気ままな歳時記

 気ままに日々の出来事を写真で綴っていきたいと思います。

5月10日で88年の歴史に幕『マリンピア松島水族館』

2015年04月30日 20時51分29秒 | 消える街並み
 来月10日で閉館する『マリンピア松島水族館』に久々に,そして最後かもしれないのですが,訪れることが出来てよかったのですが,今日は平日にもかかわらず,修学旅行の小学生をはじめ多くの人が訪れていました。

 私の祖父の実家が松島なので,小さい時は良く来た気がしますが,中学生以降では,もう退職したFさんの奥さんを案内した以来32年振りくらいの訪問ですが,あまり館内を覚えてはいませんでした。

 展示されている魚や生物は,色々なカテゴリーになっていて,とても分かり易い水族館だと感じられ,イロワケイルカ,ウーパールーパー,グラスキャットなどユニークな魚も多く楽しむことが出来ました。

 『マリンピア松島水族館』のメダマは何と言っても「アシカショー」で,アシカは“ノイ”“アスカ”“ルーシー”の3頭で,準備体操からボール入れ,バレーボール,ジャンプなど楽しいショーを見せてくれました。

 もう10日で閉館ですが,その魚や生物は仙台港の新しい水族館に引き継がれるそうですから,再開を楽しみに『マリンピア松島水族館』を後にしました。

 『マリンピア松島水族館』の外観


 『マリンピア松島水族館』の内部(その1)


 『マリンピア松島水族館』の内部(その2)


 『マリンピア松島水族館』の内部(その3)


 モノレール


 アマゾンの巨大魚


 メガネカイマン


 岩礁の魚


 冷たい海の魚


 砂泥底の生物


 深い海の魚


 武器を持つ魚(その1)


 武器を持つ魚(その2)


 カミクラゲ


 ミズクラゲ


 ブルージェリー


 グラスキャット(スケスケのからだ)


 ウーパールーパー(メキシコサラマンダー)


 黒潮の海(その1)


 黒潮の海(その2)


 黒潮の海(その3)


 バイカル湖に住むアザラシ


 イロワケイルカ


 ウミガメに絡みつくコバンザメ


 サンゴイソギンチャク


 珊瑚礁の海


 ペンギン(その1)


 ペンギン(その3)

『仙台東洋ビル』今月で閉館

2015年03月07日 19時49分45秒 | 消える街並み
 昭和50年,仙台はダイエーやジャスコの進出で経済界や中心市街地が騒がしかった時代に,東五番丁(愛宕上杉通り)と中央通りのアーケード街の交差点に『仙台東洋ビル』が出来て,その隣には,仙台の老舗居酒屋の「朝日屋」さんのビルが有りました。

 その『仙台東洋ビル』が今月で閉館になり,今後は朝日屋ビルと共に利用を検討していくということのようです。

 今は,ドコモが入っていましたが,昭和50年代は,このビルに東洋信託銀行が入っていた気がしますが,自信がありません。それより,最近のドコモの場所に,前は何が入っていたかも記憶にありません。(信号待ちの時によく見るビルなんですけどね。)

 近くにあった「仙台ホテル」もそうですが,昭和のビルが次々無くなっていきますが,跡地に出来るビルが,仙台の駅周辺の流れを変える位になってくれることを期待してしまいます。

 仙台東洋ビル(隣りのビルはさくら野デパート)

石巻の『立町アーケード街』が,明日から取り壊されます

2014年11月03日 20時22分03秒 | 消える街並み
 1971年に立町商店街に約400mのアーケードが設置され,商店街のシンボルとなってきましたが,東日本大震災で一部が損壊し,通行人の安全を確保できないことから撤去されることとなり,撤去後は街路灯や歩道の整備が行われるそうです。

 アーケードの撤去は明日から行われるそうで,東日本大震災で壊れた内海橋もアーケード街の延長線上に架け替えられるので,石巻中心地である立町地区が大々的に変わっていくことでしょう。

 昔ながらの石巻を知っている人には,昔ながらの街並みが変わっていくことが残念で仕方ないと思いますが,綺麗な街並みになっていくことで,少しでも賑わいが戻ってくると嬉しいと思いました。

 震災前の平成21年(2009年)の川開きでの様子(その1)


 震災前の平成21年(2009年)の川開きでの様子(その2)


 震災前の平成21年(2009年)の川開きでの様子(その3)


 震災前の平成21年(2009年)の川開きでの様子(その4)


 平成22年(2010年)の白謙さん前


 平成22年(2010年)の万楽堂さん前


 平成22年(2010年)に商店街に掲げられたサイボーグ009のフラッグ(その1)


 平成22年(2010年)に商店街に掲げられたサイボーグ009のフラッグ(その2)


 震災後の立町アーケード街(その1)


 震災後の立町アーケード街(その2)


 震災後の立町アーケード街(その3)


 震災後の立町アーケード街(その4)


 震災後の立町アーケード街(その5)

『ダイエー』の名前が消える

2014年10月24日 20時48分04秒 | 消える街並み
 「ダイエー泉店」が,2005年(平成17年)に無くなった時も衝撃を受けましたが,今回,全国の『ダイエー』が,2018年(平成30年)をめどに『ダイエー』の屋号(店舗ブランド)を無くすとイオンの社長が発表しました。

 「ダイエー仙台店」が出来たのは,1975年(昭和50年)で当時ジャスコも一番町に出来て(現在のフォーラスの場所),地元のスーパーの「エンドーチェーン」の行く末を心配したものですが,当初はかなり善戦したものの,地元の「トーコーチェーン」「岡崎ストア」などとも客の奪いあいになり,1990年頃から閉店が相次ぎ,ジャスコも脱落閉店していきました。

 そんな中,地下鉄が八乙女まで延びた1988年(昭和63年)に,まだ泉市だった頃に巨大なショッピングセンターである「ダイエー泉店」が出来て,当時は土日は周辺が大渋滞で,なかなか行くことが出来なかったのを思い出しました。

 全盛期の『ダイエー』は,1972年(昭和47年) 「三越」を抜いて小売業売上高日本一になり,1982年(昭和57年)に ハワイ・アラモアナショッピングセンターを取得したり,スポーツにも力を入れ,女子バレーボール部「ダイエーオレンジアタッカーズ」, 陸上競技部「ダイエーオレンジランナーズ」,「福岡ダイエーホークス」を作ったりと飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

 しかし,そんな『ダイエー』も世紀末が近づく頃から赤字に転落し,ついに店名までなくなるとは・・・・。

 今は,「イオン」が凄い勢いがありますが,前進のジャスコも仙台店,泉店と時代が平成になるころに消えていきましたが,見事に復活していますので,10年後はどうなっているか分かりませんね。

 ダイエー仙台店(その1)


 ダイエー仙台店(その2)

『代々木ゼミナール』仙台校が閉鎖

2014年08月25日 20時36分05秒 | 消える街並み
 大手予備校『代々木ゼミナール』は,全国に27カ所ある拠点を東京など7カ所に集約する方針のようで,仙台校についても,来年3月末に閉鎖すると発表されました。

 仙台駅の東口の顔的な感じとなった煉瓦造り風の建物でしたが,閉鎖とは残念なニュースですが,1983年(昭和58年)に開校したということですから,私が学生時代にはまだなかったのですが(私の頃は「東北文理」しかなかった時代でしたが,当時あった「宮城予備校」が何処にあったのかも思い出せません),その「文理」もその後「河合塾文理」となり,今は「河合塾」になっています。

 少子化はもちろん,現在は,昔よりも現役で大学に入る人が増えたということか,それともネットを使った予備校などが増えたということなのか分かりませんが,『代々木ゼミナール』仙台校は,昭和の時代には最大3,000人いた生徒が,現在は100人位しかいないというのですから,本当に驚きですね。

 昨年,8月2日に『代々木ゼミナール』の食堂に入っのですが,周辺のサラリーマンも多く,代ゼミとともにこの食堂も無くなってしまうのですから,仙台駅東口の雰囲気も変わるでしょうし,ここがなくなると色々な意味で東口は寂しくなる気がしますね。

 東三番丁に今でもある「河合塾」仙台校の外観


 『代々木ゼミナール』仙台校の外観(その1)


 『代々木ゼミナール』仙台校の外観(その2)


 『代々木ゼミナール』仙台校の外観(その3)


 ヨドバシカメラ仙台店の跡地は駐車場になっていました

『X橋』の煉瓦橋台

2014年06月22日 20時22分25秒 | 消える街並み
 『X橋』については,東日本大震災前の2009年(平成21年)7月20日に,熊谷達也さんの『いつかX橋で』での関係で,2010年(平成22年)2月11日に記述しています。

『X橋』は,すぐそばに新しい道路が出来て,現在は,煉瓦造りの橋台が残っているだけですが,今月末には全て撤去されてしまう予定だそうです。

  『X橋』は,正式には「宮城野橋」というらしく,造られたのは大正10年のようで,その後昭和36年に造り直されたようですが,それからしても50年以上経っていることになりますね。

『X橋』(エックスばし)という言葉の響きは,当時(昭和40年代)仙台に住む小中学生には,何か近づけない,近づいてはいけない大人の場所というか,怪しく,危ない雰囲気がいっぱいの場所で,でも,大人になったら一度は行ってみたい気にする所ではあった気がします。

『X橋』が全て無くなるということは,古くて汚い戦後の部分が無くなってしまうことで,仙台も新しく生まれ変わるというか,東京などの何処にでもある,ただ,中都会的な地方都市になってしまう気がします。

 『X橋』の煉瓦橋台


 アエルのペデから見る『X橋』(その1)


 アエルのペデから見る『X橋』(その2)


 『X橋』の代わりに出来た道路


 名掛丁の地下通路

『仙台市立病院』今秋,長町に移転

2014年06月19日 21時17分34秒 | 消える街並み
 『仙台市立病院』は,1930年(昭和5年)に,仙台市東二番丁にあった旧裁判所庁舎を利用しての診療が開始されたそうで,私も,仙台市立病院で生まれたのですが,その後,1980年(昭和55年)三島学園の跡地(五橋)に移転して,今に至っています。

 東二番丁の跡地には,1985年(昭和60年)に当時としては,東北で一番高いビルであった仙台第一生命タワービル(地上21階)が建設されましたが,それまでは,仙台駅の住友生命仙台ビル(地上18階)が,一番高かったそうです。

 現在の宮城県庁の新築が計画された当時は,住友生命仙台ビル(地上18階)の高さを凌ぐ高さにだったそうですが,タワービル(地上21階)が,新県庁より早く建設されたために,県庁の東北一は,幻に終わったようです。

 そして,三島学園の跡地に移転してから34年が経過し,敷地・建物の狭隘化や設備面での老朽化等が問題となり,2014年(平成26年)11月1日に移転することが決まっているようで,併せて,最寄りの駅になる地下鉄駅長町一丁目駅に南2番出口(仮称)が新設される予定だそうです。

 『仙台市立病院』(その1)


 『仙台市立病院』(その2)


 仙台第一生命タワービル(右は小田急ビル)

東北大学農学部「雨宮キャンパス」が移転

2014年05月30日 21時05分26秒 | 消える街並み
 仙台市が政令都市になる前は,東北大学の敷地が仙台市域に占める割合が1/20と言っていたのを思い出しますが,青葉区雨宮にある農学部が青葉山に移転するのに伴い,その雨宮キャンパス(9.3ha)をイオンモールが買収したようです。

 当初は,NHK仙台が有力候補と思われていましたが,仙台プラザホテル跡地に移転することが決まり,その後東日本大震災が起こったこともあり,移転が4年ほど計画が延びたようです。

 イオンモールは,名取,利府,富谷,多賀城など郊外型の店舗が中心でしたが,ついに中心部へも進出することで,近年,首都圏では,郊外から便利な中心部へ戻りつつある高齢者層などをターゲットにした店舗展開を進める一環なのでしょうか。

 計画では,導入が期待される具体例として,医療モール,スポーツジム,商業施設,災害時に避難場所となる広場などもあげられており,郊外型のモールとは一味違った施設が出来るようなので,楽しみですね。

 しかし,中心部に残っていた高校などの学校施設が次々となくなり,東北大の農学部も移転するとなると,旧中心街に学校施設は全くなくなってしまう感じになり,ちょっと寂しいですね。

 昭和40年代から朴沢高校(現明成高),三島学園,宮城学院,白百合学園,東北学院と次々に郊外に移転してしまいました。

 農学部の南門


 南門を構内に入ったところ


 検問所


 南門の向いの勝山スケートセンターもなくなっていました


 北五番丁通りの杉の木


 北五番丁から北に延びる市道

『どこコレ?』(教えてください昭和の仙台)

2014年05月05日 21時47分29秒 | 消える街並み
 仙台の定禅寺通り沿いにある「せんだいメディアテーク」のオープンスクエアで平成26年4月29日(火)~5月6日(火)まで開催されている『どこコレ?』(教えてください昭和の仙台)を見に行って来ました。

 『どこコレ?』は,戦前や戦後の昭和20年~40年代に撮った写真の撮影場所を広く市民の方々に聞いている写真展で,確かに昔の写真は当然フイルムですが,今のデジタル写真の時代と違って,撮影年月日も記録されないので,何年も経過すると,どこで撮ったのかが分からなくなったものです。

 私が育った川内周辺の昭和30年~40年代なら少しは分かるのですが,仙台と言っても長町や原町周辺などのことは全く分からず,まだ場所が特定されない写真の内で,仲ノ瀬橋の完成直前(昭和30年)と完成式典(昭和31年)の写真だけは,小さい頃から何千回と通った橋なので,間違いないと確信したので,付箋を貼ってきました。

 私も昭和40年代からかなり写真を撮っていますが,街の様子を撮った写真や街の記録を意識して写真を撮っておらず,自分の写真は,被写体となる物だけをアップで撮っているので,今見ても全くその時代を反映した写真ではないことを再確認してしまいました。

 いつもこのような写真展を見て思うのは,私の中に少しでも時代を記録するということが頭にあれば,今思い出すと,楽しくなるような写真がもっと撮れていたのではないのかと後悔してしまいます。

 『どこコレ?』(教えてください昭和の仙台)のポスター


 『どこコレ?』の写真(その1)


 『どこコレ?』の写真(その2)


 昭和30年の冬頃の「仲の瀬橋」を建設中のトロッコ線路(後ろの家並は進駐軍の宿舎)


 「仲の瀬橋」完成時の渡り初め(この時の市長は岡崎栄松さん)

『仙台PARCOⅡ』が,出来るそう

2014年03月17日 20時18分10秒 | 消える街並み
 ファッションビルを展開するパルコ(東京)が,2008年に仙台駅前に『仙台PARCO』を出したのに続き,「イービーンズ」隣の日通の駐車場のある場所に、約3,300m2の『仙台PARCOⅡ』を,2016年につくることを発表しました。

 店舗スペースに加えて,シネマコンプレックス(複合型映画館)の併設もするようなので,また,仙台駅西口もドンドン変わっていく感じですね。

 今から30年以上前に,就職した会社が渋谷にあったので,土曜日となると,道玄坂やセンター街付近に繰り出したものですが,その時『PARCO』と3階で空中通路で繋がった『PARCOⅡ』を見て,東京は都会だなあと実感したものです。

 『仙台PARCO』の新館が出来るというので,空中通路で繋がった『仙台PARCOⅡ』を期待していたですが,ペデストリアンデッキでは繋がっていますが,ちょっと離れた場所になるようです。

 現在の「仙台PARCO」


 アーケード街と繋がると最高でしたが


 『仙台PARCOⅡ』が出来る予定の駐車場