即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

マスメディアの役割

2011年08月08日 22時01分28秒 | メディア
松本元大臣の暴言、恫喝について、先日書いた記事二つ。
マウンティング体質
ジャーナリズムの本質

大臣のことよりも、書いたら終わりだよ、という言葉をそのままほっておくマスメディアの姿勢について、問題視しました。

『この国は当たり前のように言論統制がまかり通っている国なんでしょうか?』

この記事について、コメントいただいたこてくんさんは、
『オフレコは容認できないし、それ以前に書かない会社が終わっているのに・・・・・。』
と同意してくれています。
多分、大多数の方はそう思っているのではないかと思います。

もうひとつコメントをいただきました。

じいさん(?)という方からです。遅くなりましたが、ありがとうございます。
初めての方でしょうか?ずっと見ていただいてる方でしょうか?

いろいろ考えさせられたので再度ここに紹介させてもらいます。
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 オフレコ発言の真意は、あそこに同席していた普通の感覚をもっている取材陣なら、悪意あってのことではないと理解できていたはずです。だから報道しなかったと見る方が常識的な見方です。東北放送は子供じみたミステイクをしたと思っています。彼らが編集した切り貼りの映像ではなく、あの席で交わされた全てのコトバ。また震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。第一、オフレコ発言よりだいぶ前に、ここからはマスコミは退室してください、という場面にさしかかったにもかかわらず、いやいやこのまま取材してもいいよ、とオッケーを出して取材を続行させてくれたのは、大臣その人なんです。

 あのオフレコうんぬんは村井知事が叱責されている様子を映してしまうと知事のイメージが悪くなるからという、ただそれだけのことから出たコトバでした。脅迫的表現も、ある種の「お遊び」です。この後の騒動の中、したり顔のテレビコメンテーターや司会者などは、知事が遅れて入って来たのはマナー違反ではないというもっともらしい意見を言っていましたが、あれは間違いです。通常とおりの正しい姿勢より、重大事における自分の気持ちを見せる方が、あの場面では大切だったんです。ケースバイケース、何を優先させるのか。それが外交センスなんです。知事も痛い思いをして勉強をしたのでしょう。後任の平野大臣が1週間後に、それも遅刻して来た時は、カタチ通りの「マナー」などを重視せず、自ら出迎えていました。恩師にいわれたか、親父さんに叱られたか。忘れていた大切なことに気付いたのではないでしょうか。

 あの時の本当のミステイク。実は村井知事がしてしまったのであり、情況を冷静に判断できなかった東北放送だったのだと感じています。もちろん、あれはジャーナリズムでもなんでもなく、ただの週刊誌的ゴシップをお茶の間に提供しただけです。あのフライデーのような市民ウケする安直な映像により特区構想の不備というジャーナリズムが伝えるべき本質が隠されてしまいました。
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このコメント、このように論理的に説明されてしまうと、とてもわかりやすいし、ああ、そうなのか、実はそういうことだったのか、と納得してしまいます。

大臣は親分肌だけど、本当は優しい人で、知事のことを思っての言動だ、そういう空気も読めない知事の方が問題だ、などという話もネット上ではいくつか目にしていました。

しかし、(統計を取ったわけではないからよくわからないけど)大部分の人には上記のようなことが伝わってはおらず、僕が上記2つの記事で書いたような理解しかしてないと思われます。

もし、じいさんのご指摘が事実であるなら、取材したメディアはなぜそのように伝えてくれなかったのでしょうか。
東北放送が安直な報道の仕方をしたのであれば、他のメディアは、そうではなく、事実はこういうことだ、となぜ言わないのでしょうか?
誰が悪いということではなく、大人だから冷静に騒がず、ということでなく、うまく誤解を与えないようにうまく説明してほしかったです。

我々の捉え方が、いわゆる子供じみていて馬鹿げたものであるのなら、なおさらメディアはことの本質や大人の判断を伝えてくれてもいいのではと思ってしまいます。
そこにメディアの価値があるでしょうし、そういう報道をすることこそメディアの役割ではないかと思うのです。

《震災以降に開かれている松本大臣の記者会見や知事側が進めている特区の問題点を理解していれば、騒ぐべき性質のものではない「蛇足」だと判断する方が常識的なスタンスです。》

大人のメディアの常識としてはそうなのかもしれませんが、我々は(僕だけかな?)騒ぐべき性質かどうかも何もわかりません。
想定外とはいえ、あれだけ騒ぎになったのだから、ことの本質はこうでした、だから騒ぎませんでした、と言ってほしかったです。

じいさん、すみません。
ここで反論しようなどというつもりは毛頭なく、あの事件(?)に対する僕の理解は前回の記事に書いたことなので、そうではない事実があればぜひ知りたいなあ、というのが本音です。
そして、そういう知りたい(裏の)(本質の)事実がもしあるのであれば、ぜひ伝えてほしかったと思うわけです。

そんなこと、たいした問題じゃないのでバリューがない、伝える意味はない、テレビ局としてメリットがない、ということになると、これは、テレビの公共性の問題になってきます。

このことについて書かれているブログをご紹介します。
テレビ局は営利企業か、それとも公共性があるのか

難しいですね。公共性ということ。
いろんな人がいていろんな意見があるので、今回の原発保障問題とか、義捐金の分け方とか、公共性に基づき、できる限り公平に、というのは簡単だけど、実際にやるとなるととてつもなく難しいので、何かしらの考え方、指標を設定してそれに沿ってやるしかない。

この問題を知りたがってる人が何%いるか、バラエティを見たがってる人が何%いるか、すべてがデータや多数決で決めればいいというわけでもないし、そんなこともいちいちできやしない。

松本元大臣は今頃どうしていて、あのことをどう思っているのでしょうか?

もし今、このことを白日の下に晒すことがいろいろまずいことがあるのであれば、少し時間経ってからでもいいので、あの時の言動の真意や事実を知りたいと思っています。
コメント (4)
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