久しぶりに,立町界隈を散歩してみました。
私が通った仙台市立立町小学校は,西道路の入口付近にあり,“荒城の月”の作詞者として有名な土井晩翠(どいばんすい)の母校でもあり,私が小学生の頃は,1学年に5クラス有ったのですが,今は2クラスだけだそうですが,校歌も当然土井晩翠の作詞によるもので,今でも諳んじて歌えるくらい良い歌でした。(♪仰げばたかし天守台,伏せば流れの広瀬川~♪)
立町周辺の思い出のものは,直径5~6cmのまん丸なあんパンを売っていた『かどや』,立町小学校裏門の側にあった『高木』などは,すでに無くなってしまっていて,立町界隈は,西公園や天文台,野球場,桜ヶ岡八幡宮,市民プール,市立図書館,YMCAなど文教施設が多く,昔は子供達が多い健全な街でしたが,細横丁(現,芭蕉の辻通り)付近はラブホテル街になっていました。
小学校の頃の面影が残っている所は少なくなりましたが,唯一,小学1年生の時肺炎で入院した『堀田内科』が昔の建物のまま残っていました。
3ヶ月(?)近く入院したので,進級が危なかったのですが,当時の担任の長沼先生に頑張って頂き,どうにか2年生に進級出来たのが今でも思い出され,先生にはとても感謝しています。
立町小学校は,広瀬通を挟み,『白松モナカ』と『亀兵醤油店』の工場があり,その工場までホームランを飛ばしたのは,仙台商業からヤクルトに入った八重樫元捕手だけだという伝説がその頃の小学校に残っていました。
仙台の製氷店の老舗の『田中製氷店』
立町界隈(その1)
立町界隈(その2)今では少なくなった町の本屋さん
立町界隈(その3)
立町界隈(その4)
立町界隈(その5)
YMCA(中央の大木だけが昔のままです)
立町小学校を東門から望む
東門のそばにあった,文具屋『高木』は今は無い
美味しい丸いアンパンの『かどや』も,もう無い
昔のままの『堀田内科』(2階に入院していました)
堀田内科の向かいに神社がありました
天ぷらで有名な『三太郎』も立町にあります
京染屋さん
広瀬通沿いの畳屋さんのススキが良かった
昔は電車通りだった西公園通り(右が立町小学校)
横断歩道橋から桜ヶ岡八幡宮方向を望む
亀兵商店(仙台味噌)
昔からある『ヤナセ』
私が通った仙台市立立町小学校は,西道路の入口付近にあり,“荒城の月”の作詞者として有名な土井晩翠(どいばんすい)の母校でもあり,私が小学生の頃は,1学年に5クラス有ったのですが,今は2クラスだけだそうですが,校歌も当然土井晩翠の作詞によるもので,今でも諳んじて歌えるくらい良い歌でした。(♪仰げばたかし天守台,伏せば流れの広瀬川~♪)
立町周辺の思い出のものは,直径5~6cmのまん丸なあんパンを売っていた『かどや』,立町小学校裏門の側にあった『高木』などは,すでに無くなってしまっていて,立町界隈は,西公園や天文台,野球場,桜ヶ岡八幡宮,市民プール,市立図書館,YMCAなど文教施設が多く,昔は子供達が多い健全な街でしたが,細横丁(現,芭蕉の辻通り)付近はラブホテル街になっていました。
小学校の頃の面影が残っている所は少なくなりましたが,唯一,小学1年生の時肺炎で入院した『堀田内科』が昔の建物のまま残っていました。
3ヶ月(?)近く入院したので,進級が危なかったのですが,当時の担任の長沼先生に頑張って頂き,どうにか2年生に進級出来たのが今でも思い出され,先生にはとても感謝しています。
立町小学校は,広瀬通を挟み,『白松モナカ』と『亀兵醤油店』の工場があり,その工場までホームランを飛ばしたのは,仙台商業からヤクルトに入った八重樫元捕手だけだという伝説がその頃の小学校に残っていました。
仙台の製氷店の老舗の『田中製氷店』
立町界隈(その1)
立町界隈(その2)今では少なくなった町の本屋さん
立町界隈(その3)
立町界隈(その4)
立町界隈(その5)
YMCA(中央の大木だけが昔のままです)
立町小学校を東門から望む
東門のそばにあった,文具屋『高木』は今は無い
美味しい丸いアンパンの『かどや』も,もう無い
昔のままの『堀田内科』(2階に入院していました)
堀田内科の向かいに神社がありました
天ぷらで有名な『三太郎』も立町にあります
京染屋さん
広瀬通沿いの畳屋さんのススキが良かった
昔は電車通りだった西公園通り(右が立町小学校)
横断歩道橋から桜ヶ岡八幡宮方向を望む
亀兵商店(仙台味噌)
昔からある『ヤナセ』
私は,堀田病院,村主八百屋,与五郎寿司,千松島酒造(千松島パーキング),旧ボンボン会館などの息子と同級生です。
今でも彼らは,それぞれ頑張っているので嬉しい限りです。
立町地区は,確かに私の小学生時代とは大きく変わってしまい,西道路が出来て,天文台が無くなり,今度は地下鉄東西線が走るので,さらに変わって行くことになりますね。
しかし,広瀬川や緑の多い川内地区を控えた立町は,仙台の中でも一番良い場所だと今でも思っています。
高校2年で離れてしまいましたが,出来ればもう一度住んでみたい街です。
杉浦日向子さんの「江戸へおかえりなさいませ」という2016年刊行のエッセイ集にかどやとあんぱんのことを少し書かれています。
「かどや」の“あんぱん”は、小学生の頃よく食べたもので、今のマカロンのような丸くて高さのあるパンにギッシリ餡が詰まっていた“あんぱん”でした。
最後に食べたのが、昭和63年(1988年)と30年前ですが、その柔らかく小さい“あんぱん”が今でも忘れられません。
この記事を書いてから11年近く過ぎ、また変わっていっていると思いますが、堀田病院も病院長の体調がかんばしくなく、閉院の予定と聞いています。
立町、大町は、西公園、広瀬川、青葉山に近く環境は仙台で一番と昔から思っています。
また、久々に散策に行ってみたくなりました。