昨日は、ミラノの見所のうち、レオナルド・ダ・ビンチが描いた「最後の晩餐」についてレポートしました。
今日は、その続き、といきたいところですが、なかなか筆が進みません。
ところで、昨日民放の「世界不思議発見」というクイズ形式の番組を見ていましたら、中国の雲南省のことを放映していました。
最初に、大理石で有名な大理の3重の塔の画面が出てきて、そのうち、正面から見て左側の塔が右側に傾いている話をしていました。
下の写真は、裏側から見ていますので、傾いている塔は、右側の塔ということになります。
でも、私達が現地で聞いた話では右側の塔も傾いている、と聞きました。この話は、まるで、イタリアの「ピザの斜塔」のような話です。
大理の塔は、登れませんが、イタリアの方は、登ることができます。
でも、何故、塔が傾いているか?ですが、大理の方は、地震が原因だと解説していました。
基礎がしかっりしていない?たぶん、そういうことだと思います。昨日のテレビでは、基礎がないようなこと言っていたと思います。
話がいつの間にか、中国のことになってしまいましたが、「最後の晩餐」の話に戻りましょう!
ルネサンス期のほとんどは、フレスコ画といわれるもので、時代が過ぎて誰かが修復と称したイタズラなどをしても、原画の美しさや正確さを取り戻すことがそんなに難しくないのだそうです。
これに対して、ダ・ビンチが描いた「最後の晩餐」は、テンペラ画法といわれるもので、絵の具が壁に染み込まず、やがて湿気で剥落するという運命にあった作品だったされています。
現実に、制作から20年でカビに覆われたそうですから、そのまま放っておいたら世界の名画は、この世に存在しなかったのでは、と思います。
でも、その後の修復で原画を書き換えたりしたこともあり、真筆を蘇らせることに、大変な熱意と努力があったようです。
修復した人の名は、ビニン・ブランビッラ女史といわれる美術史学者で、現代科学の最新機器をつかって、しかも20年という長い歳月を要して復活したのですから、その熱意と努力には、敬服します。
さて、「最後の晩餐」の話はこれくらいにしまして、ミラノで見たきたものは、やはり、ミラノのシンボル「大聖堂」ですね。
ここの外観は、金属細工が施された135本の尖塔で特徴で、遠方から見るとピンクがかった白い大理石の建物が美しく輝いています。
私達は(誰でもかな?)建物の中ばかりではなく、大聖堂の屋上に登って興奮しながら見学したのを覚えております。
1386年着工とされていますから、もう600年以上前のことになりますが、完成が1813年ですから、なんと400年以上もかかっているのです。
どうして、そんなに時間がかかるのか?もちろん、戦争が原因でしょうね。
次にミラノの見所といえば、オペラ座でしょうね。
でも、私達が行ったときは、工事中で遠くから眺めただけで「あぁ、あれがオペラ座か」という印象しかありませんでした。
1778年の設立といいますから、ここも相当古いですね。
でも、現存するオペラ座は1948年に完成したとされています。その原因は、またまた戦争で、1943年に空襲で焼失したそうです。
それでは、古き良き時代の施設ではなくなっているのでは、と危惧されるでしょうが、オリジナルの設計図が残っていたので、焼失前のものが忠実に復元されたそうです。
プッチーニの「蝶々夫人」などオペラファンには、たまらない魅力がある建物なのでしょうね。
ハプスブルグ家のマリア・テレジアの下命で設立されたそうで、ここでも、オーストリアの影響があるのですね。
さて、次に、ミラノで行った場所は?「スフォルツァ城」です。
場所は、ミラノ旧市街の北西部だそうですが、小生には位置のことより、ミラノで最も重要なルネサンス建築物だと評されているのが気になります。
外観が赤茶けた建物で、「何という古い建物だろう!」という強い印象がありますが、1450年築城といいますから、やはり中世で、それほど古い建物ではないのですね。
一辺が200㍍方形といいますが、正面に時計台のような高い建物があり、その前にある広場も印象的でしたね。
中にはいると、馬に乗った紳士が出てきて、これにはビックリしました。
なお、城内には博物館があり、ミケランジェロの最後の未完の名作(彫刻)「ロンダーニのビエタ」、マンテーニャの名作絵画「聖母と諸聖人」などが展示されているそうですが、またもや残念ながら見学できませんでした。
それでは、これでミラノというより「イタリアの魅力」旅のレポートを終了します。
次は、何処をレポートしましょうか?