先週,東京に行った時,午後の会議まで時間があったので,30年位前に東京で住んでいた西武池袋線東長崎駅界隈に行って来ました。
さすがに30年という歳月が流れ,東長崎駅も上下のエレベータが整備されるなど綺麗で近代的な駅に変身していました。
西武池袋線東長崎駅は,大正4年(1915年)に出来たそうですから,もうすぐ開駅100年を迎える位古いのですが,この駅界隈の街は,下町と言うよりは,古い新興住宅地という感じで,道幅も狭く無秩序に住宅が建っていますが,地方都市的な温もりのある感じの街だった気がします。
駅は変わったのですが,道路も住宅の感じもほとんど30年前のまま変わらない感じで,タイムスリップした感じにさえ思えるくらいでした。
よく行った定食屋さん,夕飯のおかずを買った総菜屋さん,Yシャツを出していたクリーニング屋さんはまだ健在でしたが,結構なくなっている店も多かったですね。
よく行った定食屋さんの「せきざわ屋」さんは,学校を出て勤めた会社を辞めて,その後,東長崎駅の南側にあった明治乳業のチーズ工場でアルバイトをしていた3ヶ月間,夕食を毎日食べていたのですが,金のない私にも優しい値段で,500円あれば十分に食べることが出来ました。
思えば,1980年12月8日に工場のバイト帰りに,発売されたばかりのジョンレノンの“ダブルファンタジー"を買い,「せきざわ食堂」で天ぷら定食を食べていると,店のテレビからジョン・レノンが射殺のニュースが流れ,愕然としたことを今でもハッキリと覚えています。
今回残念ながら休みだったのですが,店に張り出されている値段は驚きの金額で,やはり30年経った今でも,懐に優しい価格にちょっとびっくりでしたが,是非また訪れてみたいと思いました。
先ほど書いた,明治乳業豊島工場(チーズ工場)に3ヶ月勤めていたのですが,1ヶ月した頃でしょうか,工場長に呼び出され,何か作業で不都合なことがあったのかと緊張して部屋に入ると,工場長から‘何時までバイトなどしているのか?もし正職員になる気があれば,社長に直接話して採用して貰うが・・・’とありがたい話がありました。
私は,当時,仙台に帰るための勉強をしていたところだったので,丁重にお断りしたのですが,その頃,無職で日給6,000円のバイト代で東京で暮らしていた私は,将来の自分の姿を想像することさえできず,不安な毎日を過ごしていたので,工場長に私などのことを気にかけて頂き,涙が出るくらい嬉しかったのを思い出しました。
残念ながら,平成5年頃,豊島工場は取り壊されてしまったようですが,近所の人に聞いたのですが,はっきりした場所を特定できなかったのですが,今大規模なマンションが建っている場所に違いないとは思いました。
西武池袋線の東長崎駅
西武池袋線の黄色い車両は変わっていません
西武池袋線の路線図
明治乳業の豊島工場の跡地と思われる所に立っていたマンション
長崎十字会の商店街
昔,総菜をよく買った「やきとりキング」
毎週,洗濯物を出していたクリーニング屋さんがまだありました
住んでいたアパートは取り壊されて跡形もありませんでした
せきざわ食堂は残念ながら休みでした
さすがに30年という歳月が流れ,東長崎駅も上下のエレベータが整備されるなど綺麗で近代的な駅に変身していました。
西武池袋線東長崎駅は,大正4年(1915年)に出来たそうですから,もうすぐ開駅100年を迎える位古いのですが,この駅界隈の街は,下町と言うよりは,古い新興住宅地という感じで,道幅も狭く無秩序に住宅が建っていますが,地方都市的な温もりのある感じの街だった気がします。
駅は変わったのですが,道路も住宅の感じもほとんど30年前のまま変わらない感じで,タイムスリップした感じにさえ思えるくらいでした。
よく行った定食屋さん,夕飯のおかずを買った総菜屋さん,Yシャツを出していたクリーニング屋さんはまだ健在でしたが,結構なくなっている店も多かったですね。
よく行った定食屋さんの「せきざわ屋」さんは,学校を出て勤めた会社を辞めて,その後,東長崎駅の南側にあった明治乳業のチーズ工場でアルバイトをしていた3ヶ月間,夕食を毎日食べていたのですが,金のない私にも優しい値段で,500円あれば十分に食べることが出来ました。
思えば,1980年12月8日に工場のバイト帰りに,発売されたばかりのジョンレノンの“ダブルファンタジー"を買い,「せきざわ食堂」で天ぷら定食を食べていると,店のテレビからジョン・レノンが射殺のニュースが流れ,愕然としたことを今でもハッキリと覚えています。
今回残念ながら休みだったのですが,店に張り出されている値段は驚きの金額で,やはり30年経った今でも,懐に優しい価格にちょっとびっくりでしたが,是非また訪れてみたいと思いました。
先ほど書いた,明治乳業豊島工場(チーズ工場)に3ヶ月勤めていたのですが,1ヶ月した頃でしょうか,工場長に呼び出され,何か作業で不都合なことがあったのかと緊張して部屋に入ると,工場長から‘何時までバイトなどしているのか?もし正職員になる気があれば,社長に直接話して採用して貰うが・・・’とありがたい話がありました。
私は,当時,仙台に帰るための勉強をしていたところだったので,丁重にお断りしたのですが,その頃,無職で日給6,000円のバイト代で東京で暮らしていた私は,将来の自分の姿を想像することさえできず,不安な毎日を過ごしていたので,工場長に私などのことを気にかけて頂き,涙が出るくらい嬉しかったのを思い出しました。
残念ながら,平成5年頃,豊島工場は取り壊されてしまったようですが,近所の人に聞いたのですが,はっきりした場所を特定できなかったのですが,今大規模なマンションが建っている場所に違いないとは思いました。
西武池袋線の東長崎駅
西武池袋線の黄色い車両は変わっていません
西武池袋線の路線図
明治乳業の豊島工場の跡地と思われる所に立っていたマンション
長崎十字会の商店街
昔,総菜をよく買った「やきとりキング」
毎週,洗濯物を出していたクリーニング屋さんがまだありました
住んでいたアパートは取り壊されて跡形もありませんでした
せきざわ食堂は残念ながら休みでした
幕張の近くだったけど今は相当変わっているんだろうな~?
しかし、もしかしたら牛乳屋さんになっていたかと思うと、びっくりです
よかったのか、どうか
当然、今は明治の牛乳しか飲まないんですよね
30年振りに住んでいたところは,思ったより変わっていませんでしたが,住んでいたアパートが無かったのが残念でした。
この頃牛乳自体あまり飲んでないなあ。
ふとしたことから、ここに辿り着きました
小学生の頃、明治乳業豊島工場に見学に行きました
ここから遠くないところの中野区の小学校でしたが
近くに明治乳業の工場があるということで
低学年の頃だったと思いましたが学校で見学に行きました
さて、この工場跡地ですが
この記事の写真に写ってるマンションは
某ゼネコンの社宅のマンションで
これじゃなくて、これより少し練馬側の信号の交差点のところのマンションが
明治乳業豊島工場跡地に建てられたマンションです
私も何処か分からずに、近所の方に聞いたのですが、皆さん自信がなかったようです。
今回分かったので、是非東京に行った時に再度撮影して来たいと思います。
私にとって、東長崎は青春の思い出と、苦い思い出も積もった場所です。
実は明治乳業豊島工場の写真が載っている本を見つけたので是非読んで頂きたいのです。
農文協という所が出している「東京ミルクものがたり」という東京の酪農史跡のガイドブックなのですが
その55ページに明治乳業豊島工場の外観の写真があります。
私も写真を見るまでは記憶が曖昧だったのですが、見た瞬間に記憶って甦るものですね。
2023年3月に発行された書籍なので書店やネットで普通に買えると思います。
よろしかったら是非読んでみて下さい。
旧ブログの方で、コメントに気づかず、すいませんでした。
載っている本読んでみます。