mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ザグレブ市内観光を終えてオーストリアのウィーンへ>

2018年09月20日 | 旅行記
 今日も2010年の5月23日から訪問した旧ユーゴスラビア4カ国の旅からお伝えします。
 その内容は、タイトルにありますように帰国が近づいてきて、ザグレブ市内に別れを告げて国境に向かうまでの様子です。
 まずは、イェラチッチ広場の子供たちの笑顔からです。

<Mugiko>
 早速、子供たちの笑顔をレポートするね。
 ところで、前に掲載したイェラチッチ総(1801~1859)の騎馬像だけれど、旧ユーゴスラビア時代には騎馬像は撤去され、広場の名前も「共和国広場」と呼ばれていたそうよ。
 1991年の独立後、騎馬像が名称が復活したということのようね。

 <子供たちとの談笑>

 <世界共通の笑顔>


<Mugio>
 ここでの楽しいひとときは、あっという間に過ぎてしまい、この後はトラムに乗ってザグレブ中央駅前にある「トミスラブ広場」の隣にある中華レストラン「ASIA2(亜州飯店)」に向かいました。
<Mugiko>
 途中には考古学博物館の前にある「ズリンスキー広場」や、美術館のほか付近に日本大使館や近現代美術館などがある「ストロズマエル広場」があるので、時間があれば、これらの新市街をじっくり見たかったわ。

 <ザグレブ中央駅>
 

 <駅付近のトラム>


 <レストランASIA2>


 <トラスミラブ広場>


<Mugiko>
 珍しくレストランの食事を撮影しなかったの?
<Mugio>
 それが・・・中華だから本当は味を含めてレポートしたかったけれど、メイン料理を撮影していなかったり、ぼけていたりで、到底、皆さんにご覧いただけるものではない!と思ったのさ。
<Mugiko>
 ところで、トラスミラブ広場にも南側に騎馬像が見えるけれど、これは、10世紀の初代クロアチア王タラミスラバの騎馬像だそうよ。
<Mugio>
 さて、昼食が終わると、いよいよこの度が終わりに近づいてきたという実感が沸いてきたね。
<Mugiko>
 ここからバスでクロアチアとスロベニアの国境を越えてオーストリアのウィーンに向かうのね。

 <ザグレブ中央駅>


<Mugio>
 その間、2回のWC休憩をとったけれど、そこがどこなのか分からなかったな。
<Mugiko>
 駅前を出発した時刻が14時をすぎていたはずだけれど、ウィーンまで約380㎞・4時間30分という距離だから、ウィーンのホテルアイロタワー(AIRO TOWER)に到着したのが19時50分になってしまって予定より遅れてしまったわ。

 <バスの中に掲示されている地図>


 <16過ぎだけれど、国境?>


 <18時過ぎのWC休憩>


 <ホテル アイロタワー>


<Mugio>
 バスの前に掲示されたいた地図で今度の旅の経路を確認したけれど、こういうのを見ると、何だか寂しくなっちゃうね。
<Mugiko>
 到着すると、ホテルのE階レストランで20時3分から夕食だという説明がありました。

 <ロビー>


 <スープ>


 <メインディッシュ>


 <デザート>



 <本日の記事は、これにて終了です。次回は、ウィーン市内観光、そして帰国です。ではまた。>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ザグレブ市内観光3>

2018年09月18日 | 旅行記
 久しぶりにmugifumiレシピのページを更新して、新しく煮魚のコーナーを設けようとしたら、アプリケーションソフトがフリーズしてしまいました。
 パソコンは、良くフリーズが起きますが、この点は、スマホの方が安心できますね。
 さて、旧ユーゴスラビアの4カ国の旅のザグレブ市内観光ですが、今日はその3番目をお伝えします。

<Mugiko>
 なぜ、こんな路地を歩くのか?と思っていたら、右側にどっしりとした建物と屋根に国旗などをあしらった明るい教会が見えてきたわ。
<Mugio>
 本当に聖マルコ教会は目立つよね。まさにに異彩を放っている!という感じでここに来ると誰でも目が教会の屋根に向いてしまうと思うよ。
<Mugiko>
 そうね。ブタベストから寄贈されたという赤、青、白の色瓦のモザイク模様が本当に美しいわ。
 屋根には1880年の改修工事で加えられたという大きな紋章が二つデザインされていて、左側がクロアチア王国、ダルマチア地方、スラヴォニア地方を表す紋章、右側がザグレブ市の紋章になっているそうよ。

 <聖マルコ教会>

 <右隣の国会議事堂>


<Mugio>
 私たちは、国会議事堂の方から歩いてきたので、最初に目に入ってきた建物が国会議事堂で、次が聖マルコ教会、そして右側には首相官邸があるので、この丘!というより広場(聖マルコ広場)は、クロアチアの政治の中心地なんだろうね。
<Mugiko>
 そうね。聖マルコ教会と首相官邸の間くらいに南にむかう通りがあるけれど、ここにもナイーヴァート美術館や市役所、聖キリル教会などが並んでいて、時間があればじっくり見学したいところだわ。
<Mugio>
 おい、おい、そんなに先走って話を進めないで欲しいな。

 <左隣の首相官邸>

 <市役所など>


<Mugiko>
 市役所などの写真は、聖マルコ広場を南に下った通りを撮影したものもので、右手前の旗が二つ飾ってある建物が「市役所」、その先の赤い屋根が「ナイーヴァート美術館」、さらに、その先の緑色の尖塔が見える教会が「聖キリル教会」のようネ。
<Mugio>
 この聖キリル&メディウス通りを進んでいくと、通りの突き当たりの手前に「ロトルシュチャク」という大きく高い塔が見えてくるけれど、この建物の手前の通りの東方向を見ると、「聖カタリーナ」という教会が見えてきた。

 <聖キリル&メディウス通り>

 <聖カタリーナ教会>


<Mugiko>
 聖カタリーナ教会は、ザグレブで一番美しいバロック様式の教会だといわれていて、17世紀初めにイエズス会によって建設されたそうね。
 教会の中には、祭壇の後ろのフレスコ画、17世紀制作のバロック様式の木製祭壇など見るべきものがあるという話だわ。
<Mugio>
 「ロトルシュチャク」は、そばにあるケーブルカーに上ると目に飛びかんでくる塔で、13世紀に建てられた「見張り塔」だそうだ。毎日、正午に打ち鳴らされる大砲の音は、ビックリするほど大きいということだ。

 <ザグレブ市内が見える>

 <同じくザグレブ市内>


<Mugiko>
 ケーブルカーやロトルシュチャク塔に上っていないので、上の写真2枚は付近の高台から撮影したものだけれど、遠方には近代的な建物が見えているわ。
<Mugio>
 ここからは、旧市街と新市街の境にあるイェラチッチ広場(共和国広場)に向かった。

 <イェラチッチ広場>

 <広場の総督像>

 <子供たちがのっていた車両>


<Mugiko>
  イェラチッチ広場は、ザグレブの中心地で、周辺にはカフェやバーなどがあり、一日中混雑していると聞いたわ。私たちが訪問したときには、ミニ列車のような車両があって、子供たちの大きな歓声が聞こえてきたわ。子供たちの笑顔を見ると、この国が最近まで内戦をしていたなんて、とても信じられないわ。


 <以上で本日の記事は終了です。次回は、旧ユーゴスラビアを後にして、オーストリアのウィーンでの出来事をお伝えします。それでは、また!>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ザグレブ市内観光2>

2018年09月17日 | 旅行記
 やっと秋らしくなった!と思いましたら、また暑さぶり返してきました。
 今日は畑に行ってトマトの木を整理しようかと考えていたのですが、まぁ、徐々に過ごしやすい天気がくると思いますので、ここはしばらく様子を見ることにしました。
 さて、今日も旧ユーゴスラビア4カ国の旅の旅行10目に訪れたザグレブ市内観光の続きです。

<Mugiko>
 聖母被昇天大聖堂の彫刻や内部の様子をレポートしたわね。
<Mugio>
 ちょっと待ってくださいね。前回の写真の説明が足りなかったので、その説明をしておきます。

 <聖母被昇天大聖堂>


<Mugio>
 この写真の大聖堂の周りに赤い円錐形の屋根があり、その下に白っぽい塀が見えるけれど、これはオスマン朝の攻撃から守るために造られた城壁だそうだね。
 
 <大聖堂の入口>

 <ステンドグラス>

 <大聖堂の内部>


<Mugio>
 入口の彫刻は美しいものでしたが、教会の中はヨーロッパのの国などで見てきた教会と同じように見えてしまい、興味をそそられるものではなかったね。
<Mugiko>
 そうね!「ルネッサンス様式のさいだん」だとか「バロック様式の説教壇」などと説明されても、さっぱり分からないわ。
<Mugio>
ということで、中の見学は約10分で終わりにして、時計の文字盤のようなものが飾ってある城壁をバックに二人で記念撮影をして、近くの青果市場に向かいました。

 <城壁をバックに記念撮影>

 <10時10分を指している時計>


<Mugiko> 
 ザグレブの胃袋とも呼ばれている青果市場は、1926年から旧市街にあり、ザグレブにある市場では最も古いもので、周囲には雑貨や骨董品などを売る店が並んでいるそうよ。

 <青果市場>

 <色とりどりの草花>


<Mugio>
 そうだね。赤いパラソルと草花の色鮮やかな色が目につく市場だったね。
 ここで目を楽しませていただいて、花屋さんの横を通って、坂道を下ると・・・
<Mugiko>
 振り返ると、何かが見えた?などとミステリーじみたことをいわれても驚かないわよ!

 <大聖堂の二つの尖塔>


<Mugio>
 通りの間に大聖堂の二つの尖塔が見た!のさ。
 そして、その通りを下りきったところに南北に延びる通路があり、この通りの名前を聞いて驚いちゃったよ。
<Mugiko>
 なんと!「血の橋通り」というのよね。
<Mugio>
 よく知っているね。この通りは、南北に延びるトカルチチュヴァという通りで、カフェなどの店が並んでいた。
<Mugko>
 なぜ、「血の橋通り」などと物騒な名前がついたのか?は、通りを見ながら説明したいところね。
 
 <トカルチチュヴァ(血の橋)通り>


<Mugio>
 昔はここに川が流れており、川を挟んで東の丘がカトリック教徒の街カプトル、西側が商工業のグラデツという街に分かれていたのさ。
<Mugiko>
 ザグレブという都市の説明をしたときに、旧市街は「二つの町が合併してできた」といったけれど、二つの街とはこのことのようね。そして、このあたりが境界だったということかしら?
<Mugio>
 二つの街は、水車小屋の管理を巡って争い、川の流れが血に染まるほどだったことから、川に架かる橋のことを「血の橋」と呼んでいたそうだ。
<Mugiko>
 怖い話ね。でも、見どころはこの橋ではなく、この通りの西側にあるグラデツ地区の「Radiceva」という通りにある「石の門」のようね。

 <石の門>


<Mugio>
 グラデツ(現ゴルニ・グラード)は、中世の自由都市で、敵の侵入を防ぐために城壁で囲まれていた。石の門は、当時のグラデツの数少ない出入り口の一つで、当初は木造で、1731年の大火で建物が焼け落ちたが、灰の中から聖母マリアの絵が燃えずに発見され、以後、マリアの奇跡の聖地となったという話だよ。
<Mugiko>
 門の中には聖母マリアの肖像が納められた礼拝堂があるというけれど、残念ながら見学しなかったわ。
<Mugio>
 そうか!でも、ここを通らないと次の見学先、グラデツの丘には行けないみたいだよ。グラデツの丘には、聖マルコ教会やクロアチアの国会、首相官邸などがあるそうだ。

 <以上でザグレブ市内観光の2番目の記事を終了します。次回は、聖マルコ教会や国会議事堂などの様子をお伝えしたいと思います。ではまた!>
 

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ザグレブ市内観光>

2018年09月15日 | 旅行記
 このところ、やっと秋らしい気温になって参りましたが、皆様、体調はいかがでしょうか?
 小生も何とか無事に過ぎておりますが、熱波や相次ぐ台風の襲来に「地球が怒っているのかな?」などと暢気なことを考えています。

 さて、少し涼しくなりますと、畑の方が気になってくるのですが、先日は伸び放題の草を息も絶え絶えに刈ってきました。
 それでも、草の方は何とか作業が終わりそうですが、これからトマトやスイカの整理があり、また、その後には大根や秋収穫のジャガイモの植え付けのほか「らっきょう」「タマネギ」「ニンニク」など来年収穫する野菜の植え付けが始まります。しんどいし、野菜を買った方が安いから止めようかな?などとも考えますが、身体が動くうちは作業すべきだという考えも頭をよぎります。

 などといってますが、ホームページのポルトガルの旅行記にかかりきりでブログの方をしばらくご無沙汰にしてました。
 今日は、タイトルのようにザグレブ品観光からお伝えしたいと思います。

<Mugiko>
 今日は「ゴスピツァの朝から」というレポートが相応しいのかもしれません。
<Mugio>
 昨日はこの旅行で最も感激した美しい光景を見られたからかい?
<Mugiko>
 それもあるけれど、朝食の前に早起きしてホテル周辺を散歩したからよ。
 だから、いつも記述している無粋なホテルの評価や朝食へのコメントは「なし!」ということにしないとネ。

 <ゴスピツァのホテル、アンテの前にて>

 <植え込みの草花>


<Mugio>
 でも、昨日Aさんから渡された本日のホテル出発までの予定だけは申し上げたいと思います。
 今日はゴスピツァからザグレブに向かい、市内観光が終了したら、次の宿泊地オーストリアのウィーンに行く予定になっているので、二晩お世話になったこのホテルとお別れだね。ウィーンに行くため出発時刻がちょっぴり早めの8時00分、モーニングコールが6時00分、朝食が6時30分、荷物回収が7時15分までにドアの外に、となっているので遅れないように支度しないとね。
<Mugiko>
 バスは予定通り8時00分に出発して、高速道路を使ってザグレブに向かいました。途中、サービスエリアのようなところでWC休憩をとって11時に前にザグレブに到着しました。その間、誰かさんは、飽きることなく何かを撮影していたわね。
<Mugio>
 何を撮影していたのかというと、Aさんのメモにあった「クロアチアの通貨クーナは、ザグレブのフリータイムと昼食などで使い切るようにしましょう。」という言葉を思い出して、記念に紙幣と硬貨を撮影していたのさ。また、休憩所やザグレブ近郊の電車、バスなども撮影したのさ。

 <クロアチアの紙幣>

 <クロアチアの硬貨リーバ>

 <WC休憩所>

 <路面電車と競争?>


<Mugiko>
 やっと話題がザグレブになりそうだけれど、その前に多くの旗がひらめいていた競技場やバス駐車場付近の光景をレポートしたい!という顔をしているわよ。

 <サッカーの競技場>

 <駐車場付近のロータリー>


<Mugio>
 まず、聖母マリア大聖堂を見学することになっているが、ここでも現地ガイドのMSイュヴァナさんが待っていてザグレブ市内を案内してくれるそうだ。本当に有り難いことだネ。
<Mugiko>
 早速、市内散策にいきたいとところだけれど、その前にザグレブという都市の説明をしておくわね。
 ザグレブは、クロアチア(面積5万6,542㎢(九州の1.5倍)、人口430万人)の首都であり、クロアチアの中央部に位置し、人口80万人でオーストリアやハンガリーの影響を受けていることから中央ヨーロッパ風のたたずまいを持っているという話を聞いたわ。
<Mugio>
 ザグレブの街は、東西に走るイリツァ通りを挟んで南北に分けられ、通りの北側が旧市街、南側が新市街になっているそうだ。
<Mugiko>
 その旧市街には、主要な名所・旧跡が集まっているということだけれど、ロータリの写真の場所は聖母被昇天大聖堂の近くだから旧市街のようね。
<Mugio>
 実はその旧市街もカプトルという地区とグラデツという地区という地区があった、ということらしいよ。
 カプトルは、1094年にハンガリー王のラディスラフ1世という人がローマカトリックの司教座として建設した宗教都市であるのに対して、もう一つのグラデツは、1242年にハンガリー王ベーラ4世という人によって王国自由都市として認められた商工業の街だ、とうことだから驚きだね。
<Mugiko>
 要はザグレブという街は、こういう歴史がある「二つの街並みを見学すべし!」ということね。
<Mugio>
 観光はまず、東側のカプトル地区にある聖母被昇天大聖堂からスタートするということだ。

 <大聖堂前の広場>

 <バスの前の教会の尖塔>


<Mugiko>
 ここは本当に聖母被昇天大聖堂なの?バスの先に尖塔が見える教会は?
<Mugio>
 ああ!間違いないよ。
 広場の写真は、オーストリアの彫刻家フェルコルンが金メッキを施したという「聖母マリアと4人の天使」の銅像が見えているよ。
 また、教会の尖塔の写真は、大聖堂の広場から通りの北方向を撮影したもので、手前の赤い建物が「コメディ劇場」、尖塔が「聖Franje(フランジェ?)」という教会みたいだね。
<Mugiko>
 肝心な大聖堂の写真がないの?
<Mugio>
 申し訳ないネ。僕の腕が悪いのか、逆光で黒くなったり、大聖堂が大きすぎて全体が入らなかったりで、適当な写真が撮影できなかったのさ。
 自由時間にイェラチッチ広場(共和国広場)から撮影したものがあるので、代用することにしたよ。

 <聖母被昇天大聖堂>


<Mugiko>
 横顔のような構図だけれど、ないよりはましね。
 この大聖堂は、クロアチアのカトリック教会の中心的存在で、1094年から建設が開始され、現在に外観は1880年の地震後に再建されたものだそうね。
 外観の特徴としては、高さ108mと105mの二つの塔を持つネオゴシック様式の建物だということだけれど、ザグレブの象徴みたいな存在だわね。


 <以上で本日の記事は終了です。次回もザグレブ市内観光をお伝えします。それではまた!>