mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

モスタルの象徴スタリ・モスト

2015年01月09日 | 旅行記
 あれから何年経つのでしょう?
 小生のホームページ「mugufumi夫婦の海外旅行のプロフィール」で確認したら、2010年の10月ですから、もう4年が過ぎていました。
 何の話か?といいますと、ユーラシア旅行社の「EURASIA」2月号の記事を読んでこの地のことを思いだしたのです。
 2月号には、この国の象徴である美しい石橋の写真とともに、その悲しい歴史と民族の融和の話がでていたのです。

 どこの国のことを言っているのか?旧ユーゴスラビアの一つ、ボスニア・ヘルツェゴビナのことですが、こういう記事を見ますと、訪問した時の印象が鮮やかに蘇ってきます。
 この旅は、阪急交通社のツアーで、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、そしてボスニア・ヘルツェゴビナを12日間で訪ねるものでした。
 旧ユーゴと言いますと、ヨーロッパの火薬庫と言われた時代もありましので、訪問を躊躇することもあった思うのですが、実際に行ってみますと、どこの国も美しい自然や歴史的な街並などがあり、悲しく厳しい戦争を乗り越えてきた!という印象を強く持ったものです。
 旅行各社のPR雑誌などを見ますと、スロベニアのブレッド湖やボストイナ鍾乳洞、クロアチアのプリトビッツェ国立公園、ドブロブニク市街などを見学するコースが多く、いずれも「一見の価値あり!」と強調したいほどのもです。
 これに比べて、モスタルは地味だとは思うのですが、ユーラシア旅行社の記事のように民族の融和を象徴する石橋として見ますと、「ああ!そうか!」と感じてしまうのです。
 それは、「チトー大統領の死後、ユーゴスラビアは各地での内戦を経て解体。ボスニア・ヘルツェゴビナも92年から95年にかけてボスニャック人、クロアチア人、セルビア人の3民族が争い、その最中、93年11月9日にクロアチア系兵の迫撃砲弾によりスタリモスト(古い橋)は破壊されてしまう。戦争終結後、川底に沈んでいた壊れた石材を集め、破壊前の姿に復旧された。・・・04年6月23日に橋の修復が完了、7月23日にオープン、翌年には、多民族の和解と共生の象徴として世界遺産に登録された。」という記事に端的に表れていると思います。
 そして、「現在、主要三民族の代表が輪番で国家元首を務め、・・・毎年夏に行われるスタリ・モストからネレトバ川への飛び込みは、かってはボスニャック人のみの伝統だったが、09年に初めてクロアチア人も参加を果たした。岸から岸へ、スタリ・モストが架け直されたように、断絶していた人々が再び手と手をとりあい始めている。」と結んでいます。

 こういう記事を読むなど、もう少し勉強してから訪問すべきだったと後悔していますが、モスタルの橋をもう一度見てみたいものだと思ようになりました。
 巻頭写真は、その美しいモスタルです。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿