
(2016.06.18訪問)
先週須磨寺に続いて今日は六甲山、摩耶山、再山の神戸三山の真言系古刹を鋭意訪問するために相当入れ込んで我が家を出発。
一時間足らずで摩耶山天上寺に到着、ここまでは順調。
写真機め、なななんと云うことだ、十五カット足らずで突然シャッターがおりません。シャッターがおりないと写真が撮れません。
何がどうなっているのかサッパリ分からないままアキラメです。
そうだ携帯があるじゃないか、と云ってもボクのはガラケー、しかし撮りましたヨ。今日の半分以上はガラケー撮影です。
見ればすぐ分かると思いますが、分からんふりして見て下さいネ。もちろん今日はスグ帰りました。
▼参道入口。

[ 摩耶山天上寺 ]
●山号 仏母摩耶山(ぶつもまやさん)
●寺号 忉利天上寺(とうりてんじょうじ) 通称 摩耶山天上寺(まやさんてんじょうじ)
●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 孝徳天皇(こうとくてんのう)
●開基 法道仙人(ほうどうせんにん)
●開創 大化二年(646年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(秘仏)
▲拝観 志納 朱印 300円
▲時間 9:00~17:00
▲関西花の寺第十番霊場
▲兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12 電話078-861-2684
▲http://www.mayasan-tenjoji.jp
▲阪急六甲駅、JR六甲道駅より神戸市バス18系統「摩耶ケーブル下」下車。
まやケーブル・まやロープウェイ「星の駅」下車 徒歩約10分。
表六甲または裏六甲ドライブウェイを六甲山牧場を目標に進み、六甲山牧場の間を通って南へ約7分。
▼孝徳天皇勅願寺碑。

摩耶山天上寺縁起 (摩耶山天上寺HPから抄出)
摩耶山天上寺は、大化二年孝徳天皇の勅願により、インド僧法道仙人によって開創されました。
弘法大師が唐に留学された際、当時中国で女人守護のみ仏として崇拝されていた梁の武帝自作の香木造りの仏母摩耶夫人像を日本に
請来、当寺に奉安されました。この女尊は、お釈迦さまの生母で、仏教の聖母です。これ以来、当山の名を「仏母摩耶山」寺の名を
摩耶夫人の昇天された忉利天にちなみ「忉利天上寺」と呼ぶようになりました。
▼参道。

▼山門。

▼木札には忉利天上寺と書かれています。

▼山門を潜りすぐ左に天竺堂。インドから贈られた大理石の摩耶夫人像をお祀りしています。

▼手水舎。

▼青もみじのトンネル参道。両脇にはもみじが多く植わり、晩秋の紅葉は期待出来るそうですヨ。

▼間もなく境内入り口になります。

▼鐘楼。三十三種の花々が鋳込まれた梵鐘「花曼荼羅の鐘」が吊られています。

▼境内中央に枯山水庭園、忉利天の縁起にちなみ天空の仙境「摩耶創生之庭」と呼んでるそうです。

▼全国唯一のお堂、摩耶夫人堂。釈迦生母の摩耶夫人、梵天、帝釈天がお祀りされています。
日本第一女人守護と刻された石柱が正面に。
ここでは安産祈願や安産腹帯が戴けますヨ。なんと云っても仏母のみ寺、女人高野ですから。

▼摩耶夫人堂扁額。

▼本尊摩耶夫人。美人ですネ、キレイですネ、
お釈迦さんが右脇から顔を出してます。

▼摩耶夫人と左帝釈天、右梵天の両脇侍。

▼摩耶夫人堂。左のお堂は金堂です。

▼摩耶天空の庭と天空のテラス。
法道仙人が天竺より渡来し摩耶山を開創したことをモチーフとした「仙人来朝之庭」
天空のテラスからは晴れた日には淡路島や明石海峡大橋が見えるんですヨ。写真ことごとく失敗、この景観をお見せ出来ないのが
誠に残念無念!

▼花の寺は今、シモツケが満開。山法師も満開、夏椿は咲き初めでしょうか、そうそうホタルブクロも満開でした。
花のお寺のお花の写真、お見せ出来ないのが誠に残念、ことごとくピンボケ! アアイヤダ。

▼延命大地蔵尊、大きなお地蔵さんです。

▼金堂。桁裄七間、梁間七間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。
本尊十一面観音菩薩立像(秘仏) 像高一寸八分、黄金像、三十三年に一度の御開帳。

▼金堂扁額、山号と忉利天上寺と書かれています。

▼金堂内陣の正面。前に愛染明王坐像、後須弥壇には七尊像が祀られています。

▼須弥壇上の諸仏。

(上の二枚の写真は、神戸十三佛霊場会HPからお借りしました)
▼金堂と摩耶創生之庭。

▼出山の釈迦石仏と仏足石。珍しいお釈迦さんの姿です。

▼こちら釈迦涅槃石像。涅槃石像は初めて見ました。

▼開基法道仙人。播磨、丹波、丹後、但馬一円にかけての
古刹開基に関わるとされる法道仙人とはこんな方。

▼一願地蔵堂。堂基壇に並んでる小さいお地蔵さん見えます? 願いが叶って納められたお地蔵さんですって。

▼金堂裏の六地蔵。

▼こちら子安地蔵。とりどりの風車が回ってました。

▼舟形光背に半彫りされた石仏が集められています。色が変ですね、なぜでしょう。

と云う疑問が湧いても解決しないまま天空のお寺、摩耶山天上寺 オ シ マ イ
▼ご朱印です。

使い物にならない写真機は写真機と云いません、ただの重い固まり。
アホラシヤの鐘が鳴ってる中、今日一日は早々に終了。
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

シャッターが下りなくなられたそうで、私も二度経験があるので、その時の様子などはある程度想像できます。
それにしても、携帯電話のカメラの解像度には驚きますね。外で撮ったものは私のような素人の目では言われていなければ、まったく判別できません。
私も5月に東北地方に旅にでていましたが、フェイスブックへの写真をスマホで撮ったものを投稿していました。逆光や暗部には弱点はありますが、屋外での写真はきれいに撮れていました。古い頭の人間のため、技術の進歩には驚くばかりです。
私は秋田県にかほ市象潟町にある「蚶満寺」で故障し悔しい思いをしましたので、再訪問することに。2・3日後にブログで掲載する予定でいます。
何か自分の事ばかりになってしまいましたが、毎週どこを訪れるのか楽しみにしていますので、今後ともよろしくお願いします。
この日はいささか勢い込んで出かけたんですが、入山早々でのアクシデントでした。
余り大きくないお寺なので、総カット数は稼げませんが、摩耶山上と云う立地の雄大な景観を撮り損ねましたし、
それよりまして後二ヵ寺訪問を早々に諦め即帰宅です。
いつもなら、小さいデジカメも持ち歩いているのですが、こういう時は忘れるもんですネ。
ボクのガラケーは数年前のものなんですが、それでもおっしゃるように、カメラ機能の進歩には驚きです。
悔しいかなボクのは堂内や室内は全くダメですが、最近のスマホだったらデジカメに負けないそうですネ。
こういう経験、kurumatabiさんのように、長距離、長時間の撮影旅行ではショックでしょう。
ボクの場合は、比較的近郊寺院の訪問なので、いくらかショックは軽い方、と思って諦めました。
ところでkurumatabiさん、東北巡りの投稿はまだ続くんですね、余りの羨ましさにコメント入れそびれています。
長期の旅行プランなど、緻密に計画されているんでしょう、それを実行される行動力にいつも感心しきりです。
残りの訪問記、楽しみにしています。本日はコメントありがとうございました。
普段自分の画像にピンボケ多いので気にならず、言われればコレかなと思いながら拝見しました。
このお寺の存在も全く存じ上げませんでした。
孝徳天皇勅願ですか。
法道仙人像は初めて見ましたが想像通りでした^_−☆
勢い込んで出かけたんですが、このざまです。今入院中で、今週中には退院の見込みです。
法道仙人、魅力のあるキャラですネ。
兵庫の中南部にかけてこの仙人の伝承が多いのはキット理由がある筈、
百済か新羅の技術者渡来集団を一人の人間に集約したのか、周辺豪族の傑出した人間を、
仙人に仕立てたのか、はたまた本当に法道さんがいたのか……。
おもろいですネ、こんなこと考えるのは。
ulalaさんの神社探求ほど専門的にはボクには無理ですけど。
天上寺は、1976年の火災(賽銭泥棒による放火)で焼け落ちました。
現在の場所から南へ約1キロの地点です。
神戸市の市街地に面した山の斜面で、夜空に炎を上げて燃える姿が市街地から見えたと言います。山の斜面ですから、消防車は近づけず、ヘリでの消火活動で、結局全焼しました。
私は高校の遠足で1975年の春に天上寺の中を通り抜ける摩耶山の登山道を歩きました。
その時は、大きなお寺だな、と言う印象しかりませんでした。
1978年の春に登った時には、もうお寺はなく、まだ再建もされていませんで、お寺があった場所は真っ黒に焼け焦げ、火災から2年たっているのに竹残った炭化した柱などが立っていました。
水子供養の風車だけが黒い焦土に何本も挿してあり、カラカラと音をたてながら廻っていました。
夕陽を浴びたその何十本と言う風車、美しくもの悲しい風景でした。
現在は公園になっているそうです。
確か本堂後堂の展示物で、モノクロ空撮のお寺写真を見たような記憶があります。
それが旧地にあった天上寺の元の姿だったのかは定かではありません。
添えられてあったガイド文も素通りでした。
仰る悲しい事実があったことを知っていれば、お寺をもっと違った見方で見たかもしれません。
「水子供養の風車だけが黒い焦土に何本も挿してあり、カラカラと音をたてながら廻っていました。
夕陽を浴びたその何十本と言う風車、美しくもの悲しい風景でした。」
この文章を読ませていただいて、Junさんのお心「慈」と「悲」純心に心打たれました。
ボクはほぼお寺に特化して毎週訪ね歩いているのですが、数稼ぎの方へゆき勝ちで、
なかなか心の表現まで行けません。ある種斜めの見方も必要かもしれませんネ。
もの足らない返信にご容赦を。
いいコメントありがとうございました。