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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

一票の格差はあって当然である

2009-12-28 | 格差社会

何度も何度も都会の人たちが、一票の格差を裁判所に持ち込む。国会議員の持ち票に差があるというのである。意味合い的には解らなくもないが、これは都会の人たちの一方的な理屈にすぎない。人間の数がこの世界を支配しているのではない。

日本の土地のほぼ70%は山林であり人がほとんど住んでいない。都会と称されるところは、僅か5%を占めているに過ぎない。5%のところに日本の75%が住んでいる。彼らが一斉に、人間の数に応じて権利を主張したらこの国は終わってしまう。ましてやそれを民主主義と言うのな55ら、新鮮な空気と酸素を供給し水や食料を供給する、過疎地はたまったものでない。

中選挙区時代、北海道五区は衆議院議員定数が5名であった。五区とは、十勝と釧路と根室と網走支庁(北見地方)である。面積はほぼ関東平野とかわらない。この時の関東平野の定数は解らないが、小選挙区になってこの地方はほぼ3つの選挙区になり、衆議院の議員定数は僅か3名になってしまった。同等の面積の関東平野では現在丁度100名である。環境格差、あるいは地方格差から言うと実に33倍である。

かなり前に、札幌の創成川だと思うが柳の木の伐採反対運動があった。反対の署名は極めて短期間に数万人集まったと聞く。同じ時期に、知床の自然木の伐採反対運動があったが、とてもじゃないが署名人数があつまらない。田舎では10名取るのも大変なのである。

300年を経たナラの大木に体を縛り付け抵抗したパフォーマンスは、大きく報道された。知床の木は誰かが訴えなければ知ることのない自然木である。方や札幌の木は植栽された柳で、多くの人たちが毎日見つめている木である。伐採の反対者の数は歴然と異なる。植栽された柳の木を残したい人の方が多くなるのは当然である。人知れず存在する知床のナラの木は誰も知ることがなく、人の評価が極めて薄い。人の数による格差、これが民主主義であるはずがない。

人間の数に応じて権利の大小、過多、濃淡を設定するのは人間の驕りである。一票の格差があって当然である。この世は人が住んでいるだけではないからである。

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安泰老人と不安に生きる次世代

2009-03-27 | 格差社会

団塊の世代以前の人たちの多くは、年金暮らしである。確かに馬車馬のように、エコノミックアニマルと揶揄され、懸命に働いた世代でもある。彼らの年金は、概ね250~350万円ほどである。

国民の預貯金額は1300兆円程度と言われている。その75%以上は年金生活者と言われている。年金生活者は、仕事もすることなく悠々自適の方が多いが、住宅や家電製品や車などの家庭インフラは、ほとんど整っている。扶養家族もいないことが多い。

その一方で、恒常的に解雇に怯える非正規雇用者で、年収が200万に満たない若者の世代がこの国にいる。労働者の20%にもなると言われている。彼らは、住宅は勿論のこと家電製品なども、ほとんど持ち合わせていないことも少なくない。扶養家族を抱えていることも、少なからずある。

若い頃「近頃の若い者は」とよく言われた。自分は長じても絶対のこのフレーズは用いないつも りでいたが、いつしか口にするようになった。エジプトのピラミッドの落書きにも「近頃の若い者は」という、落書きが見つかっているそうである。3000年前も今も、若者を年長者は憂れいているのである。

しかし、新自由主義者たちが市場原理こそ不変の真理、市場経済が国家再建の命題と「改革」こそ必要と、登場してからこの国は本当におかしくなってしまった。上手く立ち回ったものが、格段に収入が多くなる仕組みである。体を動かす実体経済を担う人たちより、金を抱える連中の方が収入が多くなる社会になってしまった。

もう自分のことだけやっていればいい世代が、これからの社会を担う世代よりも、収入が多いような現実が現れた。「父さん母さんご苦労さんでした。これからは私たちが面倒をみますからSippoゆっくりしてください」と、かつては親たちを労わったものである。現代は、親孝行どころではない。更には、年金の存続や環境悪化などの、将来不安の方が先立ってしまう。

市場原理主義が生んだ格差社会は、職業間格差や地域間格差に加えて、世代間格差まで生んでしまったのである。ここにきて「近頃の若い者ときたら」と言えなくなってしまい、同情するようにもなった。活力を失った次世代が、社会を担うことができるのだろうか。この国の未来はどのような姿になるのであろうか。

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格差社会を検討する

2008-12-09 | 格差社会

一昨日の沢田研二には、多数のコメントが寄せられた。是非コメントを開いて読んでください。9条に対する認識が深いことを感じました。コメントの中で、格差社会であっても良いとする意見がありました。格差社会とは、能力の高い人がたくさんの収入がって当然と、の意向がここにあるように思えます。

競争社会も容認されるべきだとは思いますが、その場合にあっても条件が同じでなければ成立しない論理でしょう。それでも社会的に欠かすことのできないものは評価されるべきである。

ところがこれらのことは、個人レベルの格差社会の容認でしかない。深刻な格差は、地域間で生じています。農村と都会は、あまりにも大きな格差を強いられています。その理由も不合理なものでしかないように思われます。

農村(僻地と田舎と同義語である)は、都会に人にとって欠かすことのできない新鮮な空気や水を提供しています。食料も提供しています。それらの評価が競争社会では、極端に低く抑えられています。

経済成長は金額評価です。一般商品は技術開発や経費を上乗せしてでも、順調に成長を遂げることが可能です。農業生産はそのようなわけにはいきません。単位当たりの生産量(面積や頭数)は、それほど伸びないからです。穀物など長年にわたる窒素肥料重視の生産は、地力の限界で生産が落ちるか、環境問題を引き起こす結果になっています。

農家は、労働当たりの面積や頭数を増やすことで、収入を上げてきました。それは、農業生産が上がったのではなく、地球規模でみると生産量の限界を知るだけの結果になっているといえます。

オーストラリアなどへ、大量の車などを売り込むことで貿易収支がアンバランスになり、小麦や牛肉を引き換えに輸入するように交渉されます。日本の農産物がおとりになっているのです。

格差社会は個人レベルの格差ではなく、地域間の格差や産業間の格差の方が大きく深刻なのです。本来なら、失業した臨時職員等は田舎に来ればいいのです。仕事はたんまりあります。農業の現状をみると、明らかに成長産業でもあります。そうした動きがないのは、農村の賃金、農民の所得が抑えられているからです。

市場経済優先の競争社会は、過疎地域に何の恵みももたらしません。農村は不要な存在であり、経済効率からは外された存在なのです。もうひとつ、経済活動をしない老人やハンディキャップの人たちも厄介者なのです。経済効率優先の競争社会と福祉社会は対極にあるといえる。

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そりゃ当然だろ

2008-01-02 | 格差社会

政府・自民党は、地方法人事業税2.6兆円を「地方法人特別税」に改め、人口や面積に応じて地方に再配分する案を示した。

要するに、税収の多い自治体から困窮する地方に回すというものである。東京、大阪、横浜、名古屋などの大都市圏の知事がこぞって反対した。東京都55 の場合、3000億円を供出すると当初石原知事は反対姿勢を示したが、羽田周辺の開発などの代替えを獲得して黙ってしまった。

しかし、税収の中身を見ると当然のことでもある。ほとんどの大会社は、本社を東京に構えている。北海道も同じである。田舎をこせこせ回っている中規模以上の会社は、本社を札幌か東京に構えている。

この税制は構図として、地方の収益を都会で支払っていることになる。しかしながら、人の経済活動から外れたものを評価することのない姿勢は、そろそろ見直さなければならない。

地方は食料を生産するばかりでなく、水の供給や空気の浄化も行っている。これは全く評価されていない。唯一評価の対象になっていた、食料生産すらおぼつかない現状にある。それらのすべては、人が生きてゆくためには必ず必要とされるものである。

政府には、放置すると利潤を求めて暴走する経済行為を規制する義務がある。新自由主義とは、こうした行為を「規制」と称して、放任することの方が美徳とすることである。

小泉・竹中路線は、規制緩和がまるであらゆることを解決するかの錯覚をおこさせ、市場が問題を解決するとする訴えている。格差発生の原因がここにある。

今回の税金の地方移譲が、先の選挙で地方で大敗したことの修復であり、次回への選挙対策である限り、一時的なものでしかない。横暴な資本主義経済ではなく、利潤だけで社会を評価するのではなく、人のとって何が必要なのかを評価する思想が必要なのである。

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家畜にもいたわりを

2007-10-13 | 格差社会

「家畜福祉」をご存知であろうか?家畜を、畜産物を生産する機械ではなく、「生命を持った動物」として扱うべきだと言う考え方である。ヨーロッパを中心に、家畜に苦痛を与えない自由に生活できるようにすべきと、家畜福祉の概念が提唱されているのである。

最もわかりやすい例が、採卵鶏である。トリインフルエンザなどで騒がれている採卵鶏である、が彼女たちは、狭いケージの中で一生を終える。何段に組まれたケージには水と餌しか与えられず、羽根を伸ばすことも砂浴びすることも、歩くことさえできない状態である。

彼女たちは、効率良く卵を産むために改良された品種である。飢餓中枢も押えられ、ひたすら卵を産むのである。ケージそのものも、閉塞した無機質な空間である。成鶏になるまで、10回以上のワクチンPhotoを接種される。

彼女たちに、砂遊びをできる空間と水遊びできる設備を与えるように、EUの家畜福祉の基準は規定している。間もなく、ヨーロッパでは、ケージでの養鶏が禁止されることになる。

こうした考え方は、畜産以外の農業分野では「有機農業」と言われている。清算す土地に化学肥料や農薬を多量に投与することなく、生産性は落ちても本来の形で生産するとする考え方である。

当然その結果として、卵の価格に反映されることになる。つまり、家畜を単なる生産する機械と扱うことで、安価な卵を市場に出し続け、「物価の優等生」ともてはやされたのである。

豚も牛にも同じことが言えるようになる。乳牛で、大きな利潤をあげているのがフリーストールと言われる、閉塞されて空間で輸入穀物を大量に与えて、大量の牛乳を生産している農家である。経済効率最優先の結果である。個体管理がおろそかになるし、獣医師が忙しいばかりである。

こうした効率性優先の農業、畜産は不健康な生産物を市場に出すことになる。消費者の方々は、こうした生産過程の気を配ることなく、価格最優先で商品を購入する。

消費者は、非生産効率と思われる飼養方法に関心があるだろうが、現実にはそれ以上に価格を重視する。今一度家畜の扱われ方に関心を持っていただきたいものである。家畜福祉の考え方は、OIE(世界獣疫事務局)が統一した考え方を提案することになり、鶏はほぼ完了し乳牛についてもほどなく提案されることになる。

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そりゃ格差が広がるさ

2007-09-29 | 格差社会

国税庁が昨年度の年収の動向を発表した。年収200万円以下の人たちが1000万にを超え、1023万人になった。昨年より42万人も増えた。平均年収は、23万円減で9年連続減少している。

。確実に格差が増大している。300万円以下に人たちが増加し、38.8%(前年34.4%)になっている一方、300~1000万円の層が減少して56.3%(前年57.6%)になっている。年収が1000万円を超える人たちが9.5万人増えて、224万人になっている。http://www.j-tgs.com/value/salary/01.html

農林漁業者の収入は相変わらず低い。不動産所得は8年連続で上昇している。統計的に見ても、格差は確実に広がってい55 る。マクロ的には、景気が回復し、かつてない好景気であると発表されている。低賃金層の増大がこの国の景気を支えてることがより鮮明になったと言える。

僅か10年前には、世界で最も賃金の高い国であったが、現在は18位である。したかぶりの無責任な経済学者たちは、バブルの反動や尻拭いであるとか、市場原理の当然の結果であると論じている。

格差社会は、流行語ではなく給与の面でも、地方の面でも、職種でも確実に広がっている。景気が良くなればなるほど格差は広がるのであるが、経済成長すれば格差は無くなるとまじめな顔して選挙カーの上で、悲壮な声をあげていた安倍ボンは世間知らずなだけである。

この社会は、サッチャー、レーガン体制の市場最優先主義の世界的経済再編の動きに、感動して遅れてものまねした小泉純一郎の遺産である。今度のヘラヘラおじさんはこれを解決することができるのだろうか。

地方はいまだに、正体不明の公共事業の導入に躍起になっている。一律に削られた地方交付税の回復に躍起である。

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こりゃ報道差別だろ

2007-09-07 | 格差社会

台風9号が、首都圏を襲うとのことでニュース番組は大騒ぎだ。NHKなどは、時間枠を拡大してまで台風情報を延々と同じことを繰り返し放送している。この台風が大きいからかもしれないが、我々北海道の根室地方に住むものにかほとんど関係ないことである。何はともあれ首都圏が直撃されると、より多くの人に係るからに他ならない。それだけ、影響力が大きいから仕方ないかもしrないが、これは明らかな報道差別である。今の言葉で言うと「報道格差」である。

Photo_160 北海道の根室地方のような田舎に、大型台風や低気圧が来ても大した報道はされることがない。昨年同じ時期に、低気圧で多くの漁村が被害を被ったが、微細な報道しかされていない。野鳥の宝庫、春国岱が壊滅的打撃を受けても、人様に関係ないからだ。

通常のときでも、キャスターたちは「今日はいい天気で」とか「久しぶりのの雨で」とか、勝手なことを言っている。全国放送であるにも拘らず、首都圏の天候で日本中を語るべきではない。

50年近く前のことである。伊勢湾台風だっただろうと思うが、中部地方に5千人余の死者と多大の被害を与えて、この台風は日本海に抜けて、北海道へ向かった。そこで、某全国紙は一面トップに「台風××号北海道へ去る」と、大きな見出しを付けた。全国紙のトップにである。

これは明らかな偏重報道である。北海道は、今から大型台風が来るのである。これを機に、地方を意識した報道をするようになたものの、相変わらず中央の奢り感はあちこちに散見される。多くが、無意識であることがより一層深刻である。

地方との格差を盛んに最近言われるが、一般人でも同じような感覚でいるのが現実である。田舎を「イナカモン」とと時代遅れはほぼ同義語である。都会、とりわけ首都圏の連中が、ほとんど無意識に優越感を持って地方を見下している限り、地方格差はなくなるはずがない。

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こりゃもっとひどくなるさ

2007-08-27 | 格差社会

内閣改造が行われた。自民党内の経験者を拾いまくった感がする。自民党3役と大臣に,谷垣派を除いてであるが派閥の領袖を並べている。新鮮味のない再任者を主要ポストにお招きした内閣となった。

Abeasonikaiisihara そんな中で、民間から登用された大田弘子経済財政大臣が、今回の選挙の敗北を顧みない、全く矛盾する就任の意見 を平然と、述べていた。経済成長が最大の眼目であり、6月の骨太(何が骨太か知らないが、他の意見を聞かないという意味のようである)の経済政策を踏襲するとのことである。

地方が疲弊することと、都会も含めた格差が生じる原因が同一であることを全く理解していない。経済成長をすれば、それらが解決すると本気で思っているようである。これだけ”好景気”でありながら、なぜ格差が起きているのか、なぜワーキングプアーが大量に生産されるのか、なぜ地方が疲弊しているのか選挙の結果を理解していない。

もっとも、選挙結果の分析を安倍ボンがやったわけではなく、敗北の原因を説明したわけでもない。反省することを、反省しているとも思えない。選挙結果を真摯に受け止めているわけでもない。だから、このような発言が出るのも当然のことではある。

経済成長を重視するためには、国民の賃金を安くすることが必要であり、経済成長や経済効率の劣る農業など厄介者なのである。当然の結果として、賃金の格差や地域の格差が生じるのである。市場経済は、強者の論理である。弱者は、敗北者なのである。

勝者になって強者になればいいと、市場経済優先学者は主張する。あたかも、強者と弱者が同量存在するような言い草であるが、実際には強者あるいは勝者はほんの一握りしか存在しないのである。経済成長すればするほど、ワーキングプアーが出て地方が疲弊するのである。

小沢一郎に近い人間を複数登用していることも気になるところである。今度の内閣はどれほど持つのだろうか? 

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FTAとは何か

2007-01-15 | 格差社会

オーストラリアとのFTA(自由貿易協定)で日本の農業がいろいろと取りざたされている。たしかに、自由化されたり関税の大幅な引き下げが生じると国内の農業は相当な痛手をこうむることになる。とりわけ、畜産が盛んな北海道は1兆数千億円の被害になると、関係機関は試算している。そうなると、北海道農業に限らず地域としての存続も危ぶまれるような状況になる。

それでは、日本農業がコストダウンをして、海外と競合できるようになれば良い。消費者にそのほうが利益を還元できると、経済学者や財界から指摘を受ける。FTA交渉を単なる、経済交渉の一部分と捕らえるなら、そうした指摘も正しいと思われる。

現にこうした意見を取り込んで、政府は「認定農家」として政策の対象とのなる農家と、そPhoto_67れ以外の農家に分別するようになった。認定農家になるかは、規模で判断されることになる。政府の言い分は、わが国の零細農家も、コストダウンをして海外との競争力を身につけるようになっていますということらしい。

しかし、これでは農業の本質から逸脱した、効率優先の企業的な農業ばかりになってしまう。ここで言われる効率とは、労働効率であり経済効率である。ここでは、農業の本質である土地の生産効率ではないばかりか、農産物の質は問われることがない。たくさんの面積を少数の人で管理生産すれば、労働効率は上がる。施設や機械などの生産手段を大きくして一度のたくさんのものに対応できるようになれば経済効率は上がる。

ところが、畜産を例にとると、より多くの牛を一度に少数の人が管理すると、牛に大きな負担がかかる。異常を見つけるのが遅いし、投資した資金の回収に躍起になってしまうため、牛はぼろぼろである。治療をするよりも、廃棄したほうが有利なのである。大規模の畜産農家の発病寸前の哀れな家畜から、健康食品が毎日のように市場に搬出される。

内閣府の調査によると、わが国の国民の八割は食料の自給率の低下に不安を抱いている。FTA交渉は、今の日本の農業がオーストラリアなどと同等になるように仕向けているようである。FTA交渉の本質は、農業の経済効率よくするのではなく、日本の食料自給率の向上であると思うのであるが、残念ながら現実はそのように動いてはいない。政府のうたい文句とは裏腹に、わが国の食料自給率は低下の一途をたどることになる。

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日本の畜産はどうなるの?

2007-01-07 | 格差社会

日本経済は、いざなみ景気を追い越した状況にあるそうである。特定の大企業が好景気Photo_62 であるようだが、人件費には見返りがなく、一般庶民まで回ってきていない。

それに、地方は破綻する自治体がでるほどの状況になっている。地方の経済を主に支える一次産業の林業、漁業、農業が疲弊している。景気がいいのは特定の地域でしかない。

ところで、日本の畜産は今後かなり厳しい局面が予測される。最大の問題は、畜産の大型化を支えてきた、安価な穀物(主にトウモロコシ)の価格が上昇することである。長期的には、人口増加と食糧問題であるが、短期的には農地の減少とエタノール生産による、畜産部門への圧迫がある。

大型化した畜産の環境問題が深刻化することと、大型化による家畜への動物としての扱いが問われることになるだろう(家畜福祉)。この双方を克服するためるには、大型化を見直すしかない。人間が目の行き届く範囲で、家畜を飼養するべきであり、糞尿を農地に還元できる範囲の頭数に制限するべきであろう。

こうした飼養形態は市場経済に馴染まないが、本来の畜産のあり方に戻るともいえるのである。生産効率のみの追求は、畜産価格を抑えて消費者に貢献していると、実情を知らない経済学者は胸を張るが、価格だけが経済なら経済学は無用のものである。

消費者は、価格を機軸に商品を選択するが、食料に限ってはそのようなことがってはならない。家畜の健康、飼料生産の環境問題、畜舎環境周辺の環境汚染などを考慮してこそ、真の畜産製品を生産するといえるのでないか。

昨年度、北海道の酪農家の収支はここ数年になく悪化の状況にある。

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そりゃホンマじゃないだろ

2006-12-19 | 格差社会

本間正明税制調査委員会会長が、こともあろうか官舎に女を囲っていることが問題になHonma っている。公務員でもない単に首相の諮問機関の人物が官舎に住むことも問題であろうし、が女を囲っていることも羨ましいことでもあるが、そんなことよりこの男の論調が許せない。

安部晋三お坊ちゃまの諮問機関の「税制調査会」の会長に、この男をやらせているのは、それなりの理由があってのことである。彼は、古典的な市場経済優先論者である。市場が活性化すれば、あらゆる問題が解決するとしている。この会長Photo_57 職に関連して言えば、企業を減税すれば企業が儲かり、国の税収が増えるし、職員の給与は上がるというのである。

簡単に言えば、企業を優遇する税体系が国を潤すと言うのである。企業を減税して、一般個人を増税せよと言うのである。収入の増えた企業も個人も市場原理に沿ったものであるから、優遇すると言うのである。

これは極めて古典的な市場原理主義である。営利を求める企業がなにをするのかを考慮していない。強いものが勝てば良い、市場が求めるものが正しく、弱者は市場から追われたものだというのである。

この男は、農業を経済の側面しか捉えることがない。農業が食料を生産することなど露ほど思ってはいない。農地の企業への開放や、輸入関税の取り払うや、競争市場を優先させることを主張している。

この男に食料の重要さもわかっていなければ、地方の抱える問題や価値を理解することはない。ましてや食料の自給率について考えることなど全くないのである。

本間氏を会長に収めたとことに、安部首相の思惑を見て取れるものがある。女を囲ったぐらいで外せない理由があるからである。

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こりゃ田舎はかなわんわ

2006-12-13 | 格差社会

実際にあった話である。この地方のある農協が古くなった庁舎を建て替えることになった。入札案内を建設会社に通知した。10社ほどが入札参加することになった。

Photo_53農協の理事会では、概ね3億円辺りを予想していたが、競争入札することで2億円台の後半になるのではないかと踏んでいた。大きさや設備など見ても順当なところである。

この当たりの僻地は、公共事業の減少で地域の建設業者は青息吐息である。入札の結果は、地域の業者は何所も概ね理事会が読んだ通り、2億6千万前後程度であった。

ここに一業者この当たりの大都会の釧路の業者が加わっていた。地方の、大手と言われる建設業者である。バブル時にはこんなことはなかった。この業者が、1億9千万円を提示した。地域の業者は勿論、農協を含む関係者は一様に驚いた。

当然釧路の大手業者が落札することになった。釧路はここから100キロも離れている。建設手順などを不安視する向きもなくはなかったが、そこは大手だからと、農協はこの業者に建設を依頼することになった。

問題はその先である。いざ、建設が始まると資材を運んだり、建設を直接手がける職人や労働者たちの多くは、落札できなかった地域の建設業者やその関係者たちばかりだったのである。

早い話が、大手が落札をして地方の中小業者に、「孫受け」「ひ孫受け」更にその下請けを落としてゆくのである。

競争入札で、田舎が疲弊していく構造がここにある。強ければ、存分に力を発揮して、弱いものはそのお零れをいただくしかないのである。談合をやりたい、やらなければ潰される原点もここにある。

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こりゃおっかない

2006-11-08 | 格差社会

Photo_45 オホーツク沿岸の佐呂間町で竜巻があった。、報道を見ていると怖ろしい限りである。瞬間的に局地に起きる自然現象は今後とも予測するのは難しいものと思われる。佐呂間は友人が、長年町長をしているところで、何度も訪れて周知のところである。

若狭地区は、周囲が山に囲まれた縦長の小さな集落である。ここを横切る国道で、数年前に事故があった。国道に突如として山が崩れ落ちて、確か2名ほどが生き埋めになった。雨も降らない通常の天候で、山が崩れ落ちてきた。山道をうねうね曲がる道路に無理があったのだとかで、今回はその辺りをトンネルにする工事関係者のプレハブがやられたのである。

恒久的な基礎工事などせず構造的にも弱い、プレハブは上に持ち上げられてドスンと落とされたようである。死亡者の全員が2階で会議をしていた幹部職員だそうである。9名の死亡者の中に、地元佐呂間出身は1名だけである。

この工事は、JVと呼ばれるそれぞれの企業の持合からなっているが、早い話が下請け孫受けの寄り合いである。その中にも、僅かに隣の北見の企業に地元の運送会社があるだけである。地方の寒村に起きた悲しい事故であるが、地元はあまり関係ない事故でもある。

大きな事業はほとんど都会の企業が持ってゆく。実力がないから仕方のないところではあるが、せめて下請けや孫受けくらいになると全部地元に任せていただきたいとは思う。結局は、何かあると尻拭いは地元がやることになるからである。今回も、佐呂間町対策本部を立ち上げ職員を派遣し、友人もさぞかし多忙であると思われる。

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そりゃ入試対策だろ

2006-11-06 | 格差社会

母校の獣医学科で、臨時講師をしばらくの間やっていた。全員が獣医師の卵である。彼らに、入試科目に生物を選択したかと尋ねたところ、ほとんどの年、概ね30%ほどが選択しPhoto_44 てはいなかった。理科は、物理、化学、生物、地学の4科目あるが、獣医学科を受験するのに、生物を選択しなくても、点数さえ良ければ入学できるのである。妙な話である。

大学入試問題の質と、受験した専門とを関連させていないからである。受験生は、好きな科目や点を取り易い科目を選ぶのは当然である。

今、問題になっている多くは世界史であるが、世界史は受験生には不利な学科である。幅が広くて、集中的な勉強がしにくいために、理科系の人なら選択はしないだろう。明らかに日本史のほうが、点を取り易いからである。

今回問題になっている多くの高校は、予備校や受験のための塾がない、地方に多いのは気になるところである。高校が、受験対策のために生徒に便利を図ったのであろうことが、推察される。ここにも、問題がある。

獣医学科を例にとるなら、全く動物に触れたことがない受験生でも、受験成績さえよければ入学できる。女性が悪いというわけではないが、何所の獣医学科も女性学生が半数を超えている。我々の診療所に実習に来る女子大生を見ていると、マニュキュアをしたり家畜に触ることもできないような学生がいる。

女性を差別するわけではないが、男性にはまづもってそのような学生はいない。今回の、必須漏れ事件は、専門の特性を考慮した、入学審査を問いかけているように思える。

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そりゃ地域振興にはならんだろ

2006-10-07 | 格差社会

630億円もの負債を抱え、夕張市が財政再建団体となった。地方自治体が債権団体に06070101 なるのは、九州の赤池町も同様に炭鉱の町であった。赤池町の赤字が32億円だったことを聞くと声も出ない。花の山夕張岳に登る身にとっては心痛い話である。

夕張市の財政破綻の基本的な理由は、炭鉱で栄えた街が国のエネルギー転換で、人口11万の町が瞬く間に10分の1ほどになったことである。最大24もあった炭鉱も今は1つもない。勿論夕張市の会計処理に不正を行ったことも、観光事業に多大の投資をしたりした、冗漫な運営も大きな理由である。町は寂れて、シャッター街どころではない。郊外に行くと、かつての町に廃屋とズリ山ばかりが目立つ。

北海道が近代化の波の洗礼を受けたのが150年ほど前である。先住民族のアイヌを「旧土人」と称して、北海道を和人が開いた大きな理由は豊富な資源にあった。

その後の北海道を支えたのは全て一次産業であるといっても構わなかった。石炭、金、銀、硫黄などが豊富だった鉱業、無尽蔵と思える漁業資源を持つ北洋を控えた漁業、広大な森林を抱えた林業、開拓農民を戦後まで送り続けた農業が北海道を支えた。

鉱業は資源の枯渇と方針転換、漁業は200海里問題に北方領土問題など、林業は外材に押され、今又農業は海外に食料を委ねる政策に虫の息である。北海道は日本の近代化の礎を築いたが、その力となった三井三菱などのコンツェルンや大企業は撤退して今は影も形もない。

江戸時代、上杉鷹山や山田芳谷が地域に根ざした産業に腐心したり、財政の健全化に手を抜かなかったことを思うと、ひと時大企業が栄華をもたらしても、地域産業として根付かない。地方の繁栄は自らが築く以外にないのである。

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羅臼港

春誓い羅臼港