そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

農協改革は農業切り捨てへの足掛かりになる

2015-02-10 | 農協 食料自給率
今回自民党と全中(全国農業協同組合中央会)がよく解らない妥協をした。全中を法人化し、農協監査を一般計理士でもできるようにするというのであるが、現状が大きく変わるものはないと思われる。
農協は現状を守ったというし、自民党は農協改革を行ったという、よく解らないがよくある玉虫色の決着である。

農業協同組合(JA)の最大の問題は、私たちの地域のように良くも悪くも農家の経済とともにある農協と、既に農業が衰退し農家のほとんどいなくなった農協が同じ制度のもとで運営されていることである。
農協が金融業務で生き延びている指摘は外れていない。都会化された地域の農協は、貯蓄と共済(保険)で息を繋いでいる。そうした地域でも少なくなった農家は営々と生き延びている。農協はこうした地域の農家には欠かすことが出来ない存在である。
しかし、農協がほとんど府県別単位で合併をして巨大化することになり、既に小さな農家は切り捨てられつつある。農協が生き延びていくためには、金融事業に依存するのは、現行制度では当然の結果と言える。効率だけなら金融だけを考えるだけなら大きくするのも当然である。
その指摘が顧客を取り合う側からなら問題であろう。農協改革ではなく、銀行などから市場を拓けと言っていることになる。
農村地域の農協が、肥料や飼料や農機具を高く販売しているという指摘もある。これも一面正しいが、農協が価格を設定すれば、業者は僅かにその下を狙った価格を示してくる。しかも業者は個別販売のことが多く、価格設定も農家ごとでまちまちである。
農協は公的存在であるため、そのようなことが出来るわけもない。競争が起きないという指摘はあるが、農協が価格指標になっている現実もある。競争する側は、農協の存在は都合の良い存在である。

現状でも家族農業あるいは小農は、日本では非効率と名指しされている。昨年は国連は『家族農業年』と世界に運動を促した。家族農業は食料を安定供給させ環境を保護し飢餓をなくし、地域紛争を減らすと訴えていた。アベノミクスに走る日本は、真逆の方向に舵を切っている。
農協改革もその中の流れと見ることが出来る。徒に巨大化し本来の農協のあるべき姿を失くしてきていることこそ問題である。玉虫色とはいえ、今回の改革がさらなる農協の農業離れに拍車をかけることになるなら、食料自給率など全く考えていないことの証になる。
コメント (1)
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