mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

忘却は恵み

2011年07月24日 | 家事

 今日は朝から大忙しである。4日続けてのスポーツジム通い?ではなく、前から気になっていた金魚の水替えをしました。本来なら1週間に1回の割合で3分1の量を入れ替えするする必要があるのですが、だいぶ過ぎてしまい水が茶色くなってきたようです。臭いがする?小生は鼻がよいためか匂わないのですが・・・

 この作業を1時間くらいで終わらせて、次は日曜大工です。何をしたかといいますと、わが家の戸棚は大工さんの好みなのでしょうか大きく作られていて使いずらいのです。奥行きはそれほどでもないのですが、高さが大きく、荷物を何段にも重ねておくことになってしまいます。

 使っていない電機製品やいただいたお皿などが所狭しと並んでいて、使いづらいのです。でも、よくよく考えてみると、これらの物は、ほとんどが使わないのが実状ですから思い切って「ポイ」してしまうのが賢いのでしょうね。

 おっと、また話が飛んでしまいました。ということで、戸棚が使いづらいことから中段に新しい棚を作ることにしたのです。そのために先日、ホームセンターで材料を買ってきたのですが、4つを作ることから大枚1万円近くの結構なお値段となってしまいました。

 今日は試験的に奥行き45センチ、横幅85センチの棚板(厚さ1センチ?)を1枚だけ取り付ける作業をしたのです。

 といっても、それほど難しい作業ではありません。棚板はホームセンターで裁断してもらっていますので、あとは、この棚板を支える奧と両脇の壁(材木製)に1センチ角くらいの45センチ(2枚)と85センチの細長い板をボンドと釘で固定します。この棒の上に棚板を載せれば出来上がりで、とてもうまくいきました。

 それにしても、中に入っていた物を全部外に出して、棚が完成したらその出した物を今度は2段に分けて入れることになりました。「なんだか、必要で内も尾が沢山あるな!」などと考えながら・・・

 ところで、この作業するには寸法を測るためにメジャー、ボンド、釘、トンカチ、ドライバーなどの道具が必要なのですが、こちらもあまり使わないことから保管場所が荒れていて、ついでにこの場所の掃除もしてしまいました。そうしましたら、2つのポリ袋分のゴミが出てしまいました。

 途中、かみさんが冷やし中華のようなキュウリやハムなどが入ったうどん(ひや汁うどん)を作ってくれましたので、それを美味しくいただいて、かみさんは午後から会合あるというので、引き続き作業に当たったのですが、外の物置にゴミをおきに行きましたら、今度は台風で倒れた3段式の鉢置きを直すことにしました。落ちに植えていた物は、たいした損害はなかったのですが、その脇の地面に置いておいた大きな「カネノナルキ」が鉢から抜けそうになっています。

 カネノナルキが枯れたりすると、お金がなくなるなどとつまらぬ冗談を言う人がいますが、「くだらない!」とわかっていても気になるのが人間なのです。

 そんなことを考えながら、土を入れ替えてカネノナルキを植え替えたのですが、根が少ないことに驚いてしまいました。暑い日が毎日続き、水が必要だろうと考え、ホースで毎日、与えたのもよくなかったようです。

 そんなことをしていましたら、16時30分を過ぎてしまいましたので、家に入ってパソコンに向かってこのレポートを作っているのです。

 最近、近所の親しい方と絶縁のような状態が続いています。その原因や悲しみ、寂しさなどが走馬燈のように頭の中を巡っているのですが、程明道の「定性書」の言葉「両忘すれば、則ち燈然無」の心境で生きるしかないようです。

 この言葉は「忘却は恵み」という意味(<超訳>心から安らぐ仏教の言葉・中公新書・本郷陽二氏)のようですが、その超訳も紹介します。

 人を憎んだり、嫌ったり・・・・・それは「あの人はあんな悪いことをした」という記憶があるからだ。その記憶が「そういえば以前にもあんなことがあった」「こういうこともあった」と次々に記憶を掘り起こす。

 記憶がなければ、愛も憎しみもわいてくることがない。

 すんだことはきれいに忘れてしまおう。つまらぬ記憶を捨てれば、憎むも嫌うも関係なし。

いつでも平らな心で人と向き合える。

 愛と憎しみがあってこそ人生は面白く、また、「つまらぬ記憶を捨てる」などということは小生にはできそうにありませんが、静かな心で向き合うしかないようです。

 


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