農業じゆう人

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亡き人の声を聞こう

2016年08月27日 12時45分20秒 | 世間
  8月もあと4日を残すだけとなった。 夏休み中の生徒や学生の皆さん宿題は大丈夫ですか?
  これからは宿題の追い込みで大変な人もいらっしゃるのでは・・? 私も経験ありました
   これからは月末にかけては、台風10号の影響で、幾分涼しく勉強しやすいのでは・・   
  早くもそんな時期になっちゃったんですネ~  毎度ながら月日の経つのは早いものです
   そう言えば今朝ウォーキング途中で、黄色くなり頭を垂れた「稲穂」を見つけました~!
   そして家に帰ったら庭先の緑のカーテン用に植えたメロンが・・完熟状態になっていました!
           

  その8月といえば・・広島と長崎の原爆忌。そして終戦の日(敗戦の日)。それにお盆も重なり、
  今年は例年になく、この世にいない人への思いが深まりました・・!
   放送や活字で体験を踏まえて、反戦と平和を語り続けた人たちの訃報があい続きました!

   ☆この夏もラジオから“評論家・秋山ちえ子さん”が読む「かわいそうなゾウ」が流れた。
    皆さんもご存知かと思いますが、戦争中、動物園のゾウが殺された実話をもとにした童話です 
    秋山さんは40年以上、終戦の日に合わせてラジオで、朗読をを続けてきました
    ご本人は4月に99歳で旅立ってしまったが、思いは引き継がれました。
    秋山さんがラジオに関わり始めたのは戦前。結婚して中国に渡り、戦後、再びマイクの前へ
    女性を啓発するNHKの番組で、暮らしの話題や時事問題などを伝えたそうです。
    その後1957年から2005年まで、TBSラジオで番組を持っていました
    もし戦争中日本にいたら“お国のために戦ってください!というような放送をしていたのでは”
     と後々語っていました。
    番組の事前録音を好まないといわれたのは“生放送にしておかないと、戦争がはじまりそうな
     ときに《反対しましょう》と言えないから”だったそうです・・。
    放送が国策のために使われていた時代、そしてGHQの検問を肌で知る人の冷徹な見方では・・

    少年の目で戦争を見つめた昭和ひとけた世代世代も、次々と鬼籍に入ってしまった
   ☆「焼け跡闇市派」を自称した“作家の野坂昭如さん”は、昨年12月に85歳で亡くなった。
     (私の印象は大島渚監督とケンカをした人&角栄さんに挑戦した人のイメージが強い)
    14歳で神戸大空襲を体験し、栄養失調で妹を失った体験を踏まえた小説「火垂るの墓は、
     過酷な体験を世代を超えて伝えています。
    “戦争でひどい目に遭うのは、年寄りや子供など力の弱い者”だと、病に倒れた後になっても
    変わることなく反戦を訴え続けた。 
    亡くなり直前まで、毎週ラジオ番組に寄せた手紙で戦争は絶対ダメ!と警鐘を鳴らしていた。 
    〈(日本は)たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和
      とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない〉

   ☆この手紙を受け取った“永六輔さん”も先月、83歳で逝ってしまった。
    作詞・文筆など多彩に活躍したが、旅に暮らし、各地の人々の営みをラジオにのせるのを
    ライフワークにしていました。
    様々な「弱者の応援団」を買って出て、権力にユーモアをもって素晴らしい対抗を測った。
    例えば、尺貫法の復権。 計量法で尺寸単位の物差しが違法とされて、伝統を継ぐ職人の
     皆さんらが困っていた。 その話を聞いた“永さん”、お仲間の皆さんを連れだって
     そのことをラジオや舞台で面白おかしく訴え、ついに国に併用を認めさせた。
     (私も、この話し各所で何回か聞きました!)

   ☆「11PM」などのテレビ番組を作った“大橋巨泉さん”も先月、82歳で亡くなった。
    “永さん”が呼んだのか?と疑うくらいすっ~と後を追うように旅立ってしまった
    11歳で敗戦。 教え込まれた「国のために命を捨てるのは当然!」という価値観が反転した
    戦争が始まると、国民は一方向きの生き方を強いられ、自由や遊びは封じられた・・。
    “巨泉さん”はその対極を生きてきたようだ。 テレビにゴルフ、競馬・マージャンなどの
    遊びをそれまでのタブーを破って持ちこんだといわれている。
    50代で半分隠居して、趣味に生きて、他の人々を羨ましがらせた張本人だ・・!
    01年、民主党の参院議員になったが、党が賛成した自衛隊の海外派遣に、政府の説明が
     不十分だとして反対し“戦争を経験した人間として譲れない一線はある”と主張を曲げず
     結局、議員は半年で辞めたのは有名な話しですよネ

    その後も、今の安倍政権はテレビに神経をとがらせすぎている!とも言っていた。
    政府と違う見方を伝えたニュースを首相が「偏っている」と非難し、「政治的公平」をいう
    自身はラジオには出ない!と言いだし、挙句は特定の局(ニッポン放送)なら出るといって出た
    疑問を抑えて集団に合わせる風潮が高まる現在、それを拒み「個」を大事に貫いていた
     “巨泉さん!” その姿勢が、いまの世に問いかけるのもは大きいのでは!と思う・・。

   ☆つい先日も、「反戦」を訴え続けていた“ジャーナリスト・むのたけじさん”も旅立った
                       (8月22日に書きこみました)

   どうしたら亡き人の声が聞こえるのだろうか?
    2月に81歳で旅立った“能面師ワキ方の名手、宝生閑さん”の言葉を思い出す
    能には亡霊が主人公(シテ)の作品が多い。 ワキ方が演じる鳶の僧は死者が現世に残した
    思いの聞き役となるんだそうだ・・?
    “閑さん”は生前、こう話していたそうです。
     “僧には好奇心と向学心がある。だから、シテは自らを語るんです。歴史や文学の素養が
      なくては、彼らの声を聞くことはできない。 
      亡霊だってせっかく現れたのに、『伊勢物語、それなんですか?』なんて言われたら
      困ってしまうでしょう・・。 だから理解できる相手を選んで現れるハズですよ・・”
    
      受け手に意欲と知恵があってこそ、亡き人の声は届く!ということですね!
      それらが聞き取れる耳を遅ればせながらではあるが、磨きたいと思いました。
      過去に学び、明日を考えることができるようになるために・・・!