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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

企業のためにプラスチック汚染すら放置する安倍晋三

2018-06-14 | 環境保護と循環

上の写真は、アホウドリのヒナのお腹の中である。食事経験が浅く成長期で食欲の旺盛なヒナが、見えるものや浮遊するもの次々と食べたことが伺える。アホウドリは人類が住む陸地から遠く離れた大洋の中にいる鳥である。プラスチックの海洋汚染が深刻で広範囲及んでいることが推測される。
5ミリ以下のものを一般的にマイクロプラスチックと呼ぶ。私たち人類が利便性の元に、主に石油から大量に生産したものである。紫外線に分解され難く潰瘍に放出される量は、800万トンと推定されている。特にマイクロプラスチックは海洋に浮遊し、生態系に深刻な影響を与えている。とりわけ資源を海に求める海洋国日本は、世界に先駆けて取り組まなければならない、極めて大きな問題である。

ところが、カナダで開催されたG7で、日本とアメリカが海のプラスチックごみを減らすための数値目標を盛り込んだ文書に署名しなかった。世界の環境団体から、「恥ずべき行為」と厳しい非難が、日本とアメリカに浴びせられている。海洋ごみ問題に取り組む環境団体JEAN代表理事は「海から恩恵を享受している日本は、プラスチックごみ問題に率先して対応する必要がある。長年政府と連携して削減に取り組んできた立場として理解できない」と不満を示している。グリーンピースからも「日米が署名しなかったのは恥ずべきこと。必要なのは業界の自主規制ではなく、使い捨てプラスチックの禁止」との声明を公表した。
アメリカと北朝鮮を巡る動きばかりが騒ぎ立てられているが、世界共通の深刻なマイクロプラスチックの問題は、すでに取り組みには遅すぎる感すらある問題である。他の環境問題と異るのは、現状のプラスチック対策は極めて時間と費用が膨大に明かるが、効果は極めて疑問があることである。
根本対策はグリンピースの言うように、使い捨てプラスチックの禁止も検討しなければならないのかもしれない。
それにしても、安倍晋三の署名しなかった理由が、「企業の理解が得られないから」とは、政治主導を放棄する政治家にあるまじき発言である。
そりゃ、今までは企業のためなら何でもやるというのが、安倍晋三・自民党の立場ではあったろうが、環境問題まで顔色を窺おうというのであろうか。それとも、トランプとは一体であるとでもいうか。
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まだ51%の可能性が残されている

2018-03-24 | 環境保護と循環
世界的ベストセラー『銃・病原菌・鉄』で知られる、進化生物学者ジャレド・ダイアモンド博士がアメリカ・ロサンゼルスで、若者向けに行った特別授業が12回放送された。今回は”ヒトの秘密”と題されていたが、例によって人類学から文明論まで幅広い範囲に及ぶ、ダイヤモンド氏独特の分析は、頭の柔らかい若者たちにとって理解し易かったように見える。
この授業は、進化論から発して格差社会の矛盾を説き、温暖化などの地球環境の悪化を訴えるものである。11回目の博士の言葉が印象的であった。博士は2050年に人類の文明は崩壊すると予測している。
そして今、<人類崩壊に突き進む馬><環境対策に前向きな馬>の2頭の馬がいるというのである。我々にはまだ、51%の可能性があると、若者たちを激励している。。
チンパンジーなどは、食べ物がなくなるとお互いに分け合って食べるというのがいる。人類は進化などしていない。博士は基本的には生物学者であるが、進化論、人類学や文明論、歴史学や社会学にも長けてそれらを併せて評価を与える。最終回は、格差についての講演であった。格差を国家間や地域間それに文明による格差や資源による格差を総合的に評価を与えるのである。冗長で散漫にならないのが、博士の長年に渡り足で稼いだ経験が裏にある。
人類の将来には51%の希望がある。これをトランプに聞かせたい。理解できないだろうが。トランプは人類崩壊に突き進む馬の騎手である。
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石牟礼道子氏の死を悼む

2018-02-11 | 環境保護と循環

水俣病を最底辺から見つめ告発し続けた、石牟礼道子さんが亡くなられた。晩年はパーキンソン病を患いながらも、筆を休めることはなかった。90歳になられていた聞いた。心悼む訃報である。
彼女は歌人であったことと女性であったことが筆力を高め、患者の怒りの深さや不条理の深刻さと慟哭が、多くの人の共感を得た。女性としての言葉と歌人としての和風な表現は、深い水俣の患者たちの存在をこの世に問い続けていた。その代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛され、第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、彼女は受賞を辞退している。
この国は何時の時代も、不条理や組織的犯罪行為は告発されるまで、知らぬ存ぜぬを貫き権力に助けを求める。告発者を社会悪の存在と追い込もうとするのである。安倍晋三が昭惠夫人と表裏一体だった、森友夫婦を悪の権化のように切り捨てるのも同じ現代の構図である。
水俣病はまさしくそうした事件である。石牟礼氏の筆力はそれに見事にこうしたのである。壮絶な闘争の現場でも彼女の告発は、チッソの不条理を突い続けた。日本近代化のモルモット、捨て石に置かれた患者たちの側から彼女は逃れることもなかった。
石牟礼氏は1968年「水俣病対策市民会議」の結成に参加し、69年の水俣病第一次提訴以降患者らによる原因企業チッソとの自主交渉にも加わった。70年代前半の初期闘争では、患者への支援活動にも深く関わっている。
そして、いまだにチッソによる水銀中毒とは言わずに、単に”水俣病”と言う不可思議さは残されたままである。現に通俗に沿って私も水俣病という言葉を使っている。水俣病という病気などではないのである。発病から告発までの長さを、水俣病といい続けることが物語っている。
6年前に亡くなられた医師の原田正純とともに、石牟礼さんの訃報は、水俣病が新たに自らで歩きださなければならない時代に入ったと言える。2年ほど前の、ETV特集での石牟礼道子氏の変わらぬ姿勢と言葉を見て、彼女の衰えることのない人柄を見た気がする。対比して、水俣病は克服されたと言ってはばからない、低俗で無知な安倍晋三が哀れみえてならない。
石牟礼道子さんの死を悼みご冥福を祈りたい。
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シマフクロウの給餌問題を考える

2016-03-10 | 環境保護と循環
環境省北海道地方環境事務所は昨日(9日)、シマフクロウへの給餌について、環境省の認める保護増殖事業以外は「安易な餌づけ」だとし、やめるよう指導する方針を明らかにした。このことは釧路市で開かれた「シマフクロウ保護増殖検討会」で提示された。
保護増殖事業における給餌の基本的な考え方として「必要最小限の期間及び量に限って行う」とし、これ以外の給餌は「餌づけ」だとして区別されることになった。
具体的には、養老牛温泉の二軒のホテルで(一見は昨年廃業)、宿泊者が見ることができるように小さないけすを掘って、夜間にシマフクロウが来るのをガラス窓越しに見ることができるようにしていることを指しているとも思われる。
国の特別天然記念物で絶滅危惧種のシマフクロウを、客寄せパンダにつかいことへの懸念と警鐘である。
地域おこしには役立っていると思われるが、野生動物の給餌はその種の保護のために行われるのが本来である。野生動物が人へ依存することは本来の姿ではない。ましていや、商業目的ならなおさらである。
このホテルでシマフクロウを観察していた宿泊客からは、「今度はヒグマを見たい」という声が聞かれた。環境に興味の薄い不特定多数の人が、簡単に抱く感情であろうかと思われる。際限なく欲望や要求は広がることになる。
新潟県の泉田知事が、佐渡でトキが自然界に放たれたが一部がなじむことができなかったが、環境庁は給餌して乗り越えることがなかったことについて強く非難した。ペットや家畜ではなく自然界で生き続けてもらいたければ、給餌など保護をすべきでなかった判断は許される。
もう一つの給餌場所が羅臼の民宿であるが、町の教育委員会と連携して子供たちに開放している。一見もっともらしくはないが、カメラマンなどを大量に受け入れる客寄せであることには変わりない。ここは、人との境もなくほとんどペットか家畜のように客に見せている。
一般の人たちがシマフクロウに接するいい機会には違いはないが、基本的には商業主義によるものである以上、こうした給餌行為は禁止されて然るべきであろう。
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サリドマイド禍が日本を救う

2015-12-29 | 環境保護と循環
私がブログを始めて来年で10年になる。自書の紹介のため始めたものであるが、次第に書く場所を変えながらも、世の中とりわけ政治的な不条理に多く割いてきた。あまり自分の文章を、見返ることなく書き続けてきた。最近になりスマホを変えたが、そこにブログ内ランキングという項目があるのを知って、何が多く読まれているのかを知ることになる。そこで驚いたのが、いつまでも高位にあるのが、「50才を超えた超えたサリドマイド児から学ぶ」今年3月5日にアップしたものである。これには少々驚いた。多くの人々の中にサリドマイド児が忘れられずに残っているのである。わずか300人ほどの被害者であるが、この国が抱える諸問題を内包した象徴的な事件といえる。

日本という官僚国家は根底に『無謬性』というものを抱いている。問題なくことが進んでいるときには順調であるが、現実にはそんな事業も機能もなく、何処かに必ず破たんの芽を持っているものである。官僚たちはその問題の原因が自らの地位や名誉を傷つけることがない場所を探し出し、時にはねつ造までしてその場所に因果関係を擦り付けて、自らは存在し続けるのである。
その最も象徴的な出来事が、サリドマイド禍である。そして水俣の水銀公害でありカネミ油症事件であり無数の薬害事件である。そして数多くの環境破壊事業や補助事業や各種の指導事業である。受益者といわれる事業対象者の自主性など微塵もなく、国民は官僚の指導下に置かれ従うことだけを強制される。
それでいながらも、事業に問題が生じれば指導者はいつも正しいのであるから、受益者=国民は事業の損失を被ることになるのである。この構図は、長年農村に住んで直接従順な農民の言葉を聞いているので、極めえよくわかる。農民は基本的には、”お上”に盾突くことがないのである。農民の作付放棄と高齢化が進行するばかりである。
サリドマイド事件のように、問題が許容範囲を超えるとき初めて国民は気が付く。それでも為政者たちは責任を認めない、転嫁する、金で黙らせようとする。サリドマイド児のように50年を超えて異常姿勢などによる障害が噴出しても、解決済みと拒否をする。慰安婦問題のように。
彼らには自浄能力はないが、もしあればサリドマイド禍がこの国を救うことになる。
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辺野古埋め立て承認取り消しは当然である

2015-10-13 | 環境保護と循環
沖縄の翁長雄志知事は13日、前県政が出した名護市辺野古の埋め立て承認を取り消した。翁長知事は「今後も辺野古に新基地は造らせないという公約実現に向け、全力で取り組む」と述べた。
前件せいで認めた承認に瑕疵があると判断した。基地の必要性と自然保護の観点から取り消すと述べた。また知事は、前知事が辺野古基地の県外移設を公約して当選したにもかかわらず、辺野古に新基地を作ること容認したことが認め難かったと述べている。
9月6日に「辺野古・大浦湾の自然保護を」と題して、日本自然保護協会が長年取り組んできた実績と調査を基にした反論を書いた。日本自然保護協会から官舎のメールもいただいたが、ジュゴンばかりが目立つが残された自然は極めて貴重なものばかりの所である。
協会の指摘は以下6項目を挙げている。
『「サンゴ礁の生態系が永久に失われる」「絶滅危惧種への配慮が不足している」「埋め立て土砂採取地でも環境破壊が起きている」「土砂とともに外来種を移入・拡散させる」「科学性や民主性が尊重されていない」「沿岸集落の伝統・文化の消失がする」などである。』
大浦湾を知るものとして、多岐にわたる現実的な指摘を行っている。国からの回答は無い。現在行われているボーリン調査についても、全く無神経に暴力的に行われている。そもそも、国には環境への配慮など微塵もないことが判る。
中国の危機のために必要性を説く人もいるが、基地建設でそれがなくなるとは到底思えない。抑止力という名の軍事増強は相手国も同じことをするだけである。相手国を刺激する新基地建設は、危険性を高める軍事的意味を持つだけである。
先月一月間県と政府との話し合いがもたれたが、政府側は硬直した辺野古移転論を繰り返すばかりである。0.6%の土地に74%の基地が必要であるということの説明はなかったと、元自民党員で日米安保条約の必要性を認める翁長知事の質問には無回答であった。平行線ではなく、菅官房長官は県民の声を聴く気すらないことが判っただけである。
県民の声ははっきりしている。前知事がお金を貰うために埋め立て容認したが、その後のあらゆる選挙で自民党支持者は落選している。民主主義の原点でもある。平気で憲法を踏みにじる安倍晋三にそんなこと言っても通用しないが、あらゆる手段を用いて、辺野古新基地建設を辞めさせるべきなのである。
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辺野古・大浦湾の環境保全を

2015-09-06 | 環境保護と循環
日本自然保護協会(NACS-J)の会員になって、かれこれ30年ほど経つであろうか。この会は早くから日本の環境悪化と多様な生物の保全などを、地道な作業として取り組んで多くの地域で成果を上げている。
その中の一つが、辺野古沖である。辺野古とは日本がアメリカに作ってやる新たな巨大基地の岬の名称である。その先の、大浦湾を協会や学者たちが長年調査している。大浦湾は沖縄で最も開発の遅れた所である。急に深くなる環境のため、開発が遅れたところである。
大浦湾は世界の生物多様性のホットスポットの一つとされ、極めて生物の多様性の高いところである。この海域からは、262種の絶滅危惧種を含む、5334種もの生物が記録されているところである。
この生物の多様性を生み出してるのは、豊かな珊瑚礁があるだけではなく、マングローブや干潟、浅瀬の海草藻(うむくさも)場、砂泥質の海底など、多様な環境が隣り合っている存在しているからである。辺野古沖の大浦湾は開発で失われた沖縄の海を今に教えてくれる、極めて貴重な自然環境と言える。
今でも新種のスナギンチャクが発見されたりもしている。
ジュゴンの貴重なえさ場である大浦湾は、沖縄で最大の海草藻場であり命のゆりかごと言える場所である。協会はこれまで政府や県に、大浦湾の保全を訴えてきた
大浦湾には、外洋に面した場所から湾の奥までや様な環境があり、環境ごとにハマサンゴ類、コモサンゴ類、キクメイシ類、ミドリイシ類、アザミサンゴなどが良好な状態で残されている。協会では大浦湾の埋め立て事業に次の警鐘を鳴らしている。
「サンゴ礁の生態系が永久に失われる」「絶滅危惧種への配慮が不足している」「埋め立て土砂採取地でも環境破壊が起きている」「土砂とともに外来種を移入・拡散させる」「科学性や民主性が尊重されていない」「沿岸集落の伝統・文化の消失がする」などである。
協会では東京で、シンポジュウム「辺野古の海の生物多様性を伝えるシンポジウム」を9月13日に開催する。
政府は沖縄県民の極めて強い反対にあって、辺野古埋め立てを一月中止して話し合いう振りを見せている。国会で戦争法案を抱えているため、ちょっと時間を稼いだのであろう。無造作な埋め立て作業は止めることはない。、
人類は環境破壊を繰り返す、愚かな生き物である。極めて無頓着に私利私欲や経済性や今回のように軍事性あるいは国益などの理由で、数多くの環境を破壊してきた。もうそれらを見直す時期に来ている。ウルトラ右翼の安倍晋三軍事政権には、環境保護や生物の多様性など理解する能力もないだろう。
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資源の枯渇にたいしては慎むべきなのである

2015-09-03 | 環境保護と循環
札幌市で開かれていた、太平洋クロマグロの資源管理に関する中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)北小委員会の会合は今日(3日)、クロマグロの資源枯渇を防ぐための「緊急ルール」を2016年までに策定することで実質合意し、閉幕した。これは、12月にインドネシアで開催される本会議に向けた、主に日米間の事務的地ならしであると言える。
昨日北海道知事は、根室・釧路市長と周辺の漁業協同組合長20名を連れて、農水省に陳情に行っている。流し刺し網漁禁止対策に対する支援要請である。
これはロシアが6月26日に、自国の排他的経済水域(EEZ)内で日本漁船などが実施しているサケ・マスの流し網漁を来年1月から全面的に禁止する法案を可決したからである。生態系の破壊を禁止を理由にあげているが、これまで際限なく密漁のカニを日本に売りつけてきた国の発言とは信じがたいが、筋論ではある。ウクライナ情勢が背景にあると思われるし、科学的根拠も薄い。資源の減少や、魚体が小さくなっていることが現実に起きている。
ウナギやクジラも同じことが言えるが、資源が減少してきたり枯渇が案じられる場合には、資源保護を何より優先させるべきである。日本は民主主義という名の票取り合戦で政治家が自らの地位を得ている。ポピュリズムというべきか、陳情があればそれに応えるシステムなのであろう。資源保護以前に業者の保護が優先される。消費者には、「食べられなくなるぞ」という恫喝めいた言葉で説明される。
本来であれば、資源枯渇を前面に出して「食べるのを慎みましょう」とはどこの誰も言うことがない。ウナギやサケで食べている人たちや地域は、政治的に対応すればいいのである。資源の枯渇や環境の悪化に対して、我々は謙虚に受け入れなければならない。なくなれば食べるのを慎むべきなのである。バターも同じである。

日本は良くも悪くも、あるレベルまで経済的発展を成し遂げたと言える。経済成長は永遠に際限なく続くことはない。安定期あるいは低成長時代での、慎むべき経済発展の姿があって良いものである。ところが相変わらず、際限ない発展を未だに目指しているのである。アベノミクスが典型であるが、そろそろ慎むべき発展の姿を模索するべきなのである。石油価格が下がるとインフレ政策が抑制されると、本末転倒の発言が飛び出す政治家や経済学者の言葉は、現実に対する無知を証明しているに過ぎないのである。

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国民のためでなく土建事業に使われる税金が許せない

2015-03-16 | 環境保護と循環
どうしても容認できない、公共事業の使い方がある。北海道の東の地方の中核都市、北見市の真ん中を国道が通っているのであるが、この町の西側に流れる常呂川には急激な崖があったりして、開発されずに残っていた。ここにバイパス道路を作るというのである。
私たちはここに貴重な自然が残っていると、北海道に中止の訴訟を行った。ももんがの森が壊されるので、「ももんが裁判」と呼んで法廷の環境保護を持ち込んだ。私も原告の一人に名を連ねた。
裁判は負けた。が、環境保全の重要性と、高速道路の建設に瑕疵があることは指摘してもらった。建設が進行している公共事業は、止める意味がないということも背景にあった。
しかし、私が強調したいのは税金の使い方である。このことは以前にも書いたが、道路建設よりももっと必要な税金の使い道がある。再度そのことを書く。

国鉄時代に、十勝支庁の池田と網走支庁の北見市の間を結ぶ、鉄路があった。池北線と呼ばれたが、民営化になっても7つの町を結び、「ふるさと銀河線」と呼ばれ、鉄道フアンはもちろんのこと、地域の人たちの足として貴重な働きをしていた。比較的健闘している路線であったが、ついに廃線になった。年間わずか1億円少々の赤字というのが理由である。
老人や学生たちは不便なバスに乗らさえている。鉄路は機能以上に意識として、地域を支えているのであるが、廃線によってさらに地域は衰退する。
翻って、廃線になった同時期に浮上した、この北見バイパスの不要な環境破壊の土木事業は、460億円である。そのままふるさと銀河線に使ってもらえれば、400年以上路線を支えることができる。出所の異なるお金を等評価できないと言う見方もある。が、土建屋が潤う方が目に見えることになるのである。GDPに影響がある使われ方というべきなのかもしれない。

税金は強者のために使われる。税金は国民のためではなく、土建屋とそれを誘致した政治家の次の選挙のために使われる。そしてその結果、この国は1000兆円を超える膨大な負債を、背負うことになったのである。
国民に向けては、財政の困窮や財政再建を訴えておきながら、土木事業には湯水のように使い、防衛予算は一方的に膨らまし、社会保障費は削り続けているのである。
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今年は「世界土壌年」です

2015-01-22 | 環境保護と循環
今年はFAO(Food and Agriculture Organization of the United Nations :国際連合食糧農業機関)が決めた、「世界土壌年」(ISY2015)です。昨年は、国際家族農業年とし、世界各国に家族型農業の重要性と必要性を訴えました。安倍政権はこれを無視して、全く逆の大型農業
企業型農業への支援をするようになりました。
今年は、同じ流れで土壌年とし、世界各国に地球上を薄く覆う土壌の必要性と重要性を見直すように活動をします。FAOは土壌の必要性を次のように訴えています。

〇健康は、土壌は健康な食べ物の基礎になる。
〇土壌は、人々に食料、繊維、燃料、医薬品等を培ってくれる。
〇土壌は、この星の生物学的多様性の基礎となるものである。
〇土壌は、気候変動の炭素サイクル(循環)のカギを握る。
〇土壌は、水を保全し干ばつと洪水から守ってくれる。
〇土壌は、食の安全と私たち人類の持続的未来のために欠かすことのできない、根源的なものである。

都会の人たちは便利さのために、大切な土壌を人工物で覆い尽くしてしまっている。僅かに、ビルの屋上などに人工的土壌を設けているが、こうした人々の生活にとって重要な土壌をどれほど実感していることであろうか、甚だ疑問である。
そうした都会の人たちが、食糧の自給率の低下を実感せずに、危機が迫ることを実感しないのではないかと思われる。

FAO事務局長は、「今日、世界では8億人以上が飢餓と栄養失調に直面している。増加する人口を養うためには、現在の食料生産をおよそ60パーセント増加する必要がある。食料の多くは土壌に依存しているので、それを健全かつ生産的に保つことがいかに重要かは容易に理解できる。残念ながら、世界の土壌資源の33パーセントは劣化している。人類が土壌に与える圧力は臨界極限に達しており、土壌の本質的な機能を減少させ、時には消滅させている。 」と述べている。
生命の基本となる、土壌のことを考えていただきたい。攻めて、今年いっぱいは土壌のことについて、機会がある度に本ブログに書き続けたいと思う。
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日の出日の入りを見たことがない!

2013-05-02 | 環境保護と循環

一昨日NHKのアーカイブス番組、「永六輔の夕焼け紀行」という番組を見た。12年前の、元気な永さんが日本中を飛び回って、夕日にまつわる出来事などを伝える番組であった。永さんは自称”夕焼け評論家”と、夕焼けが大好きで日本中の夕日130222_4_2
の資料を集めている。(写真は根室港の夕焼けである)

同じ日に、野鳥の会の会報が届いた。その中に記事に、”「自然離れ」が進む現代っ子”という記事があった。そこで驚いたのが、都会の子供は日の出日の入りを、一度も見たことのない子どもが53%もいたことである。

一度は見たのが21%であるから、74%つまり4分の3の子供が、日の出日の入りを殆ど見たことがないのである。これには少々驚いた。

古来日本人に限らず、人々は自然を崇め一日の始まりと終わりを感謝する、日の出日の入りはそうした象徴でもあった。都会で閉塞された空間と、コンクリートと鉄によって囲まれた環境しか知らない子供たち、あるいはそうした環境で育った大人に、正常な環境判断ができるのだろうかと、大きな疑問を抱いた。

かつて、川の護岸工事で翡翠(カワセミ)が、巣を作れなくなってしまった。そこで開発する人たちは、穴の開いたコンクリートで巣を提供した。美談として新聞に報じられていた。自然保護でもなんでもないが、翡翠のことを知らない都会人が考えたのであろう。ことの本質(護岸工事)を考えない、何とも妙な話しである。

食糧に対する評価も同じである。なくなれが輸入すればいいと、日の出を見たことにない人たちはきっと考えるであろう。こうした無機質な処で育った人間が、人の命を支える食糧生産を、正常に判断できるだろうか、極めて疑問である。

21世紀の人口増加は、都会で起きると分析されている。田舎は増えない、むしろ減少するとのことである。経済効率は、圧倒的に都会が有利である。

彼らが、多数決を武器に田舎の現状を理解することなく、善意の無理解から不測の破壊を繰り返す現状はさらに拡大することになる。せめて日の入りくらいは、都会でもいいから見て、感動してもらいたいものである。

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世の中少し変わったかも

2008-07-11 | 環境保護と循環

母の遺産の一部を兄と二人で、シマフクロウの保護活動をやっている山本純朗さんに預けた。彼は何もないところから、棺桶のような木箱を作って危機縛りつけて、シマフクロウの保護活動をやっていた。母は、環境の変化を大きく嘆いていた。

同郷だったこともあって、彼を何かの形で支援をしたいと思っていた。大型のシマフクロウの保護には金がかかるのでと思っていた程度でではある。

ところで、一昔前ならほとんど無関心なことであったのではないかと思われる。一般の人間でも関心を持ってくれるだけでも、それは意味があると思えるようになった。少し前なら、角を立てて保護活動の基本を説いていたところである。一昔前なら、定職を投げ売って保護活動をやるような「変人」を、社会は奇異な目で時折扱う程度であった。

全体を捉えることもままならないような人たちでも、一定の評価をするようになった。ごみも分別されるし、片付けるようになった。それでもごみが目立つが、目立つとということは限定されてきた証拠である。

タンチョウの数が増えて、一般の酪農家の牛舎にまで来ることも珍しくない。タンチョウを追い払う人のほとんどいない。苦情は言うけれど、受け入れないわけではない。

食糧や環境には危機感を誰もが、潜在的に持っているようになった。国益ばかりを優先する国家のようには、個人は考えなくなってきたようである。他所の犠牲は容認する人たちが目立つようになった。

説明すると多くの人たちが、大所高所で納得はしてくれる。少しづつ時代は変わってきているような気がする。

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そりゃ、やさしいか判らんだろ

2006-08-18 | 環境保護と循環

アメリカが、地域の活性と石油依存エネルギー打開のために、コーンによるエタノール生産を真面目に検討している。当面車のガソリンの3%ほどを、無公害のエタノールにしようというのである。環境問題とアメリカ中部の過疎対策のためとされているが、この一見進んだように思える、対策はおかしなことだらけである。

コーンからエタノールを生産するのは非常に効率が悪く、サトウキビやビート(甜菜)に比べるとかなり落ちる。サトウキビやビートはアメリカが主産国ではない。発展途上国の農産物である。これらを生産する国では、サトウキビやビートの残滓でのエタノール生産、セルロースからの生産を試みている。これは極めて健全な発想である。人が利用できなくなったものから、人が利用できるものを生産することは、農業の基本である。多少のコストがかかっても国家なりの援助で行うべきであろう。

アメリカが国内事情からここに参入するのは、環境全般から見て途上国の健全な行為を潰すことになりかねない。工業生産のための穀物生産は、食料になるものと違って、農薬や遺伝子組み換え種子の利用など今まで以上に効率一辺倒になり、生産方法に歯止めが利かなくなることが考えられる。水を大量に消費するアメリカのコーン生産は、現在の生産方式でも大きな環境破壊を起こしている。

しかしよく考えてみると、このような残滓は牛の大好物である。工場を作ってエタノールにするよりも、牛の食わせて肉や牛肉に変えたほうが、より地球にやさしいと獣医師なら考えるのではあるが・・・どうだろう。

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そりゃ、家畜より大食いだろ

2006-08-13 | 環境保護と循環

石油価格の高騰でバイオ燃料がにわかに注目を受けている。ガソリンに添加するあるいはエタノールで走る車のためのエタノールを作り出す、コーン(トウモロコシ)などの生産ががかなり具体的に動き出しているようである。石油の相対的な力の低下を目論んでいるようであはあるが、アメリカは真剣な見通しも立てているようである。エタノール大国の、ブラジルを追いつくことが当面の目標だと考えられる。

コーンが、燃料に回ることで家畜の頭数の削減や畜産品の高騰なども、計算済みのようである。家畜に大量の穀物を与えるばかりか、今度はそれを燃料にしようというのである。そのような目的で、穀物を生産するとなるとただでさえ、大型大量生産の弊害が言われる生産スタイルに、曲がりなりにも動物に与えているときに考慮されていたようなことは、工業製品にするとは思えない。エタノール生産のために作付けされた穀物による環境汚染が当然のように発生するが、当然工業製品への国民の反応は弱くなる。

環境に配慮されたバイオ燃料。クリーンなイメージばかりが先行するが、よく考えるとこの地球上に10億の飢える人間がいる。車が穀物を食べる結果になるが、ここにはどうして倫理的な作用が働かないのであろうか。私は、獣医師として日本などの先進国の家畜が、大量の穀物を消費している状況を案じている。一般家庭の乗用車一台で、年間20名の消費量に匹敵する穀物を消費するという試算もある。排気ガスがなくて一見、クリーンに思えるエタノールエンジンには大きな問題があると思える。

拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊参照

そりゃないよ獣医さん―酪農の現場から食と農を問うそりゃないよ獣医さん―酪農の現場から食と農を問う
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2005-10

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根室版沈黙の春

2006-08-01 | 環境保護と循環

05 北海道の東の果ての、根室台地は野鳥の宝庫であった。ほんの30年前までは、春になると騒がしいほどの野鳥の囀る声が聞こえたものである。しかし、その賑やかさはいつとはなしに、懐かしいものになりつつある。その時代の、三分の一程度の減少してしまっている。正確には、その分カラスやスズメやカモメが増えているから、鳥の数ではそれほどの減少ではないかもしれないが、鳥好きにとっては寂しいものがある。人間生活に依存する鳥が増え、本当の意味での野鳥が減っているのである。

なぜ野鳥は減少したのであろうか?この疑問への単一の回答はない。が、ここに長年住むものにとって、あるいは酪農に直接関ってきたものにとっては、酪農の飼養形態が大き0018 く関っているものと思っている。この質問に多くの人は、森を切って牧草地にしたからだと言う回答を用意する。しかし、増えた牧草地は30%もない。所によってはまったく変わりない地域でも、野鳥の減少は著しい。

かつての牧草地には、小さな昆虫が沢山いたものである。野鳥は餌に欠くことはなかったと思われる。多収量を目指して、牧草の品種が改良されて早刈りになった。おかけで、野鳥たちは子育てをする間もなくなった。化学肥料の散布量も増えてきたし、放牧の減少などで糞尿が発酵することなく牧草地に還元されるようになった。そうした複合的な要因が原因でないかと思われる。

酪農が大型化、高泌乳化することで、結果的に野鳥が追われる羽目になったものと思っている。しかし、この酪農も含めて農業の大型化は今後避けて通れない道なのであろうか?大地にも野鳥にも負荷のかからない農業こそが、持続可能な農業だと思うのであるが、日本はいま規模拡大しない農家は政策的に支援しない方針をとりつつある。拙書「そりゃないよ獣医さん」新風舎刊http://www.creatorsworld.net/okai/参照

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羅臼港

春誓い羅臼港