今日は,お天気が良く,家人が独身の頃住んでいた原町界隈がどのように変わったのか,見てみたいという事で散策が始まりました。
宮城野区原町(はらのまち)本通りは,国道45号と榴ヶ岡の国の合同庁舎付近から坂下交差点付近まで並行して走っている道路で,延長は約1.4kmあります。
原町は,江戸時代は,仙台藩の東の玄関口だったらしく,城下外れの宿場町として栄え,1945年の仙台空襲でも全焼をまぬがれたおかげで,今でも古い建物が残っていますが,やはり老朽化して取り壊されたり,建て替えられたりている建物も多いようです。
1991年(平成3年)に,歩行者が安心して歩け,人に優しいコミニティ道路にする為に,歩道をカラーブロックに,花壇を交互に設けて車道を蛇行させ,車道に20mどこに段差を作り,車がスピードを出せないようした時も有ったのですが,現在は,車道の段差は無くなっていました。
本通りを歩いていると,表具屋,銭湯,米穀店,菓子店,駄菓子屋,自転車屋,魚店,酒屋など昔は必要な物が全て近所で買えることができたし,家の身の回りの物も全て売っていたものですが,本通りはその事を蘇らせてくれる街でした。(マーキュリーストアーがサンマリに変わっていました)
原町本通りを西に抜けて,国道45号の歩道を少し歩くと,「トレボン」の私世代には懐かしい看板の文字が見えて来ます。
近所のお店でも売っていましたが,たまに行く銭湯の透明な冷蔵庫に必ず牛乳と並んで入っていたのが“トレボンナマー”でした。
私はリンゴ味の“トレボンナマー”が大好きで,銭湯に行くのはこれが目的だった気がしますが,家の薪で炊くお風呂が壊れないと行けなかったので,断水や何とか風呂が故障しないかなと子供心ながら,思ったものです。
家人の話によれば,昔,坂下交差点少し西側の国道45号沿いに「ピエール洋菓子店」というケーキ屋さんがあり,結構通っていたらしいのですが,閉店してしまいケーキ屋さんを辞めたと思っていたらしいのです。
しかし,TVで加美町でケーキ屋さんをしている事を知り,早速,薬莱土産センターに行った時立ち寄ったら,20年以上前の事を覚えてくれていたようで,感激していました。
原町本通りの出口は,坂下交差点で,昔は,仙石線の待ち時間の長い踏切と,鶴ヶ谷から来る自動車,そして交通量の割には片側1車線しかない国道45号のために,仙台市内でも有数の渋滞カ所でしたが,今では,国道も広くなったし,仙石線も地下化されたので,渋滞はかなり緩和されたようです。
坂下交差点付近は,1976年(昭和52年)まで走っていた市電の東の終点で,まさにここが仙台の市街地の東端だったことを示すものですね。(市電の西の終点は,大崎八幡の少し西,北は北仙台駅,南は長町駅でした)
本通りの入り口の国道45号の歩道に建つオブジェ「生動雲(佐藤淳一作)」
今では珍しくなった銭湯「錦湯」さんと「八嶋薪炭店」
今はもうやっていない下宿屋さん「遠藤屋」さん
「長谷川菓子店」今でも小学生は通っているのかな
街の写真館「庄司写真館」
米穀店だったと思います
昔からある,原町小学校そばの「永島まんじゅう店」さん
こんなお洒落な店も出来ていました「香り屋」さん。お陰様で和ませてもらいました
鯛焼きやさん(夏はかき氷も)だそう「金ギョ屋本舗」さん
原町本通りの中心から西を望む
原町本通りの中心から東を望む
千手観音堂と巨大な乳銀杏の木
原町の有名店パイシューの店「スガワラ」(原町本通り側)
一番町にもある「スーパーマーケットOK」(昭和40年代はこのビルは「東日の出」という映画館だった気がします)
歴史が感じられる「安附表具店」さん
ボタンと手芸の店「タンノ」さん
1977年(昭和52年)まで青葉通りにあったカッコウ時計が1998年(平成10年)に原町に蘇ったそう
原町苦竹の道知るべ石(本来はここから西に向かい,国道45号までが原町本通りのようです)
原町本通りは,古家とマンションが混在しています
本通りから少し西に向かい北の坂を下りると「トレボン食品」の工場があります
国道45号沿いにある「工藤かじや」さん
原町のシンボルといえば昔からNTTの電波塔
東郵便局側から坂下交差点を望む
坂下交差点歩道橋からガス局方面を望む
坂下交差点歩道橋から南を望む
原町本通りと国道45号の合流点
梅田川の上流を望む
梅田川の下流を望む(川の中にアパートがあります)
坂下交差点東の梅田川沿いにあるアパート
(家人が,仙台に来て初めて1人暮らしをしたアパート。当時はもっと古くさい感じだったそうですが,外壁の色が変わりまだ残っていました)
宮城野区原町(はらのまち)本通りは,国道45号と榴ヶ岡の国の合同庁舎付近から坂下交差点付近まで並行して走っている道路で,延長は約1.4kmあります。
原町は,江戸時代は,仙台藩の東の玄関口だったらしく,城下外れの宿場町として栄え,1945年の仙台空襲でも全焼をまぬがれたおかげで,今でも古い建物が残っていますが,やはり老朽化して取り壊されたり,建て替えられたりている建物も多いようです。
1991年(平成3年)に,歩行者が安心して歩け,人に優しいコミニティ道路にする為に,歩道をカラーブロックに,花壇を交互に設けて車道を蛇行させ,車道に20mどこに段差を作り,車がスピードを出せないようした時も有ったのですが,現在は,車道の段差は無くなっていました。
本通りを歩いていると,表具屋,銭湯,米穀店,菓子店,駄菓子屋,自転車屋,魚店,酒屋など昔は必要な物が全て近所で買えることができたし,家の身の回りの物も全て売っていたものですが,本通りはその事を蘇らせてくれる街でした。(マーキュリーストアーがサンマリに変わっていました)
原町本通りを西に抜けて,国道45号の歩道を少し歩くと,「トレボン」の私世代には懐かしい看板の文字が見えて来ます。
近所のお店でも売っていましたが,たまに行く銭湯の透明な冷蔵庫に必ず牛乳と並んで入っていたのが“トレボンナマー”でした。
私はリンゴ味の“トレボンナマー”が大好きで,銭湯に行くのはこれが目的だった気がしますが,家の薪で炊くお風呂が壊れないと行けなかったので,断水や何とか風呂が故障しないかなと子供心ながら,思ったものです。
家人の話によれば,昔,坂下交差点少し西側の国道45号沿いに「ピエール洋菓子店」というケーキ屋さんがあり,結構通っていたらしいのですが,閉店してしまいケーキ屋さんを辞めたと思っていたらしいのです。
しかし,TVで加美町でケーキ屋さんをしている事を知り,早速,薬莱土産センターに行った時立ち寄ったら,20年以上前の事を覚えてくれていたようで,感激していました。
原町本通りの出口は,坂下交差点で,昔は,仙石線の待ち時間の長い踏切と,鶴ヶ谷から来る自動車,そして交通量の割には片側1車線しかない国道45号のために,仙台市内でも有数の渋滞カ所でしたが,今では,国道も広くなったし,仙石線も地下化されたので,渋滞はかなり緩和されたようです。
坂下交差点付近は,1976年(昭和52年)まで走っていた市電の東の終点で,まさにここが仙台の市街地の東端だったことを示すものですね。(市電の西の終点は,大崎八幡の少し西,北は北仙台駅,南は長町駅でした)
本通りの入り口の国道45号の歩道に建つオブジェ「生動雲(佐藤淳一作)」
今では珍しくなった銭湯「錦湯」さんと「八嶋薪炭店」
今はもうやっていない下宿屋さん「遠藤屋」さん
「長谷川菓子店」今でも小学生は通っているのかな
街の写真館「庄司写真館」
米穀店だったと思います
昔からある,原町小学校そばの「永島まんじゅう店」さん
こんなお洒落な店も出来ていました「香り屋」さん。お陰様で和ませてもらいました
鯛焼きやさん(夏はかき氷も)だそう「金ギョ屋本舗」さん
原町本通りの中心から西を望む
原町本通りの中心から東を望む
千手観音堂と巨大な乳銀杏の木
原町の有名店パイシューの店「スガワラ」(原町本通り側)
一番町にもある「スーパーマーケットOK」(昭和40年代はこのビルは「東日の出」という映画館だった気がします)
歴史が感じられる「安附表具店」さん
ボタンと手芸の店「タンノ」さん
1977年(昭和52年)まで青葉通りにあったカッコウ時計が1998年(平成10年)に原町に蘇ったそう
原町苦竹の道知るべ石(本来はここから西に向かい,国道45号までが原町本通りのようです)
原町本通りは,古家とマンションが混在しています
本通りから少し西に向かい北の坂を下りると「トレボン食品」の工場があります
国道45号沿いにある「工藤かじや」さん
原町のシンボルといえば昔からNTTの電波塔
東郵便局側から坂下交差点を望む
坂下交差点歩道橋からガス局方面を望む
坂下交差点歩道橋から南を望む
原町本通りと国道45号の合流点
梅田川の上流を望む
梅田川の下流を望む(川の中にアパートがあります)
坂下交差点東の梅田川沿いにあるアパート
(家人が,仙台に来て初めて1人暮らしをしたアパート。当時はもっと古くさい感じだったそうですが,外壁の色が変わりまだ残っていました)
パイとシュー『スカワラ』のパイは好物です。
特に、注文すると作っていただける『洋ナシのパイ』が好きです。
このパイを誕生日ケーキの代役にしてます。(笑)
『洋ナシのパイ』とは,おいしそうね,知りませんでしたが,今度頼んでみようと思います。
東郵便局の隣りのケーキやさんが無くなってからかなり経っていて,今は,ラーメンやさんになっています。
その当時,お店は1人で切り盛りしていて,手作り感のあるケーキだった印象があります。
ただ無くなったのではなく,仙台の方に移転していたと聞いてほっとしました。