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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

原発の避けて通れない使用済み核燃料処理

2012-04-23 | 原発と再生可能エネルギー

この表は、北海道新聞の先日の記事である。放射性廃棄物・Photo使用済み核燃料の、日本全体で保存されている量である。

日本全体では、僅か残り30%というのが現状である。使用済み核燃料は、原発が必ず生み出すものである。とりわけ、プルトニュウムは発がん性においても、半減期の長さにおいても、極めて危険な廃棄物である。

六ヶ所村の処理場が作られてはいるが、この施設も過去に何度も事故を起こしている。この唯一の処理施設も、この表の作成された昨年9月ですでに95%になっている。

3月末の時点で、97.3%にもなっている。使用済み核燃料はいく当てもなく、各発電所の施設が抱えることになっている。

福島の事故が起きて、関係者は処理施設を作らないまま、原発を稼働したことの問題を指摘している。いまさらと思われるが、ともあれ使用済み核燃料は、極めて深刻な現状にであることが判る。

原発の大きな事故はほとんどが人的なものである。チェルノブイリもスリーマイル島も福島も、人的な事故である。

原発推進派の人たちは、何とか上手くやれば、事故は起こさなくて済むと思っているに違いない。信じられないような、津波対策の堤を作っているのを見るとわかる。

それでも、危険な使用済み核燃料は発生する。フィンランドで、10万年の処理施設を作っている。人類が存在するかもわからないスケールの時間である。

日本の原発は、政治主導で作られた。アメリカのアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」に踊らされて、アメリカの施設をそのまま導入し、現在に至る。導入が決まっていたために、原爆マグロで日本中が汚染されても、金で蓋をした経過は今でもあまり知られていない。

放射性廃棄物・使用済み核燃料の処理を考えてこなかった「トイレなき高級マンション」は、直ちに原発を止めても、未解決な深刻な問題はそのままである。

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津波と原発を読む

2012-03-26 | 原発と再生可能エネルギー

佐野眞一著、講談社刊の「津波と原発」を読んだ。佐野の手慣れた文書と、豊富な人脈と洞察力が生かされた本であった。
津波の現場に病み上がりの佐野は、行かざるを得Photo_3ないと行政の指導を振り切って入った。彼を動かしたのは、石原慎太郎と東京都知事の「天罰」発言である。阪神淡路などの震災地を見た目で確かめる必要があったとしている。

過去の知り合いを捜し、彼らから生の声を聴いている。彼らからの人脈から、手を広げ被害の様子などを聞き出している。そうしたこともこの本を語るに良いものである。

なんと言っても、後半の「原発街道を往く」の原発がなぜ福島に来たかや、原発前夜は佐野の豊富な資料と経験が、厚みを増している。

津波を扱った前半に比べて、後半は原発の本質を佐野は洗い出している。正力に翻弄された、核の平和利用である。東海村の竣工に、天皇まで駆り出されていたことは知らなかった。

原発推進するためには、ありとあらゆることをやっていた。従業員の不祥事まで、報道規制をしていた東電と警察。不安がる知事を懐柔し、原発へを動かす政治の力。住民の思想調査までやっていた東電。

堤康次郎は、3万で購入した土地を3億円で販売していた。山と海に挟まれた、浜通りは産業もなく貧困の地帯であった。原発に働く人たちが、貧困の僻地に1万5千人もいて、彼らが地域を支えている。何も言えない構図がここにある。

仮に今回の事故が起きていなくても、原発はいずれは何らかの生き詰まりが生じていたであろう。

今日(26日)の報道では、2号機の水はわずか60センチしかなかったとのことである。3メートルは予測していたようであるが、毎日8.8トンも注水していてこの状況である。メルトダウンは、想定以上に深刻であるかもしれない。野田の終了宣言は茶番でしかない。

本書による、原発建設前の経過を知ると、いま起きていることは当然のことと思えてならない。これからもっと深刻なことが起きるかもしれない。

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雨水が集める放射能

2012-01-15 | 原発と再生可能エネルギー

今日(15日)のNHKスペシャル「知られざる放射能汚染」120115_2は、やはりと思いながらも、衝撃の実態を教えてくれた。

内容は、陸とは異なる海洋汚染の調査の結果である。当然のように、福島原発周辺の海底の汚染が深刻であった。海洋投棄された放射能は、10京ベクレルとされているが、洗浄や地下水からの汚染などは含まれていない。

海洋投棄に当たっては、「海洋に廃棄しても拡散される。生物が取り込むには更に時間がかかる」と、不倫で更迭された原子力委員会の方が発表していた。何も知らない枝野官房長官も、同じことを言わされていた。根拠は何もない。120115_3

しかし、現実には海底の汚染は陸上以上に深刻で、更には食物連鎖も起 きていた。ゴカイを食べるナメタケガレイは3倍の濃度になっていた。周辺の魚からは、暫定基準値をほとんど超える値が、検出されている。

120115_4もっと深刻な問題は、東京湾とそこに注がれる河川の汚染実態である。河口付近では、福島原発の海底と遜色のない、872ベクレルが検出されていた。河口から8キロ上流は、海水で固定され沈殿されるため、1623ベクレルにもなっている。

これらは、雨水が運んできたものと推定される。特に東京はほとんどが、アスファルトかコンクリートに覆われ、流出速度も早い。

これは、計測された時点だけの実態である。同じことが、東北から関東にかけてあらゆる河川で起きているはずである。そのことは、内陸の湖沼で確認されている。

群馬県の湖では、暫定基準を超える魚の汚染が確認されている。日本の7割は山林である。山の湖はこうしたところから集まってきた水の溜まり場である。陸封された魚の汚染は消えるこ120115_5とがない。セシュウムの半減期の30年を経ても、半分にしかならないと、チェルノブイリで淡水魚の汚染実態を調査を続けている研究員が嘆いていた。封鎖された湖沼では増えることはあっても、時間しか減少する手段がない。

海洋汚染は、河川からの汚染によることも、茨城や福島それに千葉で確認されている。今盛んに除染という、水洗い作業が続けられているが、結果的には海洋に垂れ流すだけであるといえる。

陸とは異なる海洋汚染は深刻になる。東京湾では、2年3ヶ月先に最も高くなると、推測されている。

放射能汚染を感情的に捕らえるべきではなく、純粋に物理学的見地から取り組むべきである。情緒的あるいは主観的望みに重点を置いた対策は、将来に禍根を残すばかりである。

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どうする海の放射能汚染

2011-11-30 | 原発と再生可能エネルギー

海の放射能汚染はどのようになっているのだろう。放射能を足で追い続けている、NHKのETVであるが「海のホットスポットを追う」を見て、愕然とした。

東京電力は、3月末から低レベルの汚染水を海洋に流すと、周辺関係機関にに通告した。了解を得たのではなく、流すとした通告である。

これを了解したのは、原子力安全保安院である。保安院の発表は「海に流すと、放射能は薄まる。魚介類が取り込むには相当の時間がかかり、更に薄まる」と発表し、東京電力の海洋投棄を容認したのである。

海洋投棄に直ちに、ロシアと韓国が異議を唱えた。周辺国家に何の了解もない、海洋投棄は誰の目にも異常なことである。

低レベルと言われても、量が多ければ何の意味もない。3月末から4月いっぱい投棄された放射能は推定で、セシュウム137で3.6ペタベクレル、ヨウ素131では11ペタベクレル、合計で15ペタベクレルである。よく分からないが、1京5千兆ベクレルだそうである。

原子力保安院が容認した大量の放射能は、彼らの言うように薄まったImg_2468のであろうか? 番組は魚介類の放射能を調査している。

海水濃度は薄まっているかもしれないが、アラメで海水の10倍、更にウニで5倍になっている。実に50倍の生体汚染が生きているのである。保安院の推測に基づく、非科学的な願望は見事に否定された。

東電と原子力安全保安院とは、こうしたもたれ合いの関係でこれまで成り立ってきたのである。東電はないをやっても、『科学的』に裏づけしてもらうことで、何でもやり放題であったのである。

更に、直接の海洋投棄以上に深刻なのが、川からの汚染である。山林は除染などされていない。川水は、更に水洗いなどで”除染”された水も、海に流し込むことで、海底堆積などの汚染が広がっているようなのである。

陸に比べて分かりづらい構図にはなるが、海の汚染も相当深刻である。漁業関係者は、数十年にわたって創業ができない可能性もある。

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環境省へのコメントを提出しました(全文)

2011-10-25 | 原発と再生可能エネルギー

放射性物質汚染対策処理特措法に基づく基本方針骨子案へのパブリックコメント

私たちの住む別海町は、北海道の最も東にある平坦な台地で、酪農業と水産漁業を主体にする、人口密度の極めて低い一次産業の街です。

別海町と、同町に施設を持つ4町(羅臼、標津、中標津、別海)出資による根室北部廃棄物処理広域連合(以下広域連合)に対し、4月に東日本北海道大震災の災害廃棄物処理の協力打診がありました。国難といわれる事態に協力するのは当然のことと、一般がれきとの認識のもとに、災害廃棄物処理の受け入れを別海町は埋却に、広域連合は焼却に容認の返答をいたしています。

 この時点では、環境庁は搬入依頼については「災害廃棄物」としか表現していません。さらに、放射性廃棄物の基準と処理については、科学的にかつ具体的に今後定めるとしていました。

 しかし8月になると、がれき特措法が可決されました。同法52条では、全国に自治体への処理の協力依頼が明記され、21条と22条で放射性物質は外すとしています。

またガイドラインで、放射性セシュウム濃度8000ベクレル/kg以下は、放射性汚染から外ししています。結局、汚染のガイドラインは根拠も示されることなく、8000ベクレルとされました。

私たちは、従前の100ベクレルであっても不安を抱いています。8000ベクレルは十分放射性汚染物質の範囲と認識しています。国は今後さらに増えるであろう放射性汚染廃棄物を、処理にために基準を上げたと理解しています。

 こうした国の基準見直しを受け、私たちは町に対して、放射性がれきの受け入れについて、町への質問と合わせる形で持ち込まれないようにと申し入書を提出いたしました。町や広域連合は災害に係る一般廃棄物とだけ認識しかなく、放射性廃棄物への認識はほとんどありませんでした。

 本骨子案は、一般国民の復興支援という美名のもとに協力を呼び掛けていますが、放射能汚という特質からすれば、何よりも封じ込めることが先決と考えています。被災地に対して、行政あるいは政治家の方々は表明し難いことは十分理解しているつもりです。

今回の行政等への協力依頼は、むしろ拡散を推進する形になると思われます。その方便として、8000ベクレルと言う数字を出されたのだと思われますが、放射能についての安全基準は存在しないのが現実です。

 放射性汚染物質は、汚染地域での除染やいずれ取り組むことになる原子炉の廃炉にかかわって、膨大な量になることも予測されます。

 例え8000ベクレル以下であっても、私たちの町に大量に搬入されることがないかと、大変不安に思っています。一次産業を基盤とするこの町は、風評被害はもちろんのこと、冷涼な湿原地帯の当地は浄化能力も低く、きわめて深刻な実被害を受けることも予測されます。

 放射性汚染物質の処理は移動を制限し、非居住区を設けるなどの現実的な対応が求められる、科学的対応だと思います。

                                            別海町放射性汚染がれきを拒否する会  

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除染が出来ない場合は出来ないと判断を

2011-10-12 | 原発と再生可能エネルギー

今、懸命に福島県内では放射能の除染に必死である。政府は1ミリシーベル以上を、除染すると発言している。

Photo 政治家は、有権者に良い顔をしなければならない。多少の無理でも、通さなければ投票してくれない。そのため、故郷に戻りたいと願う人たちの感情に従ってしまう。そのことは解らなくもないが、放射能については純然たる科学的な判断を優先するべきである。

洗浄したり表面を削ることで多少で、政府の基準値を下回ったと喜ぶ気持ちは解らないではない。しかし、放射能に許容値などないことを思い起こすべきである。基準値とは、どうすれば、あるいはどの数字を出せば最小限の生活が出来るかという、いわば政治的な数字でしかない。

第一除染しても放射能はなくならない。それらを置いておく場所、保管するところが必要になる。その場所をどのようにするかも、検討されずに除染物質はたまる一方である。

見ることも感じることもできず、しかもその影響についても相応の時間経過が必要である。個体差も年齢差も品種間差もかなりある。放射能の怖さを判断する基準そのものが、単純ではない。

放射能の本質を理解した上での、政府の除染奨励であろうか。それよりも居住不能地域を特定することの方が、次への対策が可能になる現実的な対策にもなる。

福島原発の恩恵をたっぷり受けた、双葉や浪江地域とその周辺は、早々に居住不可能と判断されるべきではないか。そして相当の地域も同様に居住不能地域として、決定するべきである。

こうした無人地域を作ることで、のど元過ぎるとすぐに忘れてしまう国民に警告し、原発再稼働を目論む連中に休むことない圧力をかけ続けるべきである。

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脱原発2題、デモとシンポジュウム

2011-09-19 | 原発と再生可能エネルギー

北九州市で原子力学会が開かれた。福島原発事故から初めての、学会である。色んな意味で注目された。

学会では、反省意見が相次いだ。「原子力学会は事故と向き合い、解決に向けて最大の努力をしなければならない」や「原発神話を作り上げることに手を貸してこなかったか」とか「本格的な原子力安全の取り組みを避けてきた」などと、これまでには考えられなかったような発言が相次い だ。

日本の原発は、正力松太郎が学者たちを、金で封じ込めて政治主導で推002進してきた。学者や研究者たちは、原発推進派から、無視されて、海外技術を丸のみする形で建設されてきた。

今回のシンポジュウムで出された多くの意見は、研究者たちの健全な意見であったと評価していいだろう。

又、19日には大江健三郎たちが呼びかけた、東京都内での反原発デモは、3万人近く集まった。大成功と言えるであろう。マスコミの報003道の扱いは低いが、組織されずにこれだけの人たちが、真剣に原発を考えるようになったのである。

視点は多少異なる人たちの集まりかもしれないが、思い思いの反原発を訴えていた。

今日の二つの出来事を見ていると、もう再度原発へとはこの国は走ることはないだろう。少なくともそう思いたいものである。

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こりゃ東電の嫌味だよね

2011-09-18 | 原発と再生可能エネルギー

東電が損害賠償手続き書類を、仮払金支払者に12日に一斉に配布した。請求様式が60ページ、説明書類は160ページにもなる。かけるものなら書いてみろ、読める者なら読んでみろ、といった感じである。

110322  れでなくても、かなりの問題がある。実被害の算定に重点が置かれていて、放射能汚染によって使用できなくなった、施設や不動産などについての評価ない。中間指針で出されていた内容であるが、住宅などで戻れない人たちのための配慮がないのである。

損害算定の中に、地震と津波の損害を外して計算することになっているが、分離できないことの方が却って多いくらいである。その判断基準は何処にあるのか解らない。

提出した書類の写しが残らないばかりか、極めて重要な個人情報も提出することが義務付けられている。これも東電の嫌味のようなものである。Photo

それより、日本弁護士連合会が作成した簡便な申立書を、原子力損害賠償紛争解決センターに申し込むだけでも、賠償はされるとのことである。

日ごろ書類慣れしていない一般人はもちろんのこと、高齢者には極めて煩雑な書類を書かせようとすること自体が、賠償額を極力抑えようとする意図が感じられる。

東電作成の書類通りに書き込んでしまうと、不満や後日判明するような被害や、追加補償を見直すことが出来なくなるのではないだろうか。

農業者にとっては、放射能被害は単年度の生産に限ることがないばかりか、世代を超えた生産体系に大きく関係してくる。次世代を担う人たちが去って行くことの被害算定などは、相当困難であろうが、現実には極めて大きな問題なのである。

風評被害と言うのがあるなら、担い手被害あるいは後継者の精神的被害も、農業では大きいものがある。

放射能汚染は、一次産業に偏在的に起きる。この膨大な書類を作成したことを見ると、東電はこの辺りまでの補償など考えているとは思えない。

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特攻基地の跡に建てられた福島原発

2011-09-13 | 原発と再生可能エネルギー

福島原発は、元特攻の飛行場跡地だった。福島原発のあるところには、昭和15年に水がなく条件が悪く散在していた農家を追い出し、建設された磐城特攻隊基地であった。

Photo鹿児島の知覧より一年前に建設されたことになる。特攻基地に建設されたことは、その後の原発行政を見ると象徴的なことと言える。

反原発の研究者である京大の小出助教は、反原発の転換点になったのは、安全な原発を何故仙台に建設せずに、遠い辺ぴな女川に作るのだという、住民の素朴な疑問であったと述べている。

国家の思惑を従順に受け入れる田舎は、こうした国民に不都合な施設を建設するのにはまたとないところである。

原発は、もうすっかり少なくなった“村”が受け入れるケースが多い。更には、建設過程で補助金などが多く支払われるシステムになっている。そのため、一基造れば後は同じという感覚もあって、必ず数基建設されることになる。

その後の原発運営も、戦前の軍隊と同じである。不都合なことは知らせず、都合の良いところだけを周知させる。不都合なデーターは隠し、都合良いデータで粉飾する。大本営発表である。

起きてしまった事件や事故は、可能な限り小さな扱いにする。最も危険に曝される一般人には、最後に知らせる。

国家の繁栄のために必要だと説明することも、反対すると非国民扱いにするとことも、組織のトップはいつの間にか責任もとらず逃げしまうことまで、そっくりである。

福島原発の土地の下には、国家総動員の軍事思想が眠っているのかもしれない。

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震災が新たな転換になるか

2011-08-21 | 原発と再生可能エネルギー

今回の震災は日本にとって。非常に不幸な出来事であるが、ひょっとするとこれが日本の大きな転換点になり、後世の高い評価を受けるかもしれない。良い方向へと転換するまたとないチャンスであり、その兆しは幾つかの分野で確かにある。

先ず、脱原発である。これだけの被害を被ることによって、世論が確実001に動いた。今や反原発はどの世論調査でも70%を切ることがない。

再生エネルギーへ大きくシフトすれば、それだけでも大きな成果があったと言えるであろう。

こうしたことと併せて、三陸海岸の漁港の防災都市への新たな取り組が、画期的な町を建設する可能性がある。やたらに巨大な、防潮堤を建設するだけでは、十分な対策にならなかったことも解った。

壊滅した町を作り直すには、こうした長期的な視点が生かされることになれば、震災の教訓といえるであろう。市街地の高台への移転や、スマートシティーとしての取り組みが、政府のレベルで推進されれば、全く新たな町が建設される可能性がある。

宮城県知事の発言であるが、漁業の大型化では、雇用の創出や環境への十分な配慮ができるとは思えない。知事は商業資本の導入や、漁業の大型化効率化を打ち出しているが、すでに地域からの反発も起きい。

地域での、エネルギー生産と産業への取り組みがなされることで、地域が活性化するであろう。町作りの周辺産業が、技術的にも評価されることで、海外への売り込みへの、モデルにもなるであろう。

国内でも、他府県や原発を抱える地域の、再生や街づくりのモデルにもなるであろう。

ただ徒に「がんばろう」だけでは、未来は開けない。

先端技術は大いに刺激を受けている。今回の震災は、日本のあらゆる分野にとって刺激になり大きな転換になり、現場では大きな可能性が開かれ、少しづつであるが技術的にも逞しく育っている。

ここで除外されるのは、相変わらず三文芝居を続ける政治の世界である。

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40年前に危険を指摘されていた福島原発

2011-08-15 | 原発と再生可能エネルギー

 昨日NHKでEテレ(教育テレビ)で放送された「アメリカから見た福島原発事故」は、アメリカの設計技術者に取材した、驚くべき内容のものでPhoto あった。

 福島原発1~3号基は、GE(ジェネラエレクトリック社)が製作した、マークⅠと呼ばれる型式のものである。この原子炉は、写真で見ると下の方にドーナツ状になっている、格納容器が極端に小さく、事故に絶えない構造であると指摘されていたのである。

 しかも、それは1971年のことである。アメリカでは80年代になって検討されて、ベント(圧力を抜く装置)の設置をするようにして、使用していたのである。

 東電がベントを取り付けたのが、2001年のことである。しかも、放射能汚染されたものを外に出すのに、汚染フィルターも付けずにいた。しかも、これに係わる訓練は全くやっていなかった。今回の事故では、このベントは殆ど機能しなかった。職員が訓練されず、良く解らなかったのである。

 以下はこのマークⅠを設計した技術者の言葉である。

○報道の内容ですでにメルトダウンが起きていると、事故当初に判断していた。

○1980年代にマークⅠは廃炉にすべきだった。

○マークⅠは建てなおす以外に対策はなかった。

○マークⅠは炉心溶融を促す構造であった。

○設計以外のことがいくら起きても、東電は費用を支払ってくれた。

○マークⅠは事故後の給水には耐えられる構造にはなっていない。

○水素爆発は想定通りに起き、炉心溶融も想定どおりであった。

○非常用電源の設置は多様にすべきであった。福島は数も少なく、ほぼ同様の場所に設置されて、信じられない設計ミスであった。

○日本には申し訳ないと思っている。

 これらは、設計に係わった技術者たちの発言の一部である。マークⅠはアメリカには、地震の全くない東海岸にしかない。そのため、80年代の検討も、うやむやにされた経過がある。

 地震大国の日本は十分に検討されるべきだったのである。アメリカからの提案も、検討内容も日本に入っていたが「日本では起きえないこと」と技術大国を自認し、無視し続けてきたのである。

 今回の事故については、十分対応する時間も資料もあったはずであるが、原子力村のもたれ合い構造がそれら、全てかき消してしまった。

 日本の多くの公的な事業は、これとあまり変わるものではない。もたれ合いと、責任の所在を拡散するシステムになっているのである。

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コーテツという”やらせ”人事

2011-08-13 | 原発と再生可能エネルギー

 今月2日に海江田経済産業大臣が、原発事故に関して3人のトップを交代させると発表した。記者の質問に、私の権限でやるのですと、語気を強めて反論した。

 ところがこの3人は、報道されている「更迭」とは全く異なる、官僚仲間に良いようにコントロールされている、海江田大臣の姿が浮き彫りになった。

 この3人は、更迭ではなく“定年前早期退職”の勧告に従って、退職することが解った。この場合彼らには、何の非を認めさせるものでもなく、逆に1000万円を上乗せして退職金が支払われる。

 3人は6千万~8千万円を受け取ることになる。通常の夏の人事異動と何ら変わらない。

 この3人とは、経済産業省の松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘資源エネルギー庁長官(58)である。

 この3人は退職を勧奨されて、“早期”に退職することになっただけである。年齢を書いたのは、僅か1~2年早いだけで1000万円も多く貰えるのである。これらはすべて税金である。泥棒に追い銭である。

 松永と寺坂は8月12付け、細野は9月1日付けで退職する。海江田は、官僚のマリオネットでしかない。

 この3人は、メルトダウンが起きていたのを隠していたり、地震で停電していたのに津波でやられたと言いくるめたり、水素爆発を渋々認めたり、直ちに影響のない放射能がばら撒かれたり、停電を予測していなかったことや、停電の対策も、炉心の過熱の対策もなく、自衛隊のヘリコプターで水を撒く失態を演じたり、装甲車で水を撒いたり、拡散していた放射能を3カ月遅れで発表したり、ホットスポットがあちこちにあるのを隠ぺいしたり・・・・・(書ききれない)・・ことを認めて責任を取らされたのではない。

 単なる早期退職で、1000万円も上澄みしてもらって、3年ほどするとPhotoどこかの関連団体に、天下りするであろう”とてもご立派な“官僚なのである。

 これで日本の行政が良くなるわけがない。こいつらに責任を取らせてこそ、新たな原発行政が始まる。

 もうすでに松永の後任には安達健佑という、新たな官僚が通常の人事異動の範囲で就任し、減原発といったものの原発行政は間違っていなかったと明言している。

 再度明言するが、これでは原発事故が検証されることなく、何かが良くなることもない。これは原発に限ることでない、日本の姿なのである。

左のフォトアルバムに<晩夏を彩る赤い花>をアップしました。

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輸入肉の方が安全?

2011-07-23 | 原発と再生可能エネルギー

 今回の福島原発事故で、これまで築き上げてきた日本の食糧の安全が、根底から崩れてしまった感がある。BSE(狂牛病)以降、日本の農業、中でも畜産は、懸命に安全で生産者が見えるようにと、必要な経費と時間それに法律まで作って、築き上げてきた。

 日本の牛の耳には10ケタの番号の装着が義務付けられて、誰でも簡単に生産履歴を見ることが出来るようになった。このトレイサビリティーと言われるシステムは、一夜にして作られたものではない。

 農家やそれに関係する多くの人たちの努力と、経費によってつくられてのである。日本の牛の全てに、10ケタの番号が装着するのは容易なことではない。世界に類例のないシステムである。生産経歴の解らない輸入牛肉との、差別化を図る手段となり消費者の信頼を得るものとなった。

 ところが、農家のこうした努力を根底から突き崩す事態が起きた。原発事故である。今や日本中に広がった、放射能汚染稲ワラのおかげで、国産牛肉を積極的に買う人がいなくなった。

 輸入牛肉の方が安全ということになったのである。東電の犯した罪は大きい。一夜にして国産より、輸入牛肉の方が安全ということになったのである。

 世界で10億人が飢餓に喘いでいる中でも、日本に平然と家畜用に無関税で輸入される穀物が、2000万トンある。安価な穀物によって支えられる、歪な日本など先進国の畜産事情である。

 福島原発事故は、こうした歪な畜産事情を助長する結果になてしまった。国産の飼料を食べる牛肉より、輸入穀物を食べる鶏肉や豚肉の方が安全になってしまったのである。

 また酪農でも、牧草地で自由に草を食べる放牧の方が、危険であることになってしまった。牧草地が汚染されているというのである。本来の飼養管理より、歪な管理の方が安全になってしまった。

 前回当ブログで書いたが、これは稲ワラや牧草だけに限られて、汚染しているのではない。他の作物はどうなっているのか、詳細な汚染実態が不明のまま、農家はコメなどを作付している。

 牛肉に始まった、農産物の放射能汚染はその他の農産物に影響がないわけがない。詳細で確度・信頼度の高い汚染実態が明らかにされなければ、この解決はない。放射能被害は、風評以上にい広がる可能性を持っている。

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「内部被ばくした肉牛」と表現しないメディア

2011-07-19 | 原発と再生可能エネルギー

 放射能汚染された稲ワラを食べた肉牛の牛肉から、セシュウムが検001出された。稲ワラを外に置いていたが、それが汚染されたのであるが、その認識がなく、畜産農家が牛に食べさせたのである。

 これには、畜産に係わるものとして、様々な問題が食の側(消費者)から一方的に述べられる不満と矛盾を、肌身に感じている。即ち、

①事故当時はまだ多くの作物が、収穫どころか作付前であった。前年に収穫されたおコメの後処分は、農閑期に行うのが常である。稲ワラを畜産農家に売るための作業は、3月11日以降にでも行われている。現場を知らなかった行政の、周知不徹底で怠慢である。

②外に置いていたので放射能汚染されたのは、稲ワラだけかという問題がある。他の作物も、稲ワラと同様に“外部被ばく”放射能汚染を受けてはいないだろうか? 人はこれを取り込んではいないだろうか? こうした疑問に答えるような、データーを持っていながら、政府は公表しなかった。3カ月経ってから、民間の調査が出るようになってから、徐々にデーターを出してきてきている。

③その結果、放射能汚染された稲ワラは幅広く流通してしまった。が、そうした商品が他にもないだろうか?政府が、『コンラン』が起きないようにと、汚染データーを公表しなかったための被害拡大である。それを風評被害を恐れたと口を拭うのは、行政の怠慢である。牛肉の汚染が解ってからの調査では、風評被害といえない実態が起きてしまっている。

④これから収穫される食物はどうなるのか? 稲ワラが特定されて汚染されたのではない。これから作付されて収穫される野菜やコメや果物は安全なのだろうか? 今年に限った問題ではない。これから先数十年にわたって、収穫される農産物の内部被ばくはどうなるのか、予測がつかない。このことを怖ろしくて誰も口にしない。

⑤放射能汚染された飼料を食べた肉牛は、内部被ばくを起こしている。すなわち、牛の方がもっと直接的な被害者である。確かに公表された数値は、牛肉も稲ワラもそれほど高くはない。しかし、牛の中では一体何が起きているのかを、まず調べることが重要ではいないか。あるいはその追跡調査、観察は人にとっても重要なことである。

⑥肉牛の価格が暴落している。口蹄疫やBSEのように特定された範囲がつかめていない。その結果消費者は、”ヨクワカラン”けどとりあえず牛肉は食べないことにしようということになる。乳牛の最初の分娩001_2には、小さな和牛を付けるとが多い。そのF1の値段が、この数日で半値以下に下がった。酪農家は多大な損失である。その損害は誰が見てくれるのであろう。

 畜産農家は、放射能汚染の実態が解らない以上、二の矢が継げない。いくら頑張れと言っても、消費者に買い控えされるような商品は生産・販売できないからである。これでも原発を推進する人たちは、現場をよく見るべきである。

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スポンサーに従う民法

2011-07-18 | 原発と再生可能エネルギー

 テレビのアナログ放送がなくなる。へき地は大変である。ちょっとしたことPhotoで受信できないところが数多くある。

  ところで、一月ほど前から左下に「あと何日」の数字が表示される。これは見難いけれど、仕方ないかもしれない。視聴者への警告である。

 ところが、コマーシャルになるとこれが消えてしまう。見る人は、コマーシャルを見る気で、チャンネルを合してはいない。番組を見たいのである。その番組を邪魔するように大きな警告である。

 コマーシャルになると、音が大きくなるなどは以前から指摘されていた。民法のコマーシャルに対するスタンスをここに見ることができる。

 結局民法はスポンサーに食べさせてもらっているから、こうした配慮になってしまうのである。当然のことではあるが、民法の意思は制限された報道になる。

 今回の福島原発事故でそれはあからさまに出た。放送局は、東電にお金で頬っぺたを叩かれているのである。こうした体制の中、彼らが反原発の人を放送局に呼べないのは当然である。

 電力会社は、民法を思いのまま扱ってきた。膨大なコマーシャル料をチャラにはできない。こうした体制に迎合した、草野仁や幸田真音や弘兼憲史や星野仙一たちは何の反省もしていない。

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羅臼港

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