半透明記録

もやもや日記

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『短篇集 死神とのインタヴュー』

2005年11月02日 | 読書日記ードイツ
ノサック作 神品芳夫訳 (岩波文庫)


《内容》

廃墟と化した戦後の町で、現代の死神が作家の”私”に語ったのは……。ユニークな設定の表題作以下、第2次大戦下の言語に絶する体験を、作者は寓話・神話・SF・ドキュメントなど様々な文学的手法をかり、11篇の物語群としてここに作品化した。戦後西ドイツに興った新しい文学の旗手ノサック(1901-77)の出世作。


《この一文》

” 百五十年前にこの書き物机に坐って絶望していた人よ。あなたの気持ちはよくわかる。わたしは運命の要求するところにしたがって無の世界と向かいあい、態度によってそれと対抗しようと全力をあげて努力した。わたしは世界の滅亡を涙もこぼさず観察した。なぜかといえば、これが運命というものを認識する唯一の機会、そしておそらく、人が罪と名づけているものも実は運命なのだということを理解する唯一の機会であることをわたしが自覚したからである。
 しかし、無よりも悪質なものがある。それは、人間の戯画がこの無に賑やかな中身をあたえてしまうことである。貪欲な漫画が幅をきかせて、本物が息をつまらせてしまうことである。俗物のほうが本物よりも生命がはるかに長いということである。どうやってこれに耐えたらよいのか。  「クロンツ」より ”



実は読むのは2回目です。面白かったという記憶はありましたが、内容についてはきれいさっぱり忘れてしまっていました。こんなに暗い話でしたかね。収録された物語では、戦争によって建物や財産、生命のみならずこれまでの価値観など精神を支えてきたものまでも失われてしまった様が描写されます。その表現は決して感情的ではなく、努めて冷静に事態を見据えようとする意志により、かえって当時の混乱や人々の絶望が伝わってくるようでした。とは言え、現代に生きる私には到底当時の不安や不安定などは想像することはできませんし、作中にもこうして記録として残すことの意味が問われています。この人はどうして書かなければならなかったのか、それを私が読んでどうするのか。とりあえずはどうしようもありませんが、もしかしたらそこにはなにか必然があるのかもしれません。

物語は全部で11篇です。全ての物語が暗いというわけではなく、うす暗さの中にもユーモアを感じられる物語も多くあります。中でも面白かったのは、空襲のあった過去のある夜を巡る不思議な人間の出会いを描く「ドロテーア」、トロイア戦争終結後のアガメムノンとカサンドラの運命をイタケーの王テレマコスが父オデュセウスなどの口から聞かされる「カサンドラ」、月で囚人を見張るのを勤めとする「わたし」のある思い違いについての「アパッショナータ」。他にも「実費請求」「海から来た若者」なども面白かったです。要するに、ほとんどがかなり面白いです。どうして、忘れていたのやらさっぱり理解できません。多分、今になってようやく私は物語を少しばかり理解できるようになったのかもしれません。最近、何事につけてもそう思うようになりました。少しは成長しているということなのでしょうか。いつかまた読み返した時には更に理解が深まっていると良いのですが。