「遭難の防止」
・道に迷ったと思ったら、元の道まで戻り、人に訊くこと(登山中の人は皆親切)。その為に始めての山に登る時は、高齢者の特権を活かして登山者の多い天気の良い休日を登ること。
道迷いの原因は前にも書いたが(お役所仕事の)不適切な道標、全体的には揃っているのに、あるのにあるべきとき所に無い道標、道標の見落とし、樹木伐採のためのテープを道標と勘違いすること、同じ目的のために地図にない新設の林道など間違う理由は色々。 道に迷ったと思っても樹木に囲まれて地図が役にたたないことも度々。前にも書いたが事前の地形の研究と「山かん」が必要な時も。その一例として道が行く内に次第に細くなり踏み後が消え掛かっなった時は(先人の教えと思って)直ぐに引き返すこと。戻る道さえ判らなくなったときは登る道を選ぶことこと。下りでは次第に増える下山道、逃げ道と絶対に「谷川→沢歩きを」しないこと。
「遭難に繋がる怪我の防止」
前に書いたが下りのさいの転倒による怪我が遭難に繋がることも。正しい姿勢の確保、とその為の訓練。宝満山のように岩だらけ道は登りに選び、くだりは岩のない道を選ぶこと。大きな石ばかりの川沿いの下りの道も同じ。
それと思わぬ濡れた路で足を滑らせ滑落のとき直ぐ身体を捻って木に気にすがったり、石に躓いて転ぶとき頭を打つのを防ぐなど、柔道の「受け身」が役立つこと。経験のない人は練習しておくこと良いと思う。
「山かんの強化」
事故や遭難防止に役立つ「山かん」の育成に人歩き慣れた山で、余り人が通らない所での「山かん」の練習が本格的な登山に役立つことが多い。此処では里山(私の場合は北九州市の皿倉山での)での経験を聴いて戴きたい。
皿倉山は頂上まで続く自動車道を含む約10本ののそれぞれの特徴をもつ登山道がある。多くの人か通る道標の揃った登山道。急な斜面をへつる狭い路。人が通らず消え掛かった路。急な段差の階段。木の葉で途中が埋もれた先の見えない道、道標の殆どない登山道。登山道から外れた踏み跡を辿って見ると正式な登山道に続くもの。行くほどに消える踏み跡。普通の登山では絶対に引き返す路を敢えて進むのも練習。行き詰まった所で、民家が近くに見えるか否かで藪漕ぎをするか否かの決断などなど皿倉山でのトライ・アンド・エラーの経験。前にも書いた福智山に続く自然歩道の道標に添って下ると思いもかけない急坂。福智山の筑豊新道の道標に従うか否かの判断。道標の無い路を選んで思いもかけない所に出て来た団体のリーダーに目的地に行く路を訊かれた経験などから、気づいた登山に欠かせない「山かん」と生来の臆病な性格が60年間の多くの登山を無事故、不時のピバークせずに済んだ幸運に繋がっているのだと思う。
悪筆それも私流の考え方を書きましたが、少なくも「正の読本」と併せて見て頂けれご参考になること、お気づきになることもいくらかはあると思います。
今後ともご安全な登山をお楽しみます様祈っております。
最後に山小屋の宿泊に米持参、鋲打ちの登山靴、二人用のツエルト、支えるのはスキーの杖、シーツに進駐軍放出の合羽の時代の、若さの馬力だけのアルプス縦走の記録を見て下さい。
「黒部から剣、槍ケ岳(三十代前半、若い友人同行)」
二晩連続の夜行列車。
一日目:宇奈月から黒部川をトロッコ列車、欅平から登山者だけ利用できる、エレベーター、岸壁のトンネルばかりの電車(今はアゾ原までの登山道?)でアゾ原、アゾ原上の峠往復(特記無い所は野営、雨模様の時は山小屋泊まり)
二日目:仙人峠、池の平、小屋泊まり
三日目:初めて見る剣沢の大雪渓、雪渓下の空間覗き、色とりどりのテントの剣平キャンプ地(などもうお上りさん気分)
四日目:荷物を置いて剣往復。雄山、一ノ越、雄山参りのお婆さんにツエルトの中を覗き込まれる
五日目:これからは登山者に殆ど逢わぬ浄土、五色原、スゴー。単独行の人の炊く飯の美味そうな匂い、私たちは汽車弁が切れたあとは乾パン主体の食事!
六日目:人一人もいない岩だらけの薬師、太郎小屋泊まり
七日目:黒部五郎、広々したお花畑でゴロ寝、双六池
八日目:急に増えた登山者、特に女性に気を取られる若い友、槍肩泊まり、
九日目:槍ヶ岳往復、槍沢でグリセードの真似、上高地、バスで島々、松本から夜行
十日目:京都、バスで観光、夜行で帰宅
・道に迷ったと思ったら、元の道まで戻り、人に訊くこと(登山中の人は皆親切)。その為に始めての山に登る時は、高齢者の特権を活かして登山者の多い天気の良い休日を登ること。
道迷いの原因は前にも書いたが(お役所仕事の)不適切な道標、全体的には揃っているのに、あるのにあるべきとき所に無い道標、道標の見落とし、樹木伐採のためのテープを道標と勘違いすること、同じ目的のために地図にない新設の林道など間違う理由は色々。 道に迷ったと思っても樹木に囲まれて地図が役にたたないことも度々。前にも書いたが事前の地形の研究と「山かん」が必要な時も。その一例として道が行く内に次第に細くなり踏み後が消え掛かっなった時は(先人の教えと思って)直ぐに引き返すこと。戻る道さえ判らなくなったときは登る道を選ぶことこと。下りでは次第に増える下山道、逃げ道と絶対に「谷川→沢歩きを」しないこと。
「遭難に繋がる怪我の防止」
前に書いたが下りのさいの転倒による怪我が遭難に繋がることも。正しい姿勢の確保、とその為の訓練。宝満山のように岩だらけ道は登りに選び、くだりは岩のない道を選ぶこと。大きな石ばかりの川沿いの下りの道も同じ。
それと思わぬ濡れた路で足を滑らせ滑落のとき直ぐ身体を捻って木に気にすがったり、石に躓いて転ぶとき頭を打つのを防ぐなど、柔道の「受け身」が役立つこと。経験のない人は練習しておくこと良いと思う。
「山かんの強化」
事故や遭難防止に役立つ「山かん」の育成に人歩き慣れた山で、余り人が通らない所での「山かん」の練習が本格的な登山に役立つことが多い。此処では里山(私の場合は北九州市の皿倉山での)での経験を聴いて戴きたい。
皿倉山は頂上まで続く自動車道を含む約10本ののそれぞれの特徴をもつ登山道がある。多くの人か通る道標の揃った登山道。急な斜面をへつる狭い路。人が通らず消え掛かった路。急な段差の階段。木の葉で途中が埋もれた先の見えない道、道標の殆どない登山道。登山道から外れた踏み跡を辿って見ると正式な登山道に続くもの。行くほどに消える踏み跡。普通の登山では絶対に引き返す路を敢えて進むのも練習。行き詰まった所で、民家が近くに見えるか否かで藪漕ぎをするか否かの決断などなど皿倉山でのトライ・アンド・エラーの経験。前にも書いた福智山に続く自然歩道の道標に添って下ると思いもかけない急坂。福智山の筑豊新道の道標に従うか否かの判断。道標の無い路を選んで思いもかけない所に出て来た団体のリーダーに目的地に行く路を訊かれた経験などから、気づいた登山に欠かせない「山かん」と生来の臆病な性格が60年間の多くの登山を無事故、不時のピバークせずに済んだ幸運に繋がっているのだと思う。
悪筆それも私流の考え方を書きましたが、少なくも「正の読本」と併せて見て頂けれご参考になること、お気づきになることもいくらかはあると思います。
今後ともご安全な登山をお楽しみます様祈っております。
最後に山小屋の宿泊に米持参、鋲打ちの登山靴、二人用のツエルト、支えるのはスキーの杖、シーツに進駐軍放出の合羽の時代の、若さの馬力だけのアルプス縦走の記録を見て下さい。
「黒部から剣、槍ケ岳(三十代前半、若い友人同行)」
二晩連続の夜行列車。
一日目:宇奈月から黒部川をトロッコ列車、欅平から登山者だけ利用できる、エレベーター、岸壁のトンネルばかりの電車(今はアゾ原までの登山道?)でアゾ原、アゾ原上の峠往復(特記無い所は野営、雨模様の時は山小屋泊まり)
二日目:仙人峠、池の平、小屋泊まり
三日目:初めて見る剣沢の大雪渓、雪渓下の空間覗き、色とりどりのテントの剣平キャンプ地(などもうお上りさん気分)
四日目:荷物を置いて剣往復。雄山、一ノ越、雄山参りのお婆さんにツエルトの中を覗き込まれる
五日目:これからは登山者に殆ど逢わぬ浄土、五色原、スゴー。単独行の人の炊く飯の美味そうな匂い、私たちは汽車弁が切れたあとは乾パン主体の食事!
六日目:人一人もいない岩だらけの薬師、太郎小屋泊まり
七日目:黒部五郎、広々したお花畑でゴロ寝、双六池
八日目:急に増えた登山者、特に女性に気を取られる若い友、槍肩泊まり、
九日目:槍ヶ岳往復、槍沢でグリセードの真似、上高地、バスで島々、松本から夜行
十日目:京都、バスで観光、夜行で帰宅
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