土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

智積院、歴史は浅いが新義真言宗智山派の総本山。

2016年12月28日 | 京都の古寺巡り





(2016.12.24訪問)


京阪電車「七条」で降りて、七条通りを東の突き当たりへ向かって歩いています。途中には三十三間堂、養源院、法住寺、方廣寺、
妙法院門跡、そしてこれから訪ねる智積院が寺勢を競っています。そうそう京博もここにあります。
智積院が古刹と云えるかどうかは別にして、いかに寺勢が凄いかは街中に広大な寺地を誇り、名勝庭園、障壁画や襖絵などに錚々
たる名前がならんでいます。覚鑁さんの思想もさることながら、ボク達は往々にしてこの錚々たる名前に惹かれます。
てな訳で智積院を訪ねました。



            ▼突き当たり、東大路通に面してデッカイ寺号石柱、イヤでも目に入ります。






            [ 智積院 ]
            ●山号 五百仏山 (いおぶさん)
            ●寺号 根来寺智積院 (ねごろじちしゃくいん)
            ●宗派 真言宗智山派 (しんごんしゅうちざんは) 総本山
            ●開祖 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
            ●中興 興教大師覚鑁 (こうぎょうだいしかくばん)
            ●再興 玄宥僧正 (げんゆうそうじょう)
            ●開創 慶長三年 (1598年)
            ●本尊 大日如来坐像
            ▲京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964番地 TEL.075-541-5361  
            ▲拝観料 500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲JR京都駅よりバス10分、東山七条下車 市バス206系統、207系統、208系統
             京阪七条駅より七条通を東へ徒歩約10分




▼総門。いきなり言い訳ですが、ワイドがないので電線がどうにもなりません。
 御所東福門院より移築、現在総門は通れません。能化晋山時のみに開門。





智積院縁起 (智積院HPから抄出)
真言宗の宗祖弘法大師空海が高野山で入定したのは、承和二年 (835年) その260年後、興教大師覚鑁が高野山に大伝法院を建て、
高野山の復興と真言宗教学の振興に活躍。保延六年 (1140年) 修行の場を高野山から根来山へ移し、根本道場としました。二年後
の康治二年覚鑁死去。鎌倉時代の中頃に、頼瑜僧正が大伝法院を高野山から根来山へ移し、これにより根来山はおおいに栄え、最
盛時には、2900の坊舎と約6000人の学僧を擁するようになります。智積院は、その塔頭寺院のなかの学頭寺院でした。しかし勢
力が大きくなると豊臣秀吉と対立、天正十三年 (1585年) 秀吉軍により、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰しました。その時、
智積院の住職であった玄宥僧正は、高野山に逃れ、秀吉が亡くなった慶長三年 (1598年) 智積院再興の第一歩が京都東山にしるさ
れました。そして慶長六年 (1601年) 家康から、玄宥僧正に東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、名実ともに智積院が再興。
その後、秀吉が建立した祥雲禅寺を拝領、境内伽藍が拡充されました。
再興された智積院の正式の名称は、「五百仏山根来寺智積院」といいます。




▼総門から見た正面書院大玄関。







▼書院大玄関。







▼書院大玄関の布袋唐子嬉戯の図。







▼拝観はこちらから、冠木門が参道入り口です。







▼参道右に鐘楼。入母屋造、本瓦葺、なんと十二脚の大鐘楼です。







▼再興玄宥僧正坐像が南を向いてお坐りです。







▼仏足石。







▼金堂参道に戻ります。







▼金堂。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、鉄筋コンクリート造、
 宝永二年 (1705年) 建立。明治十五年 (1882) 焼失。その後、宗祖弘法大師生誕千二百年記念事業として昭和五十年
 (1975年) 再建。







▼智積院扁額。第五十九代化主秋山祐雅僧正揮毫。







▼須弥壇の荘厳と本尊大日如来坐像。







▼堂内の灯り。






            ▼本尊大日如来坐像。像高197.8cm、木造、仏師西村公朝の指導により1975年造像。






▼金堂戸口。

           





▼明王殿 (不動堂)。桁裄七間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。
 金堂焼失後一時期金堂として使用されていたお堂。







▼明王殿扁額。第六十五代化主藤井龍心僧正揮毫。







▼明王殿外陣に吊るされている?







▼明王殿内陣。須弥壇中央に本尊不動明王、脇持に矜羯羅童子、制多迦童子が祀られています。






            ▼本尊不動明王坐像。像高84.5cm、寄せ木造り、玉眼。






▼明王殿外廊から境内。







▼大師堂参道。宗祖弘法大師空海をお祀りしています。寛政元年 (1789年)建立。







▼空海さん修行像。







▼大師堂 (遍照金剛殿)。桁裄五間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間唐破風向拝付。







▼大師堂扁額。別称遍照金剛殿と揮毫されています。






            ▼覚鑁上人像。






▼運敞蔵。第七代化主運敞僧正座像を祀り、僧正一代にわたって収集された書籍文献を収蔵。延宝元年 (1672年) 建立。







▼井戸。







▼密厳堂。中興祖、興教大師覚鑁像を安置。
 桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。寛文七年 (1667年) 建立。







▼密厳堂扁額。第七代化主運敞僧正揮毫。







▼密厳堂。







▼求聞持堂(文殊堂、護摩堂)。本尊虚空蔵菩薩、嘉永四年 (1844年) 建立。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。







▼明星殿と書かれた求聞持堂扁額。







▼智積院総鎮守社、三部権現社拝殿。







▼三部権現とは中央仏部、右金剛部、左蓮華部のそれぞれの神が祀られ、この写真は中央仏部の本殿。







大書院の名勝庭園と国宝障壁画を拝見することにしましょう。

▼山門。正面見えるのは講堂。







▼講堂は横に長~い建物で全景は撮れません。
 桁裄十八間、梁間九間、入母屋造、本瓦葺、総檜造。平成七年 (1995年) 再建。
 総檜造としては京都一、自慢の種らしいですヨ。







▼講堂中央の間に本尊阿弥陀如来坐像。







▼後藤順一さんの襖絵。「浄」と「百雀図」













▼田渕俊夫さんの「四季墨絵」
 墨の濃淡だけで表現する驚異的な世界、もの凄い描写力に言葉も出ません。六十点の襖絵が奉納されているんです。













▼講堂の外縁、かなり長く感じるでしょう。長いんです。







大書院の障壁画です。お見せするのは総てレプリカ。本物は収蔵庫で見ることができます。

▼右長谷川等伯の楓図、左長谷川久蔵の桜図。







▼等伯の楓図。







▼等伯の松と葵。













お庭に目を移しましょう。名勝庭園大書院前庭「利休好みの庭」「中国の盧山に倣って高低利用の築山を造り、その前面に池を
掘るとともに、山の中腹や山裾に石組みを配して変化を付けている」と説明がなされています


▼「利休好みの庭」アラカルト











































▼宸殿は入れませんでした。こちらには堂本印象さんの襖絵があるそうです。







▼翻える五色幕に送られて長~い智積院拝観オシマイで~す。







▼ご朱印です。







本年の「古寺を歩こう」はこれにてオシマイ。
いつもお粗末なブログにお越しいただき感謝です。ありがとうございました。
皆様のハッピーライフをお祈りして、それではまた明年!






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4 コメント

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ありがとうございました (kotarou)
2016-12-30 21:42:58
hideponさん
今年もすばらしいお写真と解説をありがとうございました。
襖絵は本当に益々斬新に感じます。大変貴重なお写真ありがとうございました。
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良いお年を (ろこ)
2016-12-30 22:11:09
 古寺を歩こうを堪能させていただきました。
 めったに見ることができないものを、日々ブログで拝見できる目福に預かり、感謝します。
 ありがとうございました。
 良いお年をお迎えくださいますように。
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Unknown (hidepon)
2017-01-01 01:04:23
kotarouさん、いつも嬉しいお言葉ありがとうございます。

kotarouさんの3Dとボクの古寺、お互いに頑張ってゆきましょうネ。
いい酉歳になるように祈念いたします。
返信する
Unknown (hidepon)
2017-01-01 01:23:20
ろこさん、コメントありがとうございます。
まさかコメントいただけるとは思いもよりませんでした。
もっといい写真、もっといいコピーをとの激励として、戴きました。

いい写真、いいコピー精進します。
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