戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
「権利しか教えない教師用の指導書」
昭和50年ころでしたか、本屋でたまたま中学の社会の教師用の指導書を見ていると、「憲法には権利の記述はあるが、義務の記述は全くないのである」と書いてありました。 私は驚いて本屋の人には申し訳なかつたのですが、全ページを繰って見ましたが、義務の文字はそのページ以外全く見当たらなかったのです。そして再度指導書を見て、その巻末にその頃教科書裁判で勇名を馳せた家永大学教授の推薦の言葉を発見し、なるほどと思いました。私は後で心配になり生徒用の指導書の憲法の権利と義務の項目を見ると、他人の権利を侵さないこと、権利に伴う義務や責任など当然のように書いた少しほっとしました。
しかし学校の先生のなかにはこの様な教師用の指導書の考えを鵜呑みにして権利ばかり教えていた人も。そのような先生から権利についてだけけ習って、それ以外にも大切なことがある事を学校からも親からも習わぬまま、大きくなり、結婚して、子供を生み、その自分の子の非行を棚に上げて、学校の責任ばかり問う親になり、そしてその子がまた親になり、子供を生んでいき、次第に社会が劣化して行くのだろう。
そう思って私なりの意見を発信しなければと思ったのが、プログを始めた最大の理由です。
「権利ばかり主張して思いやりのない社会の出現]
権利ばかり教えた結果については私の下手な文章より有名な作家の佐藤愛子さんの「九十歳何がめでたい」の既述を見て下さい。
「我ながら不気味な話」
私は子供が叫んだり泣いたり歌ったり力一杯騒ぐ声が好きだ。だがその天使の合唱を煩いと言って怒る人がいるのだ。保育園の隣りに住んでいる人が煩いと同園に文句。保育園の反対運動が報じられている。私は空襲警報がなり響き町は死んだように静まり返った恐ろしい静寂を知っている。町の音は交じり合い煩いうるさいくらいの方が良い。我々の生活に活気がある証拠だ。それに文句を言う人が増えているのは、この国が衰弱に迎う前兆のような気がする。
「子供のキモチは」
某小学校で六年生の男性がサッカーボールを蹴っていたとき、ボールが校門を越えて、オートバイで走ってきた老人に当たりそうになり、それをよけようとしい転倒、足を骨折し入院、それから一年四カ月後に肺炎で死亡。老人の遺族は少年の両親が監督義務を怠ったと提訴。それに対する判決は両親の監督責任を認め、二審で千八百万円の賠償を命じ
た。なんともおかしな話だ。校庭でボールを蹴っていただけ、それが何故親の監督不届きになるのか。老人は転倒して骨折したがそれの原因で死亡したのではなく肺炎だ。
わが国は昔から運が悪かったという言葉があり、諦めて耐えるとと言う智恵を持っていた。耐えがたきを耐えて相手を許すことは最高の美徳だった。悪意の無い事故までモトをとろうとするガリガリ亡者は居なかった。そしてその彼らの味方を司法がしている。そして誰も運の悪かった子供の気持ちを考えない。
以下の記述は長くなるので割愛。最後はこの事件?は最高裁まて行って子供側の勝利に終わったそうです。そんな判りきった問題でも最高裁まて行かねば解決できぬ日本!!
「当時盛んに言われた小学生の学力の低下」
私の子供に就いて学校からある部分では勉強不足なので教えて下さいとのメモ!判らないところを教えるのが学校なのに?
理由は私の娘が教師になり、始めて小学校の5年の担当の教師になって判りました。初心者のため当然に教え切れないことがあったのか、校長に正式の授業のほか補習授業をしたいと申し出たのに、校長は他の教師(多分日教組の教師)との振り合いがあるのでと拒否されたそうです。他の理由で家内が褒めていた校長なのに。その結果は娘から頼まれてテストの採点の加勢をしましたが、出来ない子が何人も。そして当時問題となつていた「進学の資格のない子」を私の娘も中学校に進学せるしか無かったのです。
「イジメの続発」
当時は荒れる学校の時代で4月の定例移動で娘が変な学校に転校しないことを祈るばかりでした。教育の独立の名で教育委員会を設けたように、政治の関与できない密閉社会の学校で日教組の教師が校長を吊るし上げ、当然おろそかになる授業。権利ばかりで教えられ「教えられない思いやり」のない生徒同志のイジメの続発。唯一の救いは娘が教頭として赴任した小さな学校。そのためか地域の人達の校内行事の参加など「開かれた学校」でイジメなど無縁。その後判ったことはその卒業生の中学校で始めてのイジメにあい、イジメへの耐性不足が問題になったこと。
そして今でもこの傾向は幼稚園設立の批判。陰湿なイジメなど今でも続いています。
これは総て日教組の所為ではないと思いますが、国立情報科学研究所の教授の新井教子さんが算数の問題の出題の意味が判らないと歎いているのに、小学校の基本的な学力低下に直結する、小学校の英語、プラグラミンク教育を推進する文部科学省。。
本当に怖い教育の成果!!
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
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「権利しか教えない教師用の指導書」
昭和50年ころでしたか、本屋でたまたま中学の社会の教師用の指導書を見ていると、「憲法には権利の記述はあるが、義務の記述は全くないのである」と書いてありました。 私は驚いて本屋の人には申し訳なかつたのですが、全ページを繰って見ましたが、義務の文字はそのページ以外全く見当たらなかったのです。そして再度指導書を見て、その巻末にその頃教科書裁判で勇名を馳せた家永大学教授の推薦の言葉を発見し、なるほどと思いました。私は後で心配になり生徒用の指導書の憲法の権利と義務の項目を見ると、他人の権利を侵さないこと、権利に伴う義務や責任など当然のように書いた少しほっとしました。
しかし学校の先生のなかにはこの様な教師用の指導書の考えを鵜呑みにして権利ばかり教えていた人も。そのような先生から権利についてだけけ習って、それ以外にも大切なことがある事を学校からも親からも習わぬまま、大きくなり、結婚して、子供を生み、その自分の子の非行を棚に上げて、学校の責任ばかり問う親になり、そしてその子がまた親になり、子供を生んでいき、次第に社会が劣化して行くのだろう。
そう思って私なりの意見を発信しなければと思ったのが、プログを始めた最大の理由です。
「権利ばかり主張して思いやりのない社会の出現]
権利ばかり教えた結果については私の下手な文章より有名な作家の佐藤愛子さんの「九十歳何がめでたい」の既述を見て下さい。
「我ながら不気味な話」
私は子供が叫んだり泣いたり歌ったり力一杯騒ぐ声が好きだ。だがその天使の合唱を煩いと言って怒る人がいるのだ。保育園の隣りに住んでいる人が煩いと同園に文句。保育園の反対運動が報じられている。私は空襲警報がなり響き町は死んだように静まり返った恐ろしい静寂を知っている。町の音は交じり合い煩いうるさいくらいの方が良い。我々の生活に活気がある証拠だ。それに文句を言う人が増えているのは、この国が衰弱に迎う前兆のような気がする。
「子供のキモチは」
某小学校で六年生の男性がサッカーボールを蹴っていたとき、ボールが校門を越えて、オートバイで走ってきた老人に当たりそうになり、それをよけようとしい転倒、足を骨折し入院、それから一年四カ月後に肺炎で死亡。老人の遺族は少年の両親が監督義務を怠ったと提訴。それに対する判決は両親の監督責任を認め、二審で千八百万円の賠償を命じ
た。なんともおかしな話だ。校庭でボールを蹴っていただけ、それが何故親の監督不届きになるのか。老人は転倒して骨折したがそれの原因で死亡したのではなく肺炎だ。
わが国は昔から運が悪かったという言葉があり、諦めて耐えるとと言う智恵を持っていた。耐えがたきを耐えて相手を許すことは最高の美徳だった。悪意の無い事故までモトをとろうとするガリガリ亡者は居なかった。そしてその彼らの味方を司法がしている。そして誰も運の悪かった子供の気持ちを考えない。
以下の記述は長くなるので割愛。最後はこの事件?は最高裁まて行って子供側の勝利に終わったそうです。そんな判りきった問題でも最高裁まて行かねば解決できぬ日本!!
「当時盛んに言われた小学生の学力の低下」
私の子供に就いて学校からある部分では勉強不足なので教えて下さいとのメモ!判らないところを教えるのが学校なのに?
理由は私の娘が教師になり、始めて小学校の5年の担当の教師になって判りました。初心者のため当然に教え切れないことがあったのか、校長に正式の授業のほか補習授業をしたいと申し出たのに、校長は他の教師(多分日教組の教師)との振り合いがあるのでと拒否されたそうです。他の理由で家内が褒めていた校長なのに。その結果は娘から頼まれてテストの採点の加勢をしましたが、出来ない子が何人も。そして当時問題となつていた「進学の資格のない子」を私の娘も中学校に進学せるしか無かったのです。
「イジメの続発」
当時は荒れる学校の時代で4月の定例移動で娘が変な学校に転校しないことを祈るばかりでした。教育の独立の名で教育委員会を設けたように、政治の関与できない密閉社会の学校で日教組の教師が校長を吊るし上げ、当然おろそかになる授業。権利ばかりで教えられ「教えられない思いやり」のない生徒同志のイジメの続発。唯一の救いは娘が教頭として赴任した小さな学校。そのためか地域の人達の校内行事の参加など「開かれた学校」でイジメなど無縁。その後判ったことはその卒業生の中学校で始めてのイジメにあい、イジメへの耐性不足が問題になったこと。
そして今でもこの傾向は幼稚園設立の批判。陰湿なイジメなど今でも続いています。
これは総て日教組の所為ではないと思いますが、国立情報科学研究所の教授の新井教子さんが算数の問題の出題の意味が判らないと歎いているのに、小学校の基本的な学力低下に直結する、小学校の英語、プラグラミンク教育を推進する文部科学省。。
本当に怖い教育の成果!!
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