二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

歩きながらの数遊び

2014-12-05 19:25:33 | 徒然に想う

畑に向かう道すがら、ナンバープレートの4つの数字で遊ぶことがある。例えば、その数字を一回だけ使い四則演算のみで10にしてみるとか、素因数分解をしてみるのだ。今朝は11‐88というのを見かけ、早速、素因数分解、開始。1188を素因数分解し始める。まず11×108。うん? 108か、煩悩の数じゃないか。ここで今日はあらぬ方向に。108の素因数分解を途中で止めると、4×9×3と表せる。これを無理やり、煩悩は死と三個の苦で構成されると読んでしまった。死にまつわることから煩悩が生まれる。三つの苦?…とは何だろうか…。ポンポンと持続性の苦、略奪の苦と出てきた。もう一つが出てこない。考えているうちに畑に着いた。

ついに、蜘蛛が飛ぶのをみることが出来た。畑で食休みしてた時のこと。何かが腹の上に落ちてきた。何だと目を凝らせば、2ミリも満たない淡い緑色の蜘蛛。潰してしまうと指に乗っけると、高い方に行きたがる。人差し指を立て様子を見てたら、指先にたどり着くやいなや糸を出し、体を風に任せた。オッと思った瞬間、糸を切って虚空に消えていった。

帰り道、残りの一つの苦について考える。食事をとることで他の命を奪う、略奪の苦。遺伝子を残す、持続性の苦。あと一つ、何だ。ヒトの根源に必ずあるもの…。競争? 競争は例えば、早い・遅い、力がある・ない。…比較か。比較は行動の引き金になる。もっと豊かになりたい。もっと有名になりたい。しかし、豊かとか、有名はあたかも泡沫のよう、それを手にしたところでどんなものだろう。時を無駄にするかもしれない。比較の苦、か。なるほど、これなら煩悩を説明しにいける。死、持続性の苦、略奪の苦、比較の苦。…なんて、ね。歩きながらのお遊びでした。





今日の一枚:のらぼう菜の葉の水滴、10時半過ぎ。