半透明記録

もやもや日記

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『秒速5センチメートル』

2009年02月27日 | 映像(アニメーション)
監督:新海誠
製作総指揮:新海誠
脚本:新海誠
出演者:水橋研二/近藤好美/尾上綾華/花村怜美
音楽:天門
配給:コミックス・ウェーブ・フィルム(2007年)

《あらすじ》
小学校の卒業と同時に離ればなれになった遠野貴樹と篠原明里。二人だけの間に存在していた特別な想いをよそに、時だけが過ぎていった。そんなある日、大雪の降るなか、ついに貴樹は明里に会いに行く……。
貴樹と明里の再会の日を描いた「桜花抄」、その後の貴樹を別の人物の視点から描いた「コスモナウト」、そして彼らの魂の彷徨を切り取った表題作「秒速5センチメートル」。3本の連作アニメーション作品。





どんな風に解釈するべきなのか、私には分かりません。私には遠野君が追いかけているものが本当は何なのかがよく分からなかったし、彼はなぜ自ら孤独であり続けるのかも分からなかったし、ほかにもいろいろなことが分かりませんでした。
分からないことだらけではありますが、しかし、激しく伝わってくるものがあったのは事実です。私は最後まで我慢できると思っていたのに、最後でどうしても我慢できずにぽろぽろと涙がこぼれました。私はこの作品を正しく理解できないかもしれませんが、ここにたくさん盛り込まれたイメージの美しさを正しく感じることはできたと思います。美しいイメージが折り重なっています。痛いほどに美しい。

種子島から、宇宙を目指して探査機が打ちあがる。白煙を上げて上昇する光の塊を見上げる二人。探査機はこのあと、誰とも出会わない孤独な空間を、目的のためにただ真っすぐに、長い時間を進んでいく。

ロケットはその行く末への期待と恐れを抱きながらも上昇するが、ふとこれまで来た軌道を振り返ると、あとに残された白い煙ははじめはそれで影を作るほどに確かな存在に感じられたのに、たちまちその形を崩して消え去ってしまう。この心細さはどうだろう。

いつからか私も、ただ闇雲に遠くへ、もっと遠くへと願いつづけているのだけれど、ふと振り返ると、あの日あの時あの人たちがあまりに遠ざかってしまっていることに気が付いて、立ち尽くしてしまう。取り返しがつかないほどの隔たり。この心細さはどうだろう。もはや、たった一言さえ、彼らには届くことがない。私たちの接触はいつだって瞬間のものだった、それっきりのものだったと思い知る。今はまだ思い出のなかにある温もりも、いつかは、やはり煙のように消えてしまうだろう。

このことの心細さに、私はもうここから一歩も進みたくないと思ってしまう。でも、うずくまって目を閉じると、依然として猛スピードで運ばれている自分を感じる。進行方向には、ずっと見えていた目印がまだ小さく光っている。そうだ、いずれにせよ、私は進まなければならないし、立ち止まることは不可能だ。

あとに、何も残らなくてもいいのです。
突進する私たちがそれぞれに抱えるものが、孤独であれ、ほかのなにかであれ、ひたすらに突進するその姿にいくらかの美しさがあるのなら、それでいい。これを美しいと思えるのなら、それでいい。



距離とか速度とかいうことを、考えさせられます。少しずつ遠ざかっていくもののことを。はじめから交わりさえしないもののことを。目指したとしても決して手に入れることができないもののことを。

『秒速5センチメートル』。
恐ろしいほどに広大なこの世界にあって、言葉はいつも、それが届かないことを前提に発せられているのではないかと思えてきました。すれ違い、遠ざかり、途絶えてしまう。
いや。言葉も、想いも、それが到達することよりも、湧きあがって発せられること自体にすでに美しさがあるのかもしれない。向かっていく、ただそれだけの美しさを、私は美しいと思う。自力で飛び出すにしろ、否応なく押し出されるにしろ、動き始めたものが動き続けようとするならば、どこへ向かったとしてもその軌道は、誰かがつい見上げるほどに美しいものとなりはしないだろうか。




秒速5センチメートル。
桜の花びらが舞い落ちる速度だそうです。あの美しさをこんなふうに切り取ることができるだなんて、私は知らなかった。もうすぐその季節が、やってきますね。