気ままな歳時記

 気ままに日々の出来事を写真で綴っていきたいと思います。

『川内澱橋通』

2011年11月17日 20時16分21秒 | 仙台の横丁
 仙台の『川内澱橋通』というと,通りのことと思うかもしれませんが,今は,仙台第二高校とその北に位置する住宅地の一体を指すようです。

 尚絅学院の南の広瀬川に架かる澱橋を渡り,すぐ左折するとそこが川内澱橋通一丁目~五丁目になっており,二丁目に若かりし頃の山本壮一郎元宮城県知事さんや汚職で捕まった元仙台市長石井亨さんも住んでいました。(県の官舎が有った)

 『川内澱橋通』は,仙台で初めての団地だったと言うことを聞いたことが有りますが,一丁目から五丁目まで綺麗に道が整備されているのを見るとそんな感じがします。(何故か三丁目だけは舗装されていませんでした)

 澱橋を渡った付近の宮城県美術館があるところから広瀬川右岸一帯を川内元支倉といいますが,江戸時代は大学病院付近の支倉町から澱橋付近までを支倉常長が住んでいたことも有り“支倉通り"と言ったそうです。

 この川内一帯は,戦前から二高,東北大の学校用地と第二師団の軍隊用地と国有地だったので,無番地という住所が結構存在しますが,現在の二高の東側も,川内元支倉無番地と言った記憶がありますが,今の二高の住所は川内元支倉ではありません。

 今は無くなりましたが,旧宮城県スポーツセンターの住所は,青葉区川内無番地だったのですが,現在の国際センターは,青葉区青葉山無番地になっていますし,博物館がある青葉山公園は,青葉区川内追廻無番地となっています。
 ちなみに,網走刑務所の所在地は,北海道網走市字三眺無番地ですが,映画では「網走番外地」になっていますね。

 他では,利府町にあるJR東日本の新幹線基地は,利府町利府字新谷地脇無番地,名取市にある仙台空港関係施設のある場所は,名取市下増田字南原無番地となっているのは,広大な敷地なので,そこに点在する施設等は無番地という住所になっているのかなあと思います。

 尚絅の前の坂は「黒田さんの坂」と言っていました(確か坂の上に黒田酒店があったと思います)


 澱橋の上流側に旧橋の橋台が残っています(昭和40年代までは橋脚も一部残っていました)


 旧橋の橋台のアップ


 澱橋から広瀬川の上流を望む


 澱橋から広瀬川の下流を望む


 澱橋から尚絅学院を望む


 二高の北側の市道


 澱橋通五丁目


 澱橋通四丁目


 澱橋通三丁目


 澱橋通二丁目


 澱橋通一丁目


 澱橋通ゼロ丁目(一丁目の東側の通り)


 総務総合研究所仙台支店(昔は県の消防学校でした)


 澱橋通から大工町,川前町を望む

『谷風通り』

2011年10月26日 20時14分29秒 | 仙台の横丁
 2代目谷風(梶之助)は,1789年(寛永元年)に4代目横綱になり,大関になってから横綱で亡くなるまで29年間,3回しか負けたことがない,宮城県が誇る大横綱です。

 谷風は,仙台市若林区霞ノ目で生まれ,その立派な像は勾当台公園に有り,お墓は自衛隊霞ノ目駐屯地の東側に有ります。

 その谷風にゆかりはないのでしょうが,東五番丁の中央通り(アーケード街)と広瀬通りの間に『谷風通り』という狭い通りが有るのを知っていますか。

 通りは,幅5mもないくらいの狭い路地で,めぼしい店も見あたらないので,毎日歩いていても気づかないかもしれませんね。

 私はこの通りの真ん中くらいにある『長州』という店に,この頃よく行くのですが,ここの“マグロの中落ち(400円)”“鳥皮(100円)”“イカセット(800円くらいだった)”の3点は必ず食べますが,ここに置いてある“麒麟山”と言うお酒がまた気に入っています。

 お店は,親方と娘さん位の女性二人で切り盛りしていて,カウンター7席くらいと四人がけテーブル席2つですが,いつも予約をしないと座れないのですが,安くておいしい物を食べさせてくれるのでいつも大満足です。

※谷風梶之助:寛延3年(1750年)8月8日に宮城郡霞ノ目(現仙台市若林区霞ノ目)に金子弥右衛門の三男として生まれ,身長1.9メートル(6尺5寸),体重180キロ(48貫)で,寛政元年(1789年)四代目横綱を許され,明和3年(1766年)大関になってから寛政7年(1795年)1月9日現役横綱として46歳で死去するまで負けた数は3回のみといわれ体格,力量,人格の三拍子をそろえ,谷風の前に谷風なく,谷風のあとに谷風なしとたたえられた。

 勾当台公園にある谷風像


 谷風像の解説


 谷風通り


 谷風通り(夜)


 アエルを望む


 アエル側から望む


 アエル側から望む(夜)


 通りにある焼鳥屋さん


 通りにあるイタリアン・レストラン


 居酒屋「長州」


 取れあえず,ビール(この泡が旨い)


 突き出し(刺身とポテサラ)


 中落ち(400円)


 イカセットのイカ刺し


 イカセットの腑煮


 鶏皮(一本100円)

『せんだい横丁クルージング』(その2)

2010年07月21日 19時40分55秒 | 仙台の横丁
 前回の『せんだい横丁クルージング』に続き,「壱弐参(いろは)横丁」から始めましょう。

 「壱弐参横丁」は,「文化横丁」の南側のサンモール一番町商店街から東二番丁幼稚園までの2本の通りで,色々な店が並び,共同のトイレ,共同の井戸などもあり,まさに昭和の香りがプンプンする通りになっています。

 まず,昭和21年から使われている井戸を発見し,“豆や"さんで売っている‘はてな焼き'って,何が入っているのでしょうか?と言う事でしたが,買ってみなかったので分かりませんでした。

 アート&おもしろ雑貨の“ポカティ"は,ブタをはじめ動物などの雑貨を扱っている,ユニークな店のようで,「壱弐参横丁」には,他に“なつかし屋"や“イノダコーヒー"など私が好きな店がまだまだあります。

 次に向かったのは,「仙台銀座」にある,大きなマグロが店先に飾ってある居酒屋の“Besmo428"さんで,通りを進み,20年以上前に閉店してしまっている洋服店のドアを確認し,その近くのバーの外に飾ってある懐かしいミシンを発見しました。

 ここにある,もんじゃ焼き屋さんは,いつも若い人でいっぱいで,仙台(東北)で一番美味しいもんじゃ屋さんだと思います。

 その後に,仙台の台所と言われる「仙台朝市」に行ったのですが,あいにく祝日で,店はほとんど休みなので,平日の賑わいはなく,人気のコロッケも食べることが出来ませんでした。

 今回のクルージングの最後は,ハピナ名掛丁商店街と政岡通を結ぶ「名掛丁センター街」で,真ん中あたりの吹き抜けを確認し,そろそろ疲れが出てきたのか甘い物を欲し,人気の鯛焼き屋さんで鯛焼きではなくどら焼きを買って,名掛丁に抜けると,センター街の入り口を塞ぐように柱が立っているのに気付きました。

 名掛丁センター街には,“EST"という田中裕子にのママがやっているお店があり,20年来通っていますが,ボトルが入っていれば,1,500円で飲めるので安心です。

 ミステリーコース,原風景コース,アニマルコースの3つのコース全てにスタンプを押して,スタートのブラザー軒に戻り,それを見せると,みそ飴とキーホルダーを頂き,全て終了しました。

 何となく歩いていると気付かない事を,今回の『横丁クルージング』で色々と知ることが出来て,面白く楽しい一日を過ごすことが出来ました。
 しか~し,暑い一日でした。

 共同の井戸


 こがね焼きの“豆や"さん


 アート&おもしろ雑貨の“ポカティ"


 居酒屋の“Besmo428"さん


 20年前に閉店した洋服屋さん


 バーのウィンドウーにあるミシン


 祝日の仙台朝市は静かでした


 名掛丁センター街の吹き抜け


 鯛焼き屋さん


 センター街の入り口に立つ柱


 参加賞の飴とキーホルダー

『せんだい横丁クルージング』

2010年07月19日 20時25分46秒 | 仙台の横丁
 戦後まもなく仙台市内に出来て今でもまだ残っている横丁がありますが,かつては仙台市民の生活を支えてきましたが,今は,昔ながらの懐かしい雰囲気の店と新しい感覚の店が共存していて,又違う雰囲気を醸し出しています。

 今回,7月19日から『せんだい横丁クルージング』と題した催し物が開かれるというので,その地図を“ブラザー軒"に貰いに行き,いざ!横丁クルージングへ出かけました。

 ちなみに,それぞれの横丁には,‘原風景コース',‘アニマルコース',‘ミステリーコース'の3種類が有り,それぞれに,探す場所の指令が有りました。

 まず,「森徳横丁」にある“ブラザー軒"で高田渡さんのブラザー軒のCDとブラザー軒の歴史を感じ,タワービルにあるトーテムポールのような石のオブジェと3階の窓に飾られて鳥を確認しました。

 その後に,「東一市場」で昭和20年代の洋裁店跡や壁に書かれたユニークな絵とペットショップがある横丁を歩きました。

 一番町の果物の“いたがき" を西に曲がったところが,「虎屋横丁」で,虎がある大きな看板をくぐると,そこは「稲荷小路」になっていて,川政ビルの2階にトマソン※のドアを発見しました。

 「稲荷小路」の守り神の稲荷大明神は,横丁の陰にありなかなか見つけにくい場所にあるのですが,これ無くしてここの通りの名前はないので,大事にして欲しいと思います。

 この「稲荷小路」の西側が私の通った小学校の学区で,このお稲荷さんがある東側は,東二番丁小学校学区だったので,街の子はみんな東二番丁小学校,五橋中学校に行っていましたね。

 “おでん三吉"と居酒屋の“○△□"の前でスタンプをして,「文化横丁」の昭和21年創業の中華料理屋さんの“祥発順"に向かい,ちょっと敷居が高いので,お邪魔せず,電線の上にある風船と担々麺がめっちゃ美味しい“みらく"のふくろう三兄弟を観察しました。

 この後に,「壱弐参横丁」⇒「仙台銀座」⇒「仙台朝市」⇒「名掛丁センター街」と向かい,最後に“ブラザー軒"に戻ったのですが,それは次回で報告したいと思います。

※トマソンは,昔の巨人の選手で四番打者の位置に据えられ続けたが,空振りを見せるために四番に据えられ続けているかの様な姿がちょうど「不動産に付着して(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」という超芸術トマソンの概念にぴったりだったため,名付けられた。

 今日は,まさに梅雨明けという真夏日でした


 “ブラザー軒"のレトロな置物と高田渡さんのブラザー軒のCD


 タワービルの角にある石のオブジェ


 “ブラザー軒"の向かいの3階に,アニマルを探す指令の鳥がいました


 今は看板だけが残っている「東一市場」にある昭和20年代に繁盛した洋裁店(その当時はモダンな店名だったでしょうね)


 「東一の横丁」に壁にユニークな絵が描かれていました


 この周辺では有名なペットショップ(街中の癒し空間です)


 戦後すぐからやっている八百屋さん


 昭和28年からやっている床屋さん(今日は休みでした)


 この辺に,木の欄間が見えるはずですが,祝日でシャッターが閉まっている為,発見できませんでした


 まさにトマソン現象の川政ビルのドア(どうして,ここにドア?)


 「虎屋横丁」の看板で,虎を発見


 「虎横」といえば“ほそやのサンド"先日,名物の御主人が亡くなられたそうで,ご冥福をお祈りします


 「稲荷小路」の稲荷大明神


 「文化横丁」の中華店の老舗の“祥発順"


 電柱の上に,指令の色とりどりの風船を発見しました


 指令の3匹ふくろうがいました

“むにゃむにゃ通り”商店街を散歩

2010年04月29日 20時19分18秒 | 仙台の横丁
 仙台市青葉区五橋から東にある連坊小路は,“むにゃむにゃ通り”という面白い名前が付いています。
 連坊小路と言われるように,昔は狭くて一方通行だった気がしますが,今は,両側歩道の立派な通りになっていました。

 開運だるまさんが有る菓子店「五橋小新堂」がある五橋交差点から歩き始めると,目に付くのはお菓子屋さんやパン屋さんが多いことですが,店構えは新しいのですが,様々な店が並んでいます。

 新幹線の高架橋が見えてきたら左側に青い建物があり,これが「機械時計屋しのだ」さんで,世界の機械時計がたくさん置いてあり,ちょっと敷居が高い感じでしたが,後で調べると,ネット通販でも販売しているようなので,世界の時計を見るだけでも楽しそうです。(http://www.kikaitokei.com/)

 さらに進むと男女共学の中高一貫校になった二華中・高等学校が左手に見えて来ますが,右側に入ると,仙台駅東口の「志のぶ分店」の本店がここにあり,やはり人気のようで,外まで人が並んでいました。(「志のぶ本店」の様子は,又,後日に)

 何故,“むにゃむにゃ通り”と名前が付いたか分かりませんでしたが,いろいろな店があり,歩いているだけでも楽しくなりました。
又今度,ゆっくり来てみたい商店街でしたね。

 「五橋小新堂」の外観


 開運だるま


 “むにゃむにゃ通り”商店街のサイン


 「不二家」の外観


 「渡幸(株)」の外観


 和雑貨


 通りの桜(個人宅のようでしたが,満開で綺麗でした)


 「ぷちまるき ろくえもん」(お菓子屋さん)の外観


 「9'sBULL」(ビリヤード場)の外観


 「機械時計屋しのだ」の外観


 新幹線の高架橋


 「洋菓子&パンのオバラ」


 二華中・高等学校


 連坊小路跨線橋から東北本線を望む


 「えみちゃんちのごはん」の外観


 「甜菓堂(てんかどう)」の外観


 「幸楽寿し」の外観


 「山平和菓子本舗」の外観

『なつかし屋』

2009年05月02日 20時21分12秒 | 仙台の横丁
 前から,東北公済病院のそばにあった昭和を感じさせる『なつかし屋』さんに行ってみたいと思っていました。

 その『なつかし屋』さんが,昨年から「壱弐参(いろは)横丁」に移ったと聞いたので,飲み会の2次会で行ってみました。

 入口から昭和の匂いプンプンで,店内も昭和の映画のポスターや,昔の看板など懐かしい物ばかりでした。

 私の家でも昔,酒屋をやっていたので,“トリス”の妻楊枝入れなどは本当に昭和40年代を思い出させるものが多く‘酒は現金で’という看板は,本当に税務署の方が持って来てくれた物だそうです。

 しかし,頂ける日本酒は本当に厳選された美味しい酒とそれにあった珍味が,堪えられないくらい美味しいツマミでした。

 筋子,ワラビの酒粕,牛タンのみそ漬けの三品は,これだけで酒3合OKでした。
 もろきゅうだと思ったのですが,その味噌は豆腐から出来ている濃厚な味噌で,これもきゅうり2本は軽くいけるものでした。

 その他,今回はなかったのですが,刺身や名物のどんどん焼きなど,懐かしい中にいい酒のツマミになるようなものがいっぱい有り,次回は酔いが回る前の1次会から来て,店内をじっくり見てみたいと思いました。(今思えば,もっと懐かしい物がいろいろ有ったような気がするので・・・)

 『なつかし屋』の入口


 黒電話も懐かしい


 この他にも何種類かあった“トリス”の妻楊枝入れ


 左から筋子,ワラビの酒粕,牛タンのみそ漬


 もろきゅうの豆腐味噌添え


 ‘ご進物にはタバコを御利用下さい’


 ‘酒は現金で買いましょう’(昔は通い帳で,1ヶ月単位で掛け売りする人が多かったので,そういう看板が有ったのでしょう)

東三番丁は“人生通り”ではないか・・・と思う

2008年02月10日 19時20分35秒 | 仙台の横丁
 仙台市青葉区の東三番丁の広瀬通と定禅寺通の間には,いろいろな建物があります。
 何気なく通っていたのですが,ふと考えると,人の人生を表すような建物が通沿いにあります。

 この通りには『笹森医院(産婦人科)』,『河合塾仙台校』,『江陽グランドホテル』,『清月記』,『菊地葬儀社』があります。
 もうお気づきでしょう,赤ちゃん誕生からお葬式までの建物が揃っており,人生の転機である,予備校や結婚式場まで揃っています。

 『笹森医院』で生まれ,大学を落ちて『文理(現,河合塾)』に通い,『江陽グランドホテル』で結婚式を挙げ,家具の街の『ヒロシ』で家具を揃え,花粉症かなんかで『三好耳鼻科』に通い,人生の終演を『菊地葬儀社』で行った人がいそうな気がします。

 東三番丁を“人生通り”と呼びたくなりました。

 『河合塾仙台校』は,昔は『文理』と言って東北最大の予備校で,私も高校3年の夏季講習ではお世話になっているのですが,いつの間にか『河合塾』になっていました。

 『笹森医院(産婦人科)』


 『河合塾仙台校』(旧文理)


 『江陽グランドホテル』
 

 左が『三好耳鼻科』と右が『菊地葬儀社』,ずっと先の正面が県庁


 『清月記』

昔を懐かしんで、仙台市川内明神横丁

2007年05月06日 20時14分24秒 | 仙台の横丁
 仙台の桜はもうすっかり葉桜になってしまいましたが,仙台市青葉区川内(お城側から見ると広瀬川の内側という意味で,広瀬川の右岸のお城の直下が川内です)の八重桜がこの連休中も見頃でした。

 私が生まれたのがこの川内で,とても懐かしい場所ですが,来週開催されるハーフマラソンのコースにもなっていて,私も15年前くらいは走っていたので,この大会を4回ほど走った時,この周辺で自分の名前の声援を受けたのですが,今は10kg以上の体重オーバーでとてもランニングどころでは有りませんが・・・。

 せっかく川内に来たので,気になる横丁を思い出したので,仙台二高のすぐ近くにある明神横丁に30年ぶりに足を伸ばしてみました。
 今でも明神さんがあったのですが,少し立派になっていました。

 また,この地区の唯一の神社の為朝神社にもお参りしたのですが,40年以上前にこの神社の向いの家が火事になり,当時家で働いていたゆきおさんという青年がその火事の現場に飛び込んで火を鎮火させたのを思い出しましたが,それは確か秋山さんと言う家だったのですが,今でもまだあったことにビックリしました。

 二高の下にある川内大工町,川前町,仲ノ瀬町,明神横丁等の町は,昭和30年代の香りがする感じで,川内自体が国や県の公共用地が多いせいで,他の場所と違い,あまり変わらないのでしょうね。

 昭和30年までは,米軍の進駐軍が駐留したせいで,うちの姉などは昭和20年の食糧難の時代にチョコレートやコンデンスミルクを近所のお菓子屋さん(味噌饅頭で有名だった“さくみ”のさだこさんの所)によく貰っていたそうで,“ギブミーチョコレート”なんて言わなくても米兵さんが持ってきてくれたそうです。

 その進駐軍が居なくなる前に作ってくれた仲ノ瀬橋は,昭和31年で出来たのですが,仙台西道路が出来る時に取壊されてしまいましたが,私の小さな時の写真は仲ノ瀬橋で撮った写真が多く,また,いつも仲ノ瀬橋の下の広瀬川で遊んでいた私を橋の上からお祖母さんが“ご飯だよ”と言って夕方呼びに来てくれたのを思い出しました。

 自分が生まれただけでなく,仙台の中ででこの“川内が仙台で一番良い所で一番好き"と私はいつも言っているのですが,県美術館や市博物館に来たついでに,あなたも川内に是非来てみてくださいね。

 川内の八重桜


 5月になってもまだ綺麗な八重桜


 瑞鳳殿にもあった綺麗なツバキ


 明神横丁


 今の明神さん


 為朝神社


 仙台西道路越しに見る大工町


 左の見える4階建ての建物は、昔、二高生に調理パンで有名だった定進堂


 大工町から二高を望む(当時は、手前から魚屋さん、ブリキ屋さん、八百屋さん、米屋さんでした)


 ついでに寄った川内追回住宅は家がかなり立ち退きました

名掛丁センター街

2006年12月06日 20時52分18秒 | 仙台の横丁
 今日は綺麗な満月で、空も雲も無く晴れ渡っていました。
 
 今日は、名掛丁センター街にある“まんみ”に行ってきました。
 “まんみ”は私の知る限り、全国チェーンのラーメン店が進出しているなか、昭和50年代から根強いお客さんが足を運んでいて、そういえば、昔“エスパル”の地下の飲食街にも入っていたことを思い出しました。

 この“まんみ”もある名掛丁センター街は、さくら野百貨店の北裏の通り(政岡通)から名掛丁に抜ける横丁で、この周辺も一番丁の連鎖街ほどではないですが、色々な店が並んでいます。

 政岡通にある“平禄寿司”は、私が初めて食べた回転寿司で(確か昭和48年頃だった)、当時は“元禄寿司”といって(私の年代ではこちらの名前の方が馴染みがありすぎます)一皿50円だった気がします。
 しかし、開店2週間で食中毒の為、営業停止になった記憶あります。
 政岡通には、まだまだおもしろい店がありますので、又の機会に紹介したいと思います。

 ところで、“まんみ”の麺は、かなりこしがある太めん、スープはあっさり系の鶏ガラで、イカ、タケノコなどの具がいっぱい入ったあんかけ風の五目ラーメンをとても美味しく頂きました。
 次は、人気の五目焼きそばを食べてみたいと思います。

 名掛丁センター街


 “まんみ”の入口


 五目ラーメン


 “まんみ”のメニュー


 今日は満月でした
 

虎屋横丁

2005年12月18日 17時09分54秒 | 仙台の横丁
 仙台では通称“虎横”と呼ばれているのが、虎屋横丁で、仙台の一番町から夜の街国分町までの通りで、国分町を西に通り過ぎると、ラーメン国技場があります。
 虎横は、江戸時代に虎屋という薬種業の店があり、その店頭に木彫りの虎の置物があったので、この横丁を虎屋横丁と呼ぶようになったといわれています。

 虎横で有名な「ほそやのサンド」があり、ここのサンドと自家製のアイスクリームはとてもおいしくて、サンドといっても普通のサンドイッチのパンではなく、ハンバーガーのパンを使っています。
 店内は、とってもレトロな雰囲気で、外には、コックさんの格好をした人形があり目印になります。
 虎横と言えば、昔、“水割り定食”という店があり、懐かしくて探したんだけど、なくなっていたなあ。(残念!)

 国分町から一番町を望む(奥に見える高いビルが、タワービル)


 ほそやのサンド