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利権オリンピックの正当化に利用されたのか311

2021-03-11 23:02:02 | 日記
今日11日は311、東日本大震災からちょうど10年を迎えました。
早いものですねえ。

地震による激甚災害といえば311のみならず、熊本も北海道もありましたし、阪神淡路もありました。
地震のみならず、豪雨や台風などでも巨大災害が引き起こされているのですが、311が特別なのは、
やはり想像を超える津波があったからですね。

あの津波一つで一瞬にして広大な地域を呑み込み破壊し多くの命を奪ったという、そのインパクトは唯一です。

この10年で、自分はナニが変わったのか、あるいは成長できたのか。
社会はどう変わったのか、それとも変わらなかったのか。

いろいろと考え、反省もしますが、みなさんはどんな想いをお持ちでしょうか。


ちょうど10年前のまさにこの時間(23時過ぎ)といいますと自分は、
東京都内の仕事現場から神奈川県川崎市の自宅に向かうクルマの中でした。

あんな事態の中でも、東京から神奈川方面はまだ、クルマも動くことはできたのですよ。
東京方面はさっぱりでしたけどね。

ソレでも、普段なら40-50分の道のりが、4時間半かかったでしょうか。
14時46分の地震が起き、仕事など当然その時点で中断・中止となり、
携帯電話もロクに使えず情報も少ない中、右往左往しながら、
20時頃に仕事現場を出発し、家に着いたのは24時半頃。

クルマの中では、自分は車載のテレビなど置いてないモノですからラジオを聴くのですが、
まあ、映像のないラジオからの情報でありながら、それだけでもその事態の凄まじさに驚愕し。
仙台空港が津波で使えないとか民家が津波で流されたとか言ってるじゃないですか。
一体ナニが起こっているんだと。

帰宅途中のルートには当然、橋もあれば海底トンネルも通るのですが、
地震や津波の情報をラジオで聴きながらそんなところで渋滞してるのは、いや怖かったですよ。
ここで東北を襲ったくらいの地震があれば橋もトンネルも壊れて、きっと自分はお陀仏だなと。

そうして深夜に家に着き、テレビを観て唖然。
本当に、、、 この世の終わりなのかと思いましたよね。


311後、自分も東北出身なモノですから、波打つ東北自動車道を走りながら、
ゴールデンウィークに帰省がてらクルマで仙台に行きました。

すると、確かに津波が届いた・届かない線を境界にでハッキリと様子が違うのですよね。
津波の届いてないところは家の瓦屋根は崩れているモノの、さほど大きな被害は感じませんが、
津波が届いていたであろうところは、民家の庭に船が転がっていたり、
ぺしゃんこに潰れた自動車があちこちに散らばっていたり、家など土台しか見当たらず。
瓦礫の匂いも、まだまだ感じられたものでした。

そして10年、復興に向かって新たな町作りが進んできました。
土地をかさ上げして商業地や居住地を作り、海との断絶を選んだかのように巨大な堤防を築き。

果たして今、目指した復興の未来図に対して、何パーセントくらいできているのでしょうか。


復興を妨げているモノと言えば、原発です。
福島第一原発の事故によって避難を余儀なくされ、いまだ避難生活を続けている人は4万人を超えます。

おそらく、原発近隣の土地が元の生活を取り戻すことはないのではないでしょうか。
原発の事故が人々の生活を奪い、人が戻ることのない土地へと変えてしまったのです。

事故を起こした原発の廃炉も順調とは言い難いです。
そもそも、そんな方法論を持ち得ていたようには見えませんし、なんたって、
デブリの取り出し方法はいまだ模索中で、むしろ皆目見当がついてないようにも見えます。

なんで事故の対処法ひとつさえ持たない原発など作ったのでしょう。
原発を進めてきた政治家や役人、学者、企業などの関係者は責任をどう取れるのでしょうか。
もう事故から10年なんですけど、どうなんでしょうか。

ソレどころか、まだ再稼働するとか新規に原発作るとか言う動きさえあります。バカなんでしょうか。
事故を起こしながらもこんな国、日本以外にありますか。

もうね、こんなにも散々、フクシマの現状を見てるワケなんですから、
無事なウチに他の原発は速やかに、廃炉に入るべきなんじゃないでしょうかねえ。


11日は政府による東日本大震災追悼式典が開かれましたが、総理の菅センセーはスピーチで、
「復興五輪」に触れなかったと話題になってますね。

別に、追悼式典でオリンピックに言及しなきゃいけないとは思いませんが。
アレはIOCと東京都のイベントの筈ですからね。
とはいえコレまで「復興五輪」を掲げてきた政府からすると、妙には感じますね。

ナニかのフラグなのでしょうか。。
東京オリンピック・パラリンピックは中止になるとか。

もしくは今や東京オリパラは、「世界が新型コロナウィルスに打ち勝った証し」として
開催されるといいますから、東北復興なんて意義は必要なくなったってことでしょうか。

ところが先日は日本側も、新コロで海外からの観客受け入れは困難、との態度を表明。
ってことは、「新コロに打ち勝った証し」なんて大義にも無理があったってことですね。

大義としてきた「東北復興」「新コロ克服」ってなんだったのでしょうか。
じゃあ一体、なんのオリンピックなんでしょうか。

まあ、いちいちオリンピックの開催に大義なんて必要とは思いませんが、
ここまで大義を駆り出さなきゃいけないってのはやはり、
オリンピック関連の利権によっぽどやましい気持ちがあるからなんでしょうか。

 
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