農業じゆう人

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金魚で涼む?江戸川区の夏

2016年08月19日 13時03分10秒 | 地域
  夏真っ盛りのこのごろ、鉢の中を優雅に泳ぐ金魚は涼感を与えてくれる夏の風物詩では・・!
  そんな金魚の日本三大産地と呼ばれているのが「東京都江戸川区」です・・?
   「奈良県の大和郡山市」や「愛知県弥富市」と並ぶ産地なんですが、ご存知でしたか
  区内で養殖業者は年々減少しているそうですが、質の高い技術を守り続けている  
   堀口養魚場の5代目“堀口さん”に歴史などを聞いたのをまた聞きした
   (私メ、以前にすぐ近くの春江町に住んだことがあるので昔・4代目に会ったことがある)
    
       組合の場所             セリの最中
   「金魚が中国から日本に伝来したのは大阪・境で、室町時代末期」といわれているそうです。
   18世紀に刊行された日本初の金魚の飼育手引書「金魚養玩草」にそうした記述が見られるという
   最初は大名や豪商らに広まったが、戦いがなくなり社会が安定した江戸時代、18世紀半ばから
    庶民に普及したそうだ。  江戸の金魚養殖は不忍池付近から始まり、明治時代には東に拡大。
   1897年(明治30年)ごろには、水源豊かな現在の江戸川区平井、小松川に養殖業者が移ってきたと

   江戸川区内で金魚養殖が最盛期を迎えたのは、大正末期から昭和初期といわれているそうだ
   需要が高まり、養殖業者の卸売業者への転業も増えた・・が、第二次世界大戦を迎えると一転、
    食糧難で食用のコイの生産や、養殖池の耕地への転換が強いられ、受難の時代を迎える。
   戦後は養殖を復活させ、輸出も増やし、全国有数の生産地へと成長していったそうだ!

   紅白模様が鮮やかで、丸み豊かな「江戸川リュウキン」は、“堀口さん”の先代が生んだ伝統種
   1947年の台風で金魚池が冠水などで被害を受けたが、手元にわずか残った貴重種である
   「更紗(さらさ)リュウキン」と、江東区の砂町の養殖業者から譲り受けた金魚を交配させて江戸川を
    代表する金魚を完成させたんだそうですョ!   へぇ~驚きで~す
   “金魚はつくる人が変われば、形も色も変わり、同じものをつくるのは容易じゃないんです”と
   先ほどの“堀口さん”はおっしゃっています。 
   交配させて生まれる金魚は親の色や形に影響を受ける。その親の選別に経験や勘が求められて
   「養魚場を継ぐのに、先代の父の選別をひたすら見つめ、学んでいった」そうです・・。

     高度経済成長期以降は都市化で地価で高騰し固定資産税が上昇。 水質悪化などもあって
     最盛期に20軒あった養殖業者は、70年代後半には6軒になり、今では2軒を残すのみ
     “堀口さん”は“跡継ぎはいないけど、生きてる限り養殖を続けたいね~”とポツリ

    養殖業者らでつくる東京都淡水魚養殖漁業協同組合は、毎週木曜日に金魚のセリを開いている
    学校の社会科見学などは、事前に申し込めば、可能な範囲で受け付けるそうです。
    時代の変化を泳いで来た金魚を身近に感じ、歴史を学んでみるのも楽しいものでは・・・
    お子様の夏休みの「自由研究」のひとつとして見学されてはいかがでようか・・!