気ままな歳時記

 気ままに日々の出来事を写真で綴っていきたいと思います。

“七福神”の人形焼見つけました

2006年07月31日 23時53分53秒 | 奥州仙臺七福神
 そのお店は、せんべいの『味楽』さん。
 関東と関西で修行したご主人が、仙台の宮町にこのお店を構えたのは42年前とのこと。
 今、お店で使用している“七福神”の人形焼の型は、60~70年前の型とのことですが・・・。

 買ってきた人形焼の顔を見てみると、“七福神”ならぬ6種類の人形焼しか入っていませんでした。
 さてさて、誰がいないのでしょう?

 昔、人形焼の型を造る時に“七福神”を皆、そろえてお客さんに渡すと押しつけがましいというか、良いことずくめでお客さんの立場がなくなるということで、最後の福の神は品物を買って頂くお客さんということで、6種類の人形焼の型だけを焼いているという、奥ゆかしいというかそういう願いを込めて、人形焼を焼いているという話をご主人から、伺うことができました。

 “七福神”が全員揃っていないなんて、いきなりこの人形焼をかぶりついていたら気づかなかったかもしれませんね。
 このパックは、10個入っていますが、顔を確認するのもおもしろいかもしれません。
 ちなみにいないのは、唯一女性の“弁天”さんなのです。
 7番目におみやげを持っていく方(型?)イコールお客さん。ご主人のポリシーが感じられますね。

 ご主人の話によれば、“七福神”の中には同じ人が道具を持ち替えて二役しているという説もあるそうです。果たして?

 “七福神”の人形焼 六神様

清々しい少女剣士

2006年07月30日 21時09分28秒 | 綺麗な蓋みっけ!
 今日、利府町の『グランディ21』で行われた、“関東東北北海道少年剣道大会”に参加する甥っ子の応援に行ってきました。
 少年剣士の大会なのですが、甥っ子のチームは、4人が女の子で先鋒だけが男の子でした。(甥っ子は残念ながら補欠でした。次は頑張れ!)

 次鋒の女の子と最後の女の子は、とてもキビキビした剣道で華麗に2本を先取し、チームも勝ち抜きました。
 『グランディ21』の体育館の外にも少年少女剣士が練習しており、その背景に今行われている“ポップサーカス”のテントが、青空に映えていました。(もうすぐ梅雨明けかなあ)
 今日の少女達の勝利のように、スカット梅雨明けして欲しいものです。

 少年少女剣士の清々しい試合を見て会場を後にし、何気に足元を見てみたら、カラーマンホールではなかったのですが、『グランディ21』のオリジナルのマンホールを見つけました。
 マンホールは、左半分は木立に囲まれていて(県民の森?)『グランディ21』の施設をデザインしたものと、右側は県の花、みやぎの萩が描かれていて(隣りの小さな囲みの木は、それなら県木のけやき?)なかなか凝ったものでした。
 今日の一連の流れのあるマンホールのデザインを見ていたら、私もいつかマンホールのデザインをしてみたいなと、ちょっとは思ったりして・・・。

 『グランディ21』の体育館は熱気でムンムン


 次鋒の女の子の見事な一本


 大将の女の子も見事でした


 『グランディ21』の体育館の外観


 “ポップサーカス”の青いテント


 『グランディ21』のマンホール。上部に建物と競技場がデザインされています。

西公園市民プール(その3_最終回)

2006年07月29日 21時11分17秒 | 消える街並み
 あまり泳げない私達も、少年野球が終わるお盆前になると、プールに通うようになるのですが、とにかく混んでいるし泳ぎが好きでないので、プールを出て桜ヶ岡公園から降りる階段に向かうこととなります。

 階段で何が待っているかというと、いろいろな遊びや食べ物の屋台がお祭りの時と同じように並んでいるのです。
 十円をうまく通すように、正方形のお菓子のような物をくり抜くと景品をくれたり、トツケ(くじ引き)などなど、その当時、プールが苦手な子にも十分楽しめる場所が西公園にはありました。

 もちろんお小遣いは、1日十円と決まっていたので、ウインドショッピングならぬ屋台のおじさんにひやかしウォークをしていました。
 夏休み前に、先生にはそれを知ってか“プールの帰りに買い食い等などしないように。”と言われていたのですが、やはり泳げない子には、他の楽しみの屋台は必要だと感じたものでした。
 結局、西公園プールというと、泳いだというよりは屋台でいろいろ楽しんだことが思い出されます。

 3回も長々と西公園プールについて書いてきましたが、実はプールの下を流れる広瀬川についても、プールとの関係で話が有るのですが、これは又の機会にしたいと思います。
 西公園プールの思い出については、今回でおしまいです。

 屋台が並んだ階段は昔のままですが、今はどうなんでしょうね?


 閉館したスポーツセンターをバックに

 

七ヶ浜国際村(七ヶ浜アート・ウォリアーズ2006 海遊民族)

2006年07月23日 21時34分32秒 | 日々の出来事
 めんそ~れ!
 七ヶ浜国際村で、今月15日から来月25日まで行われている、『七ヶ浜アート・ウォリアーズ2006 海遊民族』に行ってきました。

 会場のワークショップでは、会期中、紅型コースター作りや島サバタトゥ、沖縄の貝やサンゴを使ったフォトフレーム作りや写真展、おきなわんミュージック、三線(さんしん)教室など、日程に応じて賑やかに色々行われているほか、沖縄先島屋台では、“八重山そば”、“ゴーヤチャンプル”、“島ソーセージ”、“泡盛”、“サーターアンダギー”など沖縄の味を堪能できます。

 私はその中で、数年前から三線に興味があったので、三線教室に入り三線博士の新城亘先生のもと、初めて三線に触れ、なんとか音を出すことができました。
 弦が三本と開放弦から3つの指(人差し指、中指、小指)のポジショニングを覚えることで、沖縄の民謡のかなりの曲が弾けると言うことなので頑張りました。

 たった、1時間半なのですが“安里屋ユンタ”や童謡の“チューリップ”や“蝶々”の練習をし、なんと練習生10人で、無謀にも練習の成果を人前で披露してしまいました。
 最後のアンコールでは、三線の楽譜である工工四(くんくんしー)で示すと【中工中工五工五七工】になる曲を披露し、“この曲は何?”という先生の質問に、梅酒のCMでおなじみの“♪さぁらりとした、梅酒~♪!”と、観客の方にも答えて頂けるくらいに弾くことができました。

 少しの間でしたが、会場は梅雨を忘れさせてくらい沖縄を肌で感じることができ、私も三線を弾き、沖縄の男衆になった気分でした。

 守礼の門がお出迎え          会場内はすっかり沖縄気分


 今はかわいいシーサーが多いのです


 いろいろな沖縄みやげ(有名なラー油もありました)    シーサーの大群


 三線


 三線教室


 練習後のお披露目が待ってました(凄く緊張しました)


 記念写真に新城亘先生のサインをして貰う練習生

西公園市民プール(その2)

2006年07月22日 21時10分03秒 | 消える街並み
 西公園にプールができた当時は、仙台市内の小中学校にプールが有りませんでしたが、その後次々と学校の中にプールができていきました。
 しかし、西公園に近い我が小学校は、市内の小学校の最後までプールを作って貰えず、同じように中学校にプールができたのは、その後でした。

 小学校や中学校のプール教室は、年に3回くらい有るのですが、夏休み前の梅雨時のせいで、全部中止か1回くらいしかないのが通常で、夏休みになれば大混雑で、とても水泳を練習できるはずもなく、どこの高校に行っても泳げない奴は、立町小⇒二中と言う経歴の者が多かった気がします。

 前述した通り、二高のプールはアメリカ人仕様(50mプール)で、高校3年まで3種目泳がなくてはいけないとのことで、このことが私達泳げない者の進路にまで影響を与えていました。
 普通に泳げる人には笑い話ですが、泳げない者にとっては実は深刻な問題でした。
 当時どうしても二高に入りたい、金づちのF君は、長町の市民プールに猛練習に行って、泳げるようになり、無事二高に入り卒業したようです。

 私達にとっての高校進学問題は、学区制や共学ではなく、高校に入ってからの水泳の課題でした。

 私が通った中学は、日本一のLL教室やバレーのコートが16面も取れる校庭があるのに何故かいつまでもプールができないことが不思議でした。
 又長くなったので、次回に泳ぎが嫌いな私たちのプールの楽しみについて書きたいと思います。

 花が大きくてびっくりしました。建物の前に咲いていた『タイサンボク』の花


 西公園プ-ルと桜ヶ岡神社の間の広場


西公園プールから上がる階段   西道路入り口の道路標識(この標識の文字も無くなるんですね)

『冷麺』?いえいえ、『じゃじゃめん』気分です。

2006年07月21日 21時42分18秒 | ある日の麺喰
 ユーミンの曲に『緑の町に舞い降りて』というのがあり、その中で“♪モリオカという響きがロシア語みたいだった♪”と言うフレーズがありますが、今日、出張で久しぶりに盛岡を訪れましたが、雨が降り緑が輝きとても綺麗で、街はとても静かなたたずまいでした。

 裁判所の庭にある、石割桜の緑もとてもつややかで、雨で光っていました。
 盛岡の食べ物と言えば、まず頭に浮かぶのはオーソドックスな『わんこそば』そして『冷麺』ですが、知名度は少し低いのですが最近人気のある『じゃじゃめん』も有名で、県庁から桜山神社に通じる道は、麺屋さんが軒を連ね、まさにラーメン通りを形成しており、その中でひときわ混んでいるのが、『じゃじゃめん』の老舗の“白龍(パイロン)”で、本店と一軒挟んで分店があり、昼どきはすごい行列ができるそうです。

 私も早速、“白龍”に入り、『じゃじゃめん』を頼むと、うどんにみそ、キュウリ、生ショウガがのっかってきたものにラー油、酢、ニンニクを入れて豪快にかき混ぜて頂きます。
 初め、見た目にはそれほど期待していなかったのですが、これが薬味とみそが絶妙なハーモーニーを奏で、予想外に美味しかったです。(ちょっと、やみつきになりそう。)
 食べ終わったあとに、卵をかき混ぜてカウンターに出すとみそ、ネギとお湯を入れてくれるのですが、その中に又『じゃじゃめん』に入れたと同じ薬味を加えると、『ちーたんたん』という卵スープができるのですが、これも絶品で、どちらも見た目よりとても深い味がありました。

 なによりこれで400円(税込み)とは、驚きの安さで、結構お腹がいっぱいになりますが、一つだけ気をつけなくてはいけないのは、生ニンニク等でとても臭いが強いので、打ち合わせやデートの前には食べるのを控えた方がよいようです。
 盛岡に行ったら、是非“白龍”の『じゃじゃめん』をご賞味あれ!

 岩手県庁から桜山神社に通じるラーメン通り


 “白龍(パイロン)”本店の外観


 お店のメニュー


 混ぜる前の『じゃじゃめん』350円。シンプルな見た目を侮るなかれ、なかなかの味わいです。 


 混ぜた後の『じゃじゃめん』(後は食べるだけです)


 『ちーたんたん』50円(卵スープ)


 石割桜


 開運橋から北上川左岸上流を望む

西公園市民プール(その1)

2006年07月20日 23時52分23秒 | 消える街並み
 仙台市西公園にある市民プールが地下鉄東西線工事に伴い、閉鎖されることになりました。
 西公園の市民プールができる経緯を思い出したいと思います。

 昭和20年代は、澱橋から大橋の間の広瀬川は、仙台市民の格好の水泳の場所だったようで、プールで泳げるのは当時のアメリカの進駐軍だけだったようです。
 進駐軍は、今の仙台二高の南側に有る、プールの位置に50mプールと15×15mの幼児プールを作って泳いでいたようで、昭和30年に進駐軍が撤退してからは、仙台二高のプールとなったのですが、15mプールだけは、地域の子供達に解放されていました。

 宮城県内で、当時50mは仙台二高しか無く、全ての水泳大会はこの50mで行われており、二高の水泳部は抜群の強さを誇っていたと思います。
 昭和20年代後半から今の市民センターの上流から東北大の医学部の廃液が流されるようになり、広瀬川は昭和30年代から遊泳禁止になってしまいました。

 しかし、市民の夏を奪ってしまった東北大と仙台市の間にどのような話し合いが行われたかは知りませんが、昭和37年頃、20年代の泳ぎのメッカだった付近の西公園にプールを作ることになったようです。
 しかし当時40万人程度いた仙台市民の欲求を満足させるだけの規模のプールではなく、夏休みになれば、いもの子を洗うような状態で、とても水泳を楽しみめるプールではありませんでした。

 ここ西公園に市民プールができたことにより、一番近くにあった私の小学校や中学校は、その後色々な意味で数奇な運命を辿ることとなります。
 これ以上は長くなるので次回に回します。

 今年が最後の夏の西公園の市民プール


 市民プールの案内板


『仙台パブテスト教会』

2006年07月18日 20時23分24秒 | 消える街並み
 何か連日「消える街並み」シリーズが多いのですが、気にせずにいきたいと思います。
 仙台市青葉区木町通2丁目の北4番丁と、国道48号交差点付近にあって、仙台中心部の発展を見てきた『仙台パブテスト教会』が老築化に伴い改築するため、20日から解体が始まるということで、今日行ってみたのですが、すでに教会周辺の木々の伐採や整地が行われていました。

 私の通った中学校が付近にあるので、この教会の隣の歯医者に結構治療に行っていたので、この建物は記憶に鮮明に残っています。
 白い教会の建物の上部にさびも見えますが、この建物木造では50年以上経っているので当然だとは思いますが、やはり近い将来、高い確率で発生が確実視されている宮城県沖地震の発生に対処するためのようです。

 新聞記事によると、建て替えられる教会は、鉄筋コンクリート3階建てで、1階が幼稚園で、2階が礼拝堂となるようで、災害の際、避難場所となれるように中庭のスペースを広く取るようです。
 来年3月、新しい教会が完成したら又写真を撮りに来ようと思います。

 すでに重機が敷地に入っていました


 幼稚園も併設されています

国内2番目に古い 『東二番丁幼稚園』

2006年07月17日 19時56分00秒 | 消える街並み
 仙台市の中心街にある『東二番丁幼稚園』が、廃園の危機になっています。
 『東二番丁幼稚園』は、国内で『お茶の水女子附属幼稚園』に次ぐ歴史のある幼稚園ですが、幼稚園が私立に依存しており、廃園しても受け皿はあると言うことらしいですが・・・。

 『東二番丁小学校』、『中央市民センター』と併設されており、1階部分がこの幼稚園施設となっています。
 昔(確か東京オリンピックの頃)、隣接していた『長期信用銀行』に一部用地を売却して、そのお金で屋内プールーをなどの設備を完備した4階建ての近代的な小学校になり、木造の2階建てだった自分の小学校(立町小学校)が、とても貧弱に見えたのを覚えています。

 確かに公立の幼稚園も少なくなっていますが、この『東二番丁幼稚園』は、街中に残された最後の幼稚園で、毎年の募集の30名はすぐいっぱいになってしまうそうです。
 
 一階部分が幼稚園


 西側部分の看板


 西側通用口