循環
ジャレット・ダイヤモンドは2025年に人類の最後がやってくると予言している。2025年といえば残り6年しかないが、多くの予言で正解かそれに近く言い当てていた碩学であるが、行くら何でもちっとも思うがあながちという気もある。
太平洋戦争が終わって人類は一気に多くのものを、とりわけ先進国が文明を享受してきた。地球の歴史は地質の変化から読み解くので、地質年代と呼ばれている。我々はこれまでは現代を新生代の第四期の完新世であると信じていた。ところが、第二次世界大戦後の人類の大きな活動は最早地質年代として捉えなければならないような大変化であると一部の学者が主張し始めた。パウル・クリッツンとユージン・ステルマーであるが、現代を”人新世”「Anthropocene」(アントロポセン)と名付けたのである。
時間の長さで見ると極端に短く、地質年代と呼ぶことへの妥当性は論議の対象となって結論はまだ出てはいない。しかしながら、この発想は思い付きや思想的な背景を疑われていながらも、この大きな変化を地質学的な意味でとらえることへの反論は大きくはならない。
1950年代からの巨大な変化は、Great Acceleration(大加速)と呼ばれ、主に先進国が行ってきたことであるが、CO2排出による地球温暖化を突出して不安がってきた経過がある。大加速の指標は26示されているが、そのうちの4つを上下に添付してみた。
人新世の概念は、単に地質学的な影響や提案に留まることなく、社会的にも大きなインパクトを与えた。先進国の生産活動に主に起因するものではあるが、最も被害を受けているのは途上国である。ツバルのように海面の上昇の影響などにとどまらず、途上国はインフラなど府整備のままで生産活動に規制が加えられる結果になっている。あるいは世代間としても類似の問題が起きている。存分に生産活動ができた世代から、もうすでに活動を制限される若者たちである。
この70年で最も大きな変化を受けたのが、農業である。農民の減少は表にあるように化学肥料の投入によってそれを補ってきた。この間に最も減少した職業は農業でありながら、人口は堅調に増加する現象を支えてきた。それも限界に直面している。
地質学的な呼称の論議はあるとしても、危機に直面していることは疑いない事実である。危機は人類にとっての危機あるいは不適合の環境であっても、地球はこの程度の大変化は何度となく経験している。この人新世の時代は、少子高齢化の日本が選択するべき、もう生産量や経済の発展向上で社会を捉えてはならない時期に至っていると認識するべきである。

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