疑似餌釣り師の酒蔵だより

酒好きルアーフィッシャーが蔵出しするボヤキ

セイコー5という腕時計

2015年02月18日 | 昭和の風景
腕時計はしない主義で、まだ携帯もPHSも普及する前からしてない。
都内で仕事をしていると、それほど不便ではないし、酒を飲んだ時などは終電が気になり、緊張感のため逆に終電を逃したり乗り越したりという事が無かった。

先週、奥さんが腕時計を買い替えるためAmazonで時計を探していたらSEIKO5という超昔懐かしい男性用腕時計を発見した。
自分が中学生の頃憧れていた腕時計で、今や国内向けには作っておらず、逆輸入品だという。
当時の腕時計は自動巻きという奴で、電池もネジ巻きも要らないが、二三日置いたままにしてると止まってしまう。
このSEIKO5は裏蓋がスケルトンになっていて、中のムーブメントが見えるのよ。
当時はそれが堪らなくカッコ良かった。
それが今や数千円で買えるのか。

記憶がよみがえり、ポチッと。

最初の一週間はわざと腕を強く振ってみたり楽しんだけど、土日にほっといたら月曜日の朝は止まってた。当たり前だが。

クオーツと違って重い。さらに時間が狂う。
狂うといっても日に数秒のレベルだが、一週間もすると1分くらいズレてる。

元々腕時計の好みは薄くて軽いのが好き。
腕時計の習慣があった頃、最後に使っていたのは、この値段で一番薄いのをくれと言って買った覚えがある。

SEIKO5は誕生日の記念として、それとは別に薄いのが欲しくなってきた。

ゼロ残業とか その3

2014年05月30日 | 昭和の風景
20数年前になるが、会社の大型コンピューターの社外接続用ネットワーク機器を入れ替える事になり、導入予定の機器のテスト担当になった。

今はネットワーク機器の各種設定は、パソコンをつないで、設定ツールを使用する。
比較的初心者でもできるようなユーザーインタフェースになっていて、チェックボックスをポチポチ選んで、OKをクリックしていけばできる感じ。

20数年前は持ち歩けるパソコンをコンピューターにつないで、、、なんて時代ではなかった。
ネットワーク機器には緑色の文字しか表示されない小さなディスプレイとキーボードが付いていて、それで全ての設定やテストを行う。
コマンドもDOSとかそういうレベルじゃない。その機械専用のコマンド。

朝9時から夕方6時まではデククワークをこなし、食事をしてからマシンルームに籠る。
それから夜中の2時頃までテスト。これが毎日。

夜中の2時だと当然終電は過ぎていて、駅前にもタクシーは止まっていないので、毎日タクシーを呼んでた。
家に着くのは3時頃、それから風呂に入って寝るのが4時近く。朝7時に起きて普通に出勤。
日曜日は休みだけど、土曜日は出ることが多かった。
こんな生活が1ヶ月ちょっと続いた。

ひどいときは一週間の合計睡眠時間が10時間に満たないこともあった。芸能人じゃないんだぞ、と。
この時はさすがに考えたよ。

考えて、家の近くのスポーツクラブに入会した。
睡眠時間を削って働いて、土日に寝てばかりの生活だと体を壊すと思った。

そのときのスポーツクラブは、引っ越しを機に退会したけど、おととし別の近所のスポーツクラブに入会した。

数年前に会社が移転し、電車通勤の時間が片道2時間になった。
週末には足腰の疲労がたまって土日は体を休めるのに使ってた。
このままじゃ、年齢的にも弱る一方じゃないの?逆に通勤に耐えられる体にしておかないと将来的にまずいと考えた。

さらにランニングをするようになり、おかげで足腰はだいぶ頑丈になったようだ。
まあ、でも毎日往復4時間の電車通勤は辛いのには変わりない。

ゼロ残業とか その2

2014年05月29日 | 昭和の風景
そんなブラック時代。過労で死ぬんじゃないかと思った事が2回ある。
10数年前と20数年前。まず10数年前の話。

当時、あるコンピューターシステムの開発プロジェクトのPM(プロジェクトマネージャー)をやっていた。

新しいシステムに切り替えるときは、土日を使って旧システムから新システムへの切り替えをする。
通常のメンバーは各自の担当作業に合わせて、シフト制で出勤してくるが、PMは金曜日の朝に普通に出勤し、そのまま会社やセンターに泊まり込んで仕事をして、家に帰るのは火曜日の朝、つまり会社に4泊するわけだ。
当時そんな事が当たり前に行われていた。(今も否めないが)

で、あるプロジェクトのときに途中で具合が悪くなってしまったことがある。

金曜日から徹夜で作業のチェックをしていたら、土曜日はどうもだるくて調子が悪い。
徹夜のせいかと思っていたけど、夕方には寒気がしてきて、熱が38度以上あることが判った。
そこで考えたのが、熱を下げるのと元気になる注射を病院に行って打ってもらえばいいじゃん!そしたら火曜日まで乗り切れるんじゃないかと。

さすが大都会、土曜の夜に診察している区の病院が会社の近くにあった。

行って、注射をお願いしたら怒られてしまった。
そんな都合の良い注射なんか無い。仮にあったとしても注射で騙して徹夜なんか続けていたら、今度は救急車を呼ぶはめになると。
死にたくなかったら今日は家に帰って休みなさいと言われ、薬を出してもらった。

会社に戻り、メンバーには一旦帰宅して日曜日の昼にはまた出社するというような話をした。
念のため、上司に電話をしたら、帰宅は許さんと言われてしまった。

帰宅はダメだが、会社に一番近いビジネスホテルに泊まってもよいと。ただし携帯はいつでも出れる状態にしておけ、明日は朝8時には出社せよと。
もう鬼かと。

ビジネスホテルでふらつく体でシャワーを浴びて、寝たらすぐ朝だった。
前日のだるさが嘘のようにすっきりしている。

それから出社し、徹夜もこなしたが、月曜の午後から再び体の具合が悪くなってしまった。

ここまで作業は順調で、大きな問題は起きていない。
リーダー達に、作業完了のメドが立った時点で帰らせてもらおうと相談した。
そしたらリーダーの一人から、それはダメだ。あなたはPMなので最後まで責任者として現場にいるべきだと。

その通りの正論なんだけど、そのときは具合が悪くて思考がまともじゃなかったみたい。
さっき出社してきたばかりのやつに言われたくない。こっちは先週金曜日からずっと家に帰ってないんだぞ!と思ったなあ。

結局21時頃に予定の作業が終わり、後片付けだけになった時点で、念のため一部の人間を残して帰る事になった。

しばらくの間は自分に「帰るな」と言った上司とリーダーが嫌いでしょうがなかった。

ゼロ残業とか

2014年05月28日 | 昭和の風景
最近は労基対策のおかげで、労働環境はかなり良くなっている。
10数年前とはえらい違いだ。当時はブラックそのものだった。
今は会社のすべてのドアにICチップの読み取り装置が付いていて、ICチップが組み込まれた社員証をそれにかざさないとドアを開けることができない。
さらにそれで出退勤時刻の管理もしていて、残業時間も厳格に管理されるようになった。

昔は紙の勤務表があって、それに勤務時間を書いていたため、人件費が予算を超えそうになると、残業は付けるなとお達しが出る。
23時まで残業しても17時半に帰宅したように記入するわけだ。
それを不満に思う人はたくさんいたけど、それに従うしかなかった。

一ヶ月の実残業時間が100時間を超えるなんてザラで、休日出勤も含めて150時間を超える月もあった。
明らかに36協定違反なのだが、紙の上では残業時間が20時間となっている。
でも年度の始めで残業枠がまだ残っているときとか、プロジェクトが思いがけず好採算のときは、60時間とか70時間まで残業が付けられたので、それはそれで嬉しかった覚えがある。

いろいろ思い出したので、続く。

昔の年末帰省

2012年12月05日 | 昭和の風景
まだJRが国鉄の時代、年末の帰省列車の切符はプラチナチケットだった。
今と違って、ネットで指定席を取れるわけじゃないので、乗車の一ヶ月前に休暇を取って国鉄の切符売り場に並んだ。

ところが、発売開始と同時に既に12月30日や29日は満席なのね。

国鉄職員や大手旅行会社社員が、親戚や知人に頼まれた切符をごっそり確保するためだと、当時は当たり前のように言われていたし、確かに伝手がある時は、そんなプラチナチケットでも取ることができた。
また、当時はまだ地方からの出稼ぎ者が多く、帰省列車の競争率が高くなっていた。

その後、東北新幹線の便数が増えたこと、東北自動車道が開通し、マイカー移動にシフトしたこと、格安の夜行バスが出現したことで、帰省の混雑っぷりは緩和された。

今は年末だからと言って帰省する事も滅多にない。