あるいは世界一の大ぼら吹き
ジェラルド・カーシュ 駒月雅子訳(角川書店)
《あらすじ》
あっと驚く方法でペテン師をぎゃふんと言わせ、卑劣な恐喝者を完全犯罪で闇に葬り、芸術的犯行で大金をかすめとっては幽霊とわたりあう。
イギリス首相チャーチルも愛読したと言われるカームジンの荒唐無稽、抱腹絶倒の活躍の数々! もしもこの話が真実なら、当代きっての大犯罪者。もしも嘘っぱちなら、史上まれにみる大ぼら吹き。さて、あなたなら、どう思う……?
《この一文》
“「とんちきめ!」カームジンが言った。「頭の悪いのに限って、何も信じようとしない。いいか、うすのろには二種類いる。なんでもかんでも鵜呑みにするやつと、なんにも信じないやつだ。きみはあとのほうの部類だよ。我が輩がせっかくいろいろ話してやっても、聞き流すだけで笑っておしまい。どうせ半分も信じていないんだろう。いいか、これでも我が輩は正直者として通ってるんだぞ」
―――「カームジンとあの世を信じない男」より ”
シリーズすべての話を読破してしまった時、その喪失感ははかり知れないものがあります。ここに収められた17篇は、「カームジンもの」の全作ということです。なんてこった! これ以上もう読めないだなんて! そんなこと、聞きたくなかった!!
しかし、こういう時にこそ私の数少ない優れた能力を発揮すべきなのであります。それはつまり、最高に面白かったという愉快な感情のみを記憶に残して、ストーリーのほうは速やかに忘れてしまうこと。すると半年ほど経てば、私はほとんど新しい本を読むように、この本を読み直すことができるに違いないのです。それくらいに私は忘れっぽい。ミステリーやサスペンスの読者として、私ほど恵まれた読者はいないかもしれません。誰が犯人だったか、どんなトリックだったかを繰り返しハラハラしながら楽しめるわけですから。
そう思って、私は自分を慰めることにしました。
「カームジン」のこのシリーズのいくつかは別の本にも収められていて、私はそれで初めて読みました(
『廃墟の歌声』)。そしてたちまちカームジンの虜になったちょうどその時に、この本が出版されたというわけです。なんという幸運! これが運命的出会いというやつです。もちろん即座に単行本を買い求めました。
ジェラルド・カーシュの作品はいずれも奇抜で奇妙な物語ばかりです。もの凄く面白い。テンポも良く、人を飽きさせません。そして、あっと驚くような結末。特にこのカームジンのシリーズでは流れるように巧妙な語り口、鮮やかな展開、ユーモアが溢れ出るなかに時々ぴりっと皮肉がまざるという、どこからどう読んでも面白いとしか言えない珠玉の短篇集です。わー、面白い! 私はひたすら薄笑いを浮かべ、時には声を上げて笑いながら読み進めました。一気に読んでしまうのはもったいなかったので、およそ3日かけて読みました。うーむ、面白いなあ。
語り手は作者本人のジェラルド・カーシュとなっており、彼はその友人で正体不明の大男、大犯罪者か大ぼら吹きかというカームジンの驚くべき過去の完全犯罪の数々を聞かせてもらう、というお話。カームジンがかつては大胆な手口で大金を手に入れていたという華々しい物語を語りながらも、現在は落ちぶれて(?)お茶代さえままならず、やはり貧乏にあえぐ物書きカーシュ(カームジンの冒険譚を出版社に売って小銭をかせいでいるらしい)に煙草をねだる有り様。そのギャップがたまらなく面白い。しかし、カームジンの話があながちまったくの嘘とも言い切れないだろうことには、彼は時々恐るべき能力の片鱗をちらっと見せたりするのであった。
愉快、痛快なこのシリーズの中には、カーシュの美意識のようなものも感じられて、実に読みごたえがあります。カーシュとカームジンのやりとりは、とぼけていながらも何か品性を感じさせます。貧乏でも気高いというか。高潔さとは何かということについて少し考えさせられました。
特別収録されたカームジンものでないその他の短篇「埋もれた予言」「イノシシの幸運日」も、カーシュらしい奇想が満載で非常に面白かったです。
さて、私はまだこの人の短篇しか読んだことがありませんが、どうやら長編もあるらしいので、いずれ読みたいところです(でも翻訳はないっぽい?)。
これぞ楽しい読書。