農業じゆう人

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フェイクはエイプリルフールだけで・・

2017年03月30日 12時32分23秒 | 
    明後日の4月1日はエイプリルフール!です。  
   昔はシャレたウソでも流してやろうか!と、茶目っ気たっぷりに知恵を働かせたものでした。
   そして仲間内で、アイワイ騒ぎ“なぁ~んだそうか!”と大笑いをしてジ・エンドでした!
   しかし、この楽しみも裏の裏のシャレが分らない人が多くなってつまらなくなり止めた。
    (自分ではなく、東京新聞の‘こちら特報部’など一部だけしか楽しめなくなった)
   SNSで「誰々がこんなことを言っていた」とシャレではなく本気で捉えられ流されてしまい、
    それが炎上でもしようものならとんでもないことになることもあるからだ。
    (正直、私のエイプリルフールの書き込みなんて誰も見ないのであり得ないですがネ)
    そうなってしまうとシャレがシャレで済まない時代になったということでしょうナ?

   米“トランプ大統領”の就任以来『フェイクニュース』という言葉がマスコミを賑わしている。
   昨今は特に事実無根や事実を歪曲した情報をネット上等で本物のニュースのように流すという
    意味で使われています。
   新聞報道によれば「ドイツの“メルケル首相”が難民を装ったテロの犯人と並んで自画どり」
    とのフェイクニュースも流れたらしい・・。
   何が真実で、何がウソなのか?分からない状態は社会の健全な精神を不安定なものにさせるもの。
   後から「誤報でした」と正しい情報が流れてくれば多少は救われるとおもわれるが・・
    「フェイクニュースかどうか」という議論だけでは何にもならない。
    これでは単に「デマ」と同じで社会を混乱させるだけのことだ。

   ドイツの哲学者“ニーチェ”は“人々がおおむね正直なことを言うのは・・なぜか?”
                 “ウソをつかない方が気楽だからである”といっています。 
   更に英国の劇作家“バーナード・ショウ”は、“ウソつきの受ける罰は他人が信じてくれない”
     というだけでなく“自分が他の誰をも信じられなくなることである”と述べています。

   ウソは自分のためにもならないが、自分のウソを信じるようになったら・・
    それは「人間最大の堕落」だと思いますよ・・。

     人間の社会は「信頼」の上に成り立っているものでありたい!
     フェイクニュースなどというものは、エイプリルフールだけにしてもらいたいものです。

     エイプリルフールは後々大笑いをして終わるようなものでありたいなぁ~・・
                  ・          ・

   我が街の「さくら通り」に沿って約3.4㌔㍍ある‘さくら・542本’が咲き始めました
   まだまだボチボチですが、きのうからの暖かさで日に日に咲くと思われます。
      
            今朝6時半ころの関公園での状況です。
   我が家のすぐ東側の‘さくら並木’も蕾の多くが赤くなり間もなく咲くと期待しています