今日は,本格的な雪が降り,まさに12月になったなあと実感しましたが,冬の定番ソングの元祖女王である,ユーミンについてまた今日も語りたいと思います。
『ひこうき雲』のアルバムが発売された1973年(昭和48年)11月頃の日本は,プロ野球では巨人は“V9”が達成し,政治では田中角栄首相の“日本列島改造論”の嵐が吹き荒れ,第1次オイルショックで日本中が大騒ぎしていました。
その頃,高校生だった私は,漠然と将来への不安を抱えながら,しかし,毎日洋楽を聴きまくっていて,週末となると,一番町のサンリツや中央通りのサイトウ楽器に入り浸っていました。
しかし,電力ビルでバイトをしていたので,吉田拓郎,井上陽水,NSP,オフコースなどの日本のフォークなども聴いていましたが,さすがにレコードを買うほどではなかったので,『ひこうき雲』のアルバムを買ったのは,大学に入って仙台を離れた1975年になってからでした。
実際,この『ひこうき雲』は,ユーミンが「ルージュの伝言」「あの日に帰りたい」「COBALT HOUR」とヒットを連発した1976年になってから売れたようで(年間アルバム売り上げ第10位),ユーミン作「いちご白書をもう一度」をバンバンがヒットさせて時期も同じ頃でしたね。
『ひこうき雲』のクレジットを見ると,バックミュージシャンは凄い人達で,当時キャラメルママと言うグループだった細野晴臣さん,松任谷正隆さん,鈴木茂さん,林立夫さんで,その他に小原礼さん(奥さんは尾崎亜美さん)などそうそうたるメンバーが演奏をしていてビックリしますが,ユーミン初期の音楽を支えたのが彼らだったと,昨日,11月30日のNHKの放送を見て再確認しました。
アルバムは,ゆったりとしたピアノで始まる表題の「ひこうき雲」で,アルバムを通して,空や雨を題材とした曲が散りばめられ,最後に「ひこうき雲」の演奏でフェードアウトし,まさにこれぞトータル(コンセプト)アルバムという感じでした。
このアルバムを聴いた時の印象は今でも強烈に残っていますが,歌謡曲とは質が違うし,フォークとも違う,自分とは住む世界の違う異次元の人が書いた音楽だなあという印象を受けました。
当時のステレオセットは,今聴いているようなコンパクトな物のではなく,本格的なオーディオで,スピーカーはM6,アンプもオンキョーという環境だったので,とにかく低音が響く曲が多かったいう印象がありましたが,バックがキャラメルママだとことが,音作りに影響していたのですね。
先日,ユーミンの40周年のべストアルバムが出たばかりですが,改めてこのデビューアルバムを聴くと,ユーミン恐るべしというか,このアルバムにユーミンの都会的で洗練された曲作りの原点がある気がしました。
まだまだ,書きたいことがあるのですがこのへんで。また,長くなってしまいました。
ユーミンのデビューアルバム『ひこうき雲』
『ひこうき雲』のアルバムが発売された1973年(昭和48年)11月頃の日本は,プロ野球では巨人は“V9”が達成し,政治では田中角栄首相の“日本列島改造論”の嵐が吹き荒れ,第1次オイルショックで日本中が大騒ぎしていました。
その頃,高校生だった私は,漠然と将来への不安を抱えながら,しかし,毎日洋楽を聴きまくっていて,週末となると,一番町のサンリツや中央通りのサイトウ楽器に入り浸っていました。
しかし,電力ビルでバイトをしていたので,吉田拓郎,井上陽水,NSP,オフコースなどの日本のフォークなども聴いていましたが,さすがにレコードを買うほどではなかったので,『ひこうき雲』のアルバムを買ったのは,大学に入って仙台を離れた1975年になってからでした。
実際,この『ひこうき雲』は,ユーミンが「ルージュの伝言」「あの日に帰りたい」「COBALT HOUR」とヒットを連発した1976年になってから売れたようで(年間アルバム売り上げ第10位),ユーミン作「いちご白書をもう一度」をバンバンがヒットさせて時期も同じ頃でしたね。
『ひこうき雲』のクレジットを見ると,バックミュージシャンは凄い人達で,当時キャラメルママと言うグループだった細野晴臣さん,松任谷正隆さん,鈴木茂さん,林立夫さんで,その他に小原礼さん(奥さんは尾崎亜美さん)などそうそうたるメンバーが演奏をしていてビックリしますが,ユーミン初期の音楽を支えたのが彼らだったと,昨日,11月30日のNHKの放送を見て再確認しました。
アルバムは,ゆったりとしたピアノで始まる表題の「ひこうき雲」で,アルバムを通して,空や雨を題材とした曲が散りばめられ,最後に「ひこうき雲」の演奏でフェードアウトし,まさにこれぞトータル(コンセプト)アルバムという感じでした。
このアルバムを聴いた時の印象は今でも強烈に残っていますが,歌謡曲とは質が違うし,フォークとも違う,自分とは住む世界の違う異次元の人が書いた音楽だなあという印象を受けました。
当時のステレオセットは,今聴いているようなコンパクトな物のではなく,本格的なオーディオで,スピーカーはM6,アンプもオンキョーという環境だったので,とにかく低音が響く曲が多かったいう印象がありましたが,バックがキャラメルママだとことが,音作りに影響していたのですね。
先日,ユーミンの40周年のべストアルバムが出たばかりですが,改めてこのデビューアルバムを聴くと,ユーミン恐るべしというか,このアルバムにユーミンの都会的で洗練された曲作りの原点がある気がしました。
まだまだ,書きたいことがあるのですがこのへんで。また,長くなってしまいました。
ユーミンのデビューアルバム『ひこうき雲』
初期の頃の楽曲でキャラメルママが演奏していたことは知ってましたが、改めて聴きなおすと、邪魔にならない程度に叩くドラムスとベース。そして、ピアノをサポートするようなキーボード。テクニックを抑えながらではあるけどスゴくイイギターの入れ方。
こんなメンバー!すごい!
改めて、ミスリムなんかも聴いてみたいと思います。
ひこう雲のセッションは,音も優しくレコードよりも良い音がしていましたね。
こんなバックで歌っていたユーミンは幸せだったと思いますね。
ご無沙汰してます。
ユーミンの話題なので、ついつい、書き込んでしまいました。
私たちの世代は、ユーミンか中島みゆきかで、大きく二分されてたように思います。
もちろん、私はユーミン派でしたが・・・
高校生の頃、「ひこうき雲」や「私のフランソワーズ」を友だちとピアノで弾き語りをしてました。
あの頃は、ユーミンのLPとピアノ楽譜を持ってるのがステータスだったなぁ・・・
ピアノでユーミンとは格調高いですね。
確かに初期の作品は,ピアノの弾き語りにピッタリの曲が多かったですね。
私はユーミン派でしたが,中島みゆきの初期は両方を聴いていましたね。
しかし,コンサートに行った回数はユーミンの方が断然多かったですが。