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もやもや日記

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「赤い花」

2009年05月26日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

ガルシン 中村 融訳
(『世界文学大系93 近代小説集』(筑摩書房)所収)


《あらすじ》
癲狂院に入れられた「彼」は、庭園の花壇に咲く異様にあざやかな赤い花を見つける。彼は、この花を摘む行為が自らがなしとげねばならぬ、地上を悪から救うための偉業であると考え、ひとつひとつ赤い花を摘み取っていく。


《この一文》
“朝になって彼は死体となって発見された。その顔は、安らかで明るかった。薄い唇と、深くくぼんで閉じた目をもつ疲れ果てた面ざしは、何か得意な幸福といったような色を表していた。”




10日くらい前に読んだのですが、恐くて感想が書けませんでした。「彼」は狂っている。赤い花にこの世の悪のすべてを象徴させ、それを摘み取ることで自分が世界を救うことになるのだ、なんて、どうかしている。馬鹿気ている。まあ、狂っているのだから仕方がないか。と、このように思うために書かれた作品ではないでしょう。そんな風にはとても思えないところに、この作品の力があると思います。しかし、作者はつまりどういうことを言いたかったのだろう。私はこれをどのように受け止めたら良いのだろう。ただ、恐れるだけでなくして。

この物語の恐ろしいのは、こういうことだろうか。
まず、「彼」は癲狂院に入れられ、査問を受ける身の上ではあるが、ほんの一年前までは「彼」が査問をする方の立場であったということ。なにかのきっかけが、「彼」をすっかり狂わせてしまったらしいこと。そして狂気に陥った「彼」の異常な行動、異様な論理、手に負えない凶暴性などは実際に恐怖を感じさせます。

もうひとつは、そのように狂ってしまい破滅へとひた走る「彼」ですが、花壇の赤い花を全て摘み取り、世界を救うためなら死すら厭わないまでの使命感に燃え、実際にそれをやり遂げ、達成感と幸福感のなかに死んでゆく「彼」のその姿に、たしかにある種の爽快さ、美しさを見いださずにはいられないことです。

「彼」にとっては、赤い花を殲滅することが使命でありその達成こそが喜びであったわけですが、たとえばいわゆる正気の、正しく立派な人たちが、時にその生涯と全精力を捧げて、克服すべき障害を乗り越えて成し遂げた偉業によって、満足感と賞賛に溢れた生涯を送るのと、あるいはごく「当たり前の」人々が、ごく「当たり前の」生き方を追求し、それを妨げる邪悪なものを排除しながら「当たり前の」幸福な生涯を送ろうとするのと、どこがどのくらい違っているのでしょう。いずれも、自分の幸福を実現しようとし、ついでに他人の幸福をも願おうという点では、彼だってその心根は同じだとしたら。

だが、実際のところ、赤い花なんか摘んだところで、世界に平安は訪れない。どうせなら、もっと目に見えて役に立つことをしろよ。おわり。
……だが、本当にそうなんだろうか。いや、そうなんだろうけど、本当に、すっかりそうと分かりきったことなのだろうか。誰も、自分の行動が結局のところは赤い花を摘むのと大差ないと知らないまま、それをただ「当たり前」だからと、「正しいことだ」と信じて、そうやって生きているのではないだろうか。
だとしても、だからどうしたというだけの話かもしれないけれど、私は心細くなる。私は、なにかを、なんであれ、深く、真剣に信じきるということが恐ろしくてできないから、こんな風に思うのかもしれない。


私は「彼」を恐れたと同時に、憧れというような気持ちが湧いてくるのも感じる。臆病な私には選べない。狂気か、正気か、いずれにしても選ぶことができず、幸福も満足も、自分から得ようとも認めようとさえしないまま、怯えながらただ流されてゆくだけだ。

私ならきっと、赤い花を見つけても摘み取るだけの勇気もなく、ただ遠くから見つめるだけだろう。それがひとりでに枯れるのをひたすら待つだろう。そして、秋が来て冬が来て、花が視界から消えたことに安心するしばしの時間を過ごしたのち、また春が来て、あたらしく咲き出した赤い花を見つめるのだろう。いつまでも踏ん切りはつかない。

それとも、私自身が摘み取られるべき悪の花だろうか。なにも持たず、なにも生み出さず、なんの手だてもない私は、摘み取られ、撲滅するべき対象となっても仕方がないだろうか。そうかもしれない。なぜ私ごときに摘み取るかどうかを選択する資格があると考えたものだろう。

正義とか悪とか、正気とか狂気とか、幸福だとかそうでないとか、私に分かることはほとんどない。ただ、とめどなくぼんやりとした暗闇がひろがってゆくばかり……