気ままな歳時記

 気ままに日々の出来事を写真で綴っていきたいと思います。

石巻の『老正興』復活!

2011年10月30日 19時49分47秒 | ある日の麺喰
 このブログでも平成23年8月31日に紹介した,‘ことぶき町通り'の‘コミュニティ道路'沿いにあった「大王」の隣りの『老正興』がついに復活したようです。(おじさんは,復活したいと言っていましたね)

 今日,青山学院大ボランティアやピースボートスタッフの協力で今月初めに開通したコミュニティ道路を歩いていて,『老正興』の前を通ったら店の中に人の気配がしたので,入ってみると,店の中に花が飾って有ったので,“お店再開したんですか?"と聞いたら,“まだなんですが,無理矢理開けろという知り合いがいるので,短い時間だけ開ける事にしたんです。"とのことでした。

 メニューも今日,娘さんが作ってくれたそうで,店の中は綺麗になっていましたが,壁紙などは時間がないのでそのまま使っているそうでしたが,プレオープン(?)なのにも関わらず,お客さん次々が入って来て,おじさん,忙しくて嬉しそうだったなあ。

 私は,前から気になっていた「骨付炒飯(750円)」を頼みましたが,骨付炒飯は,普通のお店では「排骨炒飯」と呼ばれている物ですが,おじさんが1人で作っているので,時間がかかったのですが,スープと共に運ばれて来ました。

 「骨付炒飯」は,卵チャーハンにカレー風味の薄い豚ロース肉の唐揚げが付いて物で,チャーハンは程よい塩味とカレー味の豚肉が良くあって,今まで食べたことのないハーモニーを醸し出していて,美味しく頂きましたが,スープもしっかりとした塩味のキャベツと玉子が入っていて,手抜きのない美味しいスープでした。

 相席した人のラーメンを撮影させて貰ったのですが,ちぢれた中細麺が美味しそうな感じでしたが,見た目にはちょっと脂っこい感じでしたが,感想はあっさりとして,美味しいラーメンだと言うことでした。

 お勘定をしたら,まだ,プレオープンだからと50円引きにしてくれましたが,どちらかというと,おじさんにこれからも頑張って欲しいので,カンパをしなくてはいけないくらいなのですが,有りがたくオマケして頂き,お店を後にしました。

 復旧前の‘コミュニティ道路'


 すっかり綺麗になった‘ことぶき通り'の‘コミュニティ道路'(その1)


 ‘ことぶき通り'の‘コミュニティ道路'(その2)


 『老正興』の外観(隣は移転した大王)


 私が,“お店やっていないと思いました"と言ったら,ドアに営業中の札を掛けました


 メニュー


 店内


 骨付炒飯(750円)


 アップ


 キャベツスープのアップ


 相席の人のラーメン(600円)


 麺アップ

『丸源ラーメン』仙台長町南店

2011年10月29日 18時57分31秒 | ある日の麺喰
 長町のMALLを南に行き,バイキングで有名な「ひな野」が右手に見えて来ますが,少し行くと左手に『丸源ラーメン仙台長町南店』が見えて来ます。

 『丸源ラーメン』は全国チェーンで,仙台初上陸と聞いていたのですが,どこかで食べていたような記憶が・・・。そうです。昨年,奈良に行った時に食べたのが『丸源ラーメン』さんだと言うことを思い出しました。(2010年6月20日ブログ掲載)

 肉ソバというと,山形の肉ソバをすぐに連想しますが,『丸源ラーメン』の野菜肉そば(819円)は,麺は中細の中華麺で,小さく切った豚肉が入っていて,なんと柚子胡椒と大根おろしが乗っていました。

 とにかく注文してから出てくるのが早いので,もしかして,麺は博多ラーメンなどと同じで,ゆで時間が短いものを使っているのでしょうね。

 スープは,この店の売りである「熟成醤油」を使っているのでしょうが,まろやかで甘めですが,ストレートの麺によく合っている気がしましたが,スッキリと言うよりは少し脂身がある感じなので,豚骨も入っているのでしょう,また,乗っているネギは縦切りの細めになっているので,食べた時に不思議な食感がしました。

 あっさり醤油ラーメン(577円)は,肉ソバ以上に「熟成醤油」の主張が強い感じで,ちょっとしょっぱい感じがしましたが,こちらもあっさりと言う感じでなく,ストレートの中細麺に合っている味ではありました。

 『丸源ラーメン』仙台長町南店


 メニュー


 野菜肉そば


 麺アップ


 あっさり醤油ラーメン

マンボウ『北杜夫』さんが,亡くなりました

2011年10月27日 19時57分41秒 | 宮城県に馴染みの深い人々
 「どくとるマンボウ」の愛称で人気を集めた作家の北杜夫(きたもりお,本名:斎藤宗吉)さんが10月24日に腸閉塞のため84歳で亡くなりました。

 歌人の斎藤茂吉氏の次男で,兄も精神科医でエッセイストとして知られた斎藤茂太氏であり,東北大医学部を出て医師として働き,船医として調査船に乗った体験をもとに書いた旅行的なエッセイの「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーとなり,一躍人気作家になりました。

 1960年には,ナチス支配下の精神科医の悲劇を描いた純文学作品「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞するなど,ユーモラスな作品や純文学的作品の両方を執筆するなど,生前の三島由紀夫に「日本で初めての市民小説」と高く評価されました。
 
 私は,国語力アップ(?)のために本を読み漁っていた高校の頃に,「どくとるマンボウシリーズ」のほとんどと「怪盗ジバゴ」,「月と10ペンス」などを読破した思い出があり,特に「怪盗ジバゴ」は,こんな面白い話を書く作家はどんな人なんだろうと思い,いろいろと調べてみた事が有りました。

 当時,調べてみると,北杜夫さんは,東北大医学部出身の医者ということが分かりビックリすると共に,当時通っていた近所の塾の先生も,東北大医学部出身で,この先生は本当の透視も出来る凄い人だったので,東北大の医学部って,医者になるだけでなく,凄い才能や能力を持った人が沢山いる,奥が深く凄い学部だなあと思った事を思い出しました。

 「北杜夫」のペンネームは,斉藤茂吉氏の息子であることを隠す為に使い始めたようで,仙台に住んでいた時に,トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』のトニオを漢字で書くと“杜二夫”となるので,北の都仙台に住んでいたので名字を“北",“杜二夫(トニオ)”では日本人離れしているので“杜夫(もりお)”にしたそうで,まさに仙台には馴染みの深い名前になっていました。

 高校時代にテレビのネスカフェのCMで,遠藤周作さん(狐狸庵)と北杜夫さん(マンボウ)が出演し,当時,「狐狸庵VSマンボウ」の対談集などで大人の喧嘩をしていた頃をハッキリと思い出しました,マンボウさん,天国で狐狸庵先生とたくさん語り合って下さいね。


 出世作となった「どくとるマンボウ航海記」


『谷風通り』

2011年10月26日 20時14分29秒 | 仙台の横丁
 2代目谷風(梶之助)は,1789年(寛永元年)に4代目横綱になり,大関になってから横綱で亡くなるまで29年間,3回しか負けたことがない,宮城県が誇る大横綱です。

 谷風は,仙台市若林区霞ノ目で生まれ,その立派な像は勾当台公園に有り,お墓は自衛隊霞ノ目駐屯地の東側に有ります。

 その谷風にゆかりはないのでしょうが,東五番丁の中央通り(アーケード街)と広瀬通りの間に『谷風通り』という狭い通りが有るのを知っていますか。

 通りは,幅5mもないくらいの狭い路地で,めぼしい店も見あたらないので,毎日歩いていても気づかないかもしれませんね。

 私はこの通りの真ん中くらいにある『長州』という店に,この頃よく行くのですが,ここの“マグロの中落ち(400円)”“鳥皮(100円)”“イカセット(800円くらいだった)”の3点は必ず食べますが,ここに置いてある“麒麟山”と言うお酒がまた気に入っています。

 お店は,親方と娘さん位の女性二人で切り盛りしていて,カウンター7席くらいと四人がけテーブル席2つですが,いつも予約をしないと座れないのですが,安くておいしい物を食べさせてくれるのでいつも大満足です。

※谷風梶之助:寛延3年(1750年)8月8日に宮城郡霞ノ目(現仙台市若林区霞ノ目)に金子弥右衛門の三男として生まれ,身長1.9メートル(6尺5寸),体重180キロ(48貫)で,寛政元年(1789年)四代目横綱を許され,明和3年(1766年)大関になってから寛政7年(1795年)1月9日現役横綱として46歳で死去するまで負けた数は3回のみといわれ体格,力量,人格の三拍子をそろえ,谷風の前に谷風なく,谷風のあとに谷風なしとたたえられた。

 勾当台公園にある谷風像


 谷風像の解説


 谷風通り


 谷風通り(夜)


 アエルを望む


 アエル側から望む


 アエル側から望む(夜)


 通りにある焼鳥屋さん


 通りにあるイタリアン・レストラン


 居酒屋「長州」


 取れあえず,ビール(この泡が旨い)


 突き出し(刺身とポテサラ)


 中落ち(400円)


 イカセットのイカ刺し


 イカセットの腑煮


 鶏皮(一本100円)

多賀城の『明華園』

2011年10月25日 19時53分38秒 | ある日の麺喰
 『明華園』は,国道45号と県道仙台塩釜線(通称産業道路)に挟まれた多賀城の町前にあり,この周辺は3月11日の東日本大震災の津波によりかなりの被害を受けたようですが,3ヶ月後の6月20日には営業を始めたそうです。

 前から「広東麺」(店の看板にも書いてある)が売りだったのですが,相変わらず,店にいたお客さんのほとんどが頼んでいましたので,私も「広東麺セット(900円)」を注文しましたが,「広東麺セット」は,‘広東麺'に‘ミニチャーハン'とお新香が付いていて,広東麺単品で850円ですので,お得感はありますね。

 出てきた‘広東麺'は,野菜がシャキシャキして良い歯ごたえですし,細いストレート麺の茹で加減も良くて,前に食べて時より優しい味で,美味しく感じました。

 前に来た時は,若い方2人が厨房で何か喧嘩をしているようで,店内の雰囲気は,決して良いものでありませんでしたが,今回訪れた時は,年配の女性が3人と年配の男性が料理を作っていて,あの喧嘩をしていた男性2人はいませんでした。

 『明華園』の主人は,東京西銀座の「萬寿園別館」と日本橋人形町の『明華園』で修行習得し,1977年に開業したということですので,今日作っていた方がご主人なのでしょう,どうりで美味しい‘広東麺'だったわけですね。

 帰りに,烏龍茶を頂きましたが,前来た時よりも店の雰囲気も良く,美味しい‘広東麺'だったので,また来たくなりました。

 『明華園』の外観(広東麺の文字が有ります)


 広東麺セット(900円)


 広東麺


 麺アップ


 半チャン


 お土産のウーロン茶

『東京オアシス』

2011年10月24日 20時16分34秒 | ときどき,映画
 封切られたばかりの『東京オアシス』を仙台では唯一鑑賞できる“仙台フォーラム"に行って来ましたが,“仙台フォーラム"といっても分からない人もいると思うので,場所は,国分町通りをずっと北に行くと青葉神社に行き当たるのですが,国道48号との交差点を北に進み,北五番丁との交差点に有ります。

 『東京オアシス』と題されたこの映画は,「マザーウォーター」の松本佳奈監督と中村佳代監督が3つのストーリーに分けて,共同で作ったものだそうです。

 小林聡美さん扮する女性が,都会の情景の中で,加瀬亮さん扮する男性,原田知世さん扮する映画館の女性,黒木華さん扮する女性との何気ない,そうあまりドラマ性のない出来事をオムニバス風に仕上げています。

 家人がこのキャストの映画が好きなので観て来ましたが,今回は,今までの作品の中で一番何を表現したいかが分かりづらい映画で,長回しのカメラや遠回しのカメラワークが長いので,昼食後の午後一番に観たのでちょっと睡魔に勝てなかったでした。

 小林聡美扮した女性が東京のオアシスなのかと初めは思いましたが,原田知世さんとの遣り取りでは,どう見ても原田知世さんはが都会のオアシスそのものの気がしましたので,見終わった後に,頭が混乱する感じでしたが,ラフであまり意図的でない映像が続くので,この映画を観て,睡魔に襲われるのが都会のオアシスなのかとも思ってしまいました。

 映画を観る前に時間があったので,私の母校である仙台第二中学校の裏にある「六幽庵の庭園」を初めて見て来ましたが,木が鬱蒼と生い茂り,もう少し経ったら紅葉で園内が色取り取りに染められれば,この静けさから,また違った趣がある感じの庭に変身するのだろうと思いました。

 東屋などもあり,ゆっくり腰掛けて,庭園や小さな滝や池を観ていると,都会の喧噪を忘れてしまい,まさに,都会のオアシス(仙台オアシス?)と呼ぶに相応しい場所だと思いました。

 仙台フォーラムの外観


 『東京オアシス』のポスター


 仙台フォーラムにあった『東京オアシス』のカード


 「六幽庵の茶室」


 「六幽庵の庭園」(その1)


 「六幽庵の庭園」(その2)


 「六幽庵の庭園」(その3)


 「六幽庵の庭園」(その4)


 

『無伴奏』小池真理子 著

2011年10月23日 19時34分32秒 | 宮城県に馴染みの深い人々
 『無伴奏』は,作家の‘小池真理子’さんが,仙台で高校時代を過ごした1969年から1970年のことを‘野間響子’という主人公を使って回想している小説であり,時は70年安保の時代で,今では考えられませんが,高校生もその活動に参加していた時代でした。

 ‘小池真理子’さんが,宮城三女高(小説ではS女子校)で「制服廃止闘争委員会」を作り,実際に活動していたそうで,私が高校生になり,宮城一女高が制服を廃止するのはその3年後だということを思うと,時代を先取りした過激な活動だったのでしょう。

 この小説の中のキーポイントとしてクラシック音楽が出て来ますが,1つは,主人公である‘野間響子’と‘堂本渉’が,バロック喫茶「無伴奏」で初めて出会った時に聴くのが「パッヘルベルのカノン」という曲ですが,題名で思い浮かばなくても,曲を聴けばどなたでも嗚呼(ああ)と分かる曲です。

 もう1曲は,有名なチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル)で,もう1人の主人公である‘堂本渉’から‘野間響子’がプレゼントをされたレコードですが,奇しくも,私が初めて買って聴いた「悲愴」と同じレコードでした。(非常に気に入ったレコードで,同じ組み合わせの演奏で,チャイコフスキーの交響曲4から6番まで持っていたはずなのですが,家には有りませんでした。)

 このレコードのジャケットに,チャイコフスキーは同性愛者であったという節が有るとのくだりが有るそうですが,今,手元からレコードが紛失しているので,確かめようもありませんが,「悲愴」という題名はその悩みから付けたと言う節があると『無伴奏』の後半で書かれています。

 しかし,1969年から70年というと,私は中学生になり,東北放送のAMO(東北ヒットパレード)という週末深夜に放送されていたラジオ番組に夢中になっていたり,土曜の学校帰りは必ず‘東一番丁’(この小説の時代背景の1970年に歩行者天国となり‘一番町’と名前が変わりました)に同級生と寄り道をして,‘五右衛門’‘番丁ラーメン’‘酋長ラーメン’‘仁禮(にれい)’の味噌ラーメンを食べていました。 

 1970年は私にとって印象的な年で,大阪万博が開催され,三島由紀夫が自決し,70年安保への活動は下火になり(私は当時東北大に近い川内と言う所に住んでいて,東北大の学生がヘルメットをかぶり“安保反対”とデモをしていた),校内一の人気者のKさんとビートルズの話で盛り上り,彼女からヘイジュードなどのレコードを借りたことなど今でも鮮明に思い出すことばかりです。

 この小説は,1970年頃のことを回想して1990年頃書いている設定ですが,今はそれからさらに20年が過ぎた2011年ですが,小説の中に出てくる,題名にもなっているバロック喫茶『無伴奏』,洋菓子店「嵯峨露府」(郊外に‘嵯加露府'として残っています),丸光デパート(今は‘さくら野'),仙台ホテル,駅前の本屋(アイエor高山書店),東一番丁のラーメン店(番丁ラーメンor仁礼)とほとんどが無くなるか変わってしまっていて,今の仙台は,当時の雰囲気を味わうことはできなくなっていますね。

 この小説を読んでいると,まだ中学生で多感で純粋だった自分の当時のいろいろなことを思い出してしまい,ブログで書く一週間分位有り,多くのことを書かなくてはいけなくなるので,この辺で終わらせて頂きます。

 蛇足で最後に,仙台の喫茶店「無伴奏」をやっていた木村さんと作者の小池真理子さんが2年ほど前に対談をしたそうですが,知っていれば是非聴いてみたかった気がします。

 「無伴奏」というと,私はバッハの「無伴奏チェロ組曲」や「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」,「無伴奏フルートのためのパルティータ」を思い出しますが,木村さんは何が好きだったか聞いてみたい気がしましたが,私が好きなバロック音楽は,ヴィバルディの「調和の霊感」です。

 「無伴奏」の文庫本と「パッヘルベルのカノン」の入ったイ・ムジチのCD


 洋菓子店「嵯峨露府」の有った場所は,下着屋さんになっています


 「無伴奏」の場所を教えてくれた土屋ミシン屋さん


 その隣が「無伴奏」が有った場所で,今はビルが建っています


 「番丁ラーメン」が有ったと記憶する場所


 中学時代に,味噌ラーメンをよく食べた「仁禮」が有った通り

最強の「カキフライ定食」発見! 『さかな亭』

2011年10月22日 19時10分10秒 | 日々の出来事
 先日,「かき徳」の一時休業の話題をしましたが,街を歩いていても“カキフライ”のことが頭から離れない感じです。

 久々に,仙台で昼食の時間だったので,何処で食べようかと壱弐参横丁と文化横丁を歩いていたら,夜にしかお邪魔したことのない『さかな亭』のランチの看板に“カキフライ”の文字を発見しました。

 “カキフライ”の文字に誘われて,『さかな亭』に向かう狭い階段を3階まで上り,すぐに「カキフライ定食(800円)」を頼みましたが,お店に来た方のほとんどが,海鮮丼(700円)を食べていたので,私だけの為に油を温める時間などで時間がかかったのでしょうか,15分ほどして目の前に“カキフライ”が運ばれて来ました。

 「カキフライ定食」を見てビックリしたのは,小さめですが“カキフライ”の数を数えてみたら,何と10個も皿に積み重なっているではないですか。
 “カキフライ”は,衣が少なくてカラッしていて,カキ本来の美味しさが出るような揚げ方で,思わず‘旨い’と唸ってしまいました。

 その他にも小さいガンモ煮とお新香が付いて800円とは驚きの安さで,普通の店の“カキフライ”は衣が多く,カキも大振りのものですが,4~5個というのが標準ですので,10個入っているのは初めての経験でしたので,カキ好きの私的には,最強の「カキフライ定食」を見つけた感じで,機会があれば毎日でも『さかな亭』に行きたいくらいです。

  『さかな亭』の外観(このビルの3階です)


 外のメニュー看板


 店の中のメニュー


 カキフライ定食(800円)


 カキフライのアップ(分かりづらいのですが,カキフライは10枚重ねっていています)


 この日は,まさに秋の空でした(勾当台公園)

『夜来香 (イエライシヤン)』

2011年10月21日 20時08分08秒 | ある日の麺喰
 仙台市内の国道4号沿いの荒町交差点にある『夜来香 (イエライシヤン)』は,“スーラータンメン"が美味しいとの噂を聞いていたので,前から食べてみたかったのですが,ようやく行くことができました。

 お店のメニューによれば,「スーラータンメン」は辛さがA・B・C・ウルトラC・スーパー・エンドレスと6段階になっていて,値段も少しずつ違うようで,私は中間のCを頼みました。

 出てきた“スーラータンメン"は,本当に辛そうで真っ赤な色をしていましたが,スープを飲んでみると辛さと酸っぱさが良くマッチしていて,良い感じの味を出していました。

 麺は,ストレートの麺で,中には細切りのタケノコ,豚肉,豆腐,ピーマンが入っていて,程よい辛さと酸っぱさで,麺に細切りの具が絡み,評判通り,とても美味しい“スーラータンメン"でした。

 エンドレスを食べている人がいましたが,ヒーヒーとは言っていなかったので,もの凄く辛いわけではないのかなあと思いましたが,私はCで十分だと感じました。 

 『夜来香 (イエライシヤン)』の外観


 メニュー


 スーラータンメン・C(810円)


 麺アップ

『かき徳』が一時休業

2011年10月19日 20時17分16秒 | 日々の出来事
 先日,稲荷小路の「ここが味噌」という店で送別会が有ったのですが,その場所は,いつも『かき徳』のカキフライランチを食べる「かき徳ビル」(稲荷小路の角)だったので,『かき徳』がなくなってしまったのかと思っていました。

 今回,昼間に一番町を歩いていたら,『かき徳』の出店があったので“お店は,何処かに移ったのですか?”と聞いたところ,“料理店のほうは一時休業です,総菜等の販売は地下一階でやっています”という返事でした。

 “まるごとフェスティバル"でも店を出していましたし,惣菜コーナーで買えば,カキフライを食べることが出来るのでしょうが,お店でこの季節に『かき徳』のカキフライを食べられないのは非常に残念です。

 しかし,全く辞めてしまったわけではないようですが,お店を他のテナントに貸すということは,すぐには復活しないということなので,今シーズンは,久美食堂(平成22年11月27日紹介)にでも繰り出す必要がありそうです。

 「かき徳ビル」の案内(2階より上に『かき徳』の文字がありません)


 弁当などのポスター


 地下の惣菜コーナーは営業中のようです