(2016.12.24訪問)
京阪電車「七条」で降りて、七条通りを東の突き当たりへ向かって歩いています。途中には三十三間堂、養源院、法住寺、方廣寺、
妙法院門跡、そしてこれから訪ねる智積院が寺勢を競っています。そうそう京博もここにあります。
智積院が古刹と云えるかどうかは別にして、いかに寺勢が凄いかは街中に広大な寺地を誇り、名勝庭園、障壁画や襖絵などに錚々
たる名前がならんでいます。覚鑁さんの思想もさることながら、ボク達は往々にしてこの錚々たる名前に惹かれます。
てな訳で智積院を訪ねました。
▼突き当たり、東大路通に面してデッカイ寺号石柱、イヤでも目に入ります。
[ 智積院 ]
●山号 五百仏山 (いおぶさん)
●寺号 根来寺智積院 (ねごろじちしゃくいん)
●宗派 真言宗智山派 (しんごんしゅうちざんは) 総本山
●開祖 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
●中興 興教大師覚鑁 (こうぎょうだいしかくばん)
●再興 玄宥僧正 (げんゆうそうじょう)
●開創 慶長三年 (1598年)
●本尊 大日如来坐像
▲京都市東山区東大路通り七条下る東瓦町964番地 TEL.075-541-5361
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲JR京都駅よりバス10分、東山七条下車 市バス206系統、207系統、208系統
京阪七条駅より七条通を東へ徒歩約10分
▼総門。いきなり言い訳ですが、ワイドがないので電線がどうにもなりません。
御所東福門院より移築、現在総門は通れません。能化晋山時のみに開門。
智積院縁起 (智積院HPから抄出)
真言宗の宗祖弘法大師空海が高野山で入定したのは、承和二年 (835年) その260年後、興教大師覚鑁が高野山に大伝法院を建て、
高野山の復興と真言宗教学の振興に活躍。保延六年 (1140年) 修行の場を高野山から根来山へ移し、根本道場としました。二年後
の康治二年覚鑁死去。鎌倉時代の中頃に、頼瑜僧正が大伝法院を高野山から根来山へ移し、これにより根来山はおおいに栄え、最
盛時には、2900の坊舎と約6000人の学僧を擁するようになります。智積院は、その塔頭寺院のなかの学頭寺院でした。しかし勢
力が大きくなると豊臣秀吉と対立、天正十三年 (1585年) 秀吉軍により、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰しました。その時、
智積院の住職であった玄宥僧正は、高野山に逃れ、秀吉が亡くなった慶長三年 (1598年) 智積院再興の第一歩が京都東山にしるさ
れました。そして慶長六年 (1601年) 家康から、玄宥僧正に東山の豊国神社境内の坊舎と土地が与えられ、名実ともに智積院が再興。
その後、秀吉が建立した祥雲禅寺を拝領、境内伽藍が拡充されました。
再興された智積院の正式の名称は、「五百仏山根来寺智積院」といいます。
▼総門から見た正面書院大玄関。
▼書院大玄関。
▼書院大玄関の布袋唐子嬉戯の図。
▼拝観はこちらから、冠木門が参道入り口です。
▼参道右に鐘楼。入母屋造、本瓦葺、なんと十二脚の大鐘楼です。
▼再興玄宥僧正坐像が南を向いてお坐りです。
▼仏足石。
▼金堂参道に戻ります。
▼金堂。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、鉄筋コンクリート造、
宝永二年 (1705年) 建立。明治十五年 (1882) 焼失。その後、宗祖弘法大師生誕千二百年記念事業として昭和五十年
(1975年) 再建。
▼智積院扁額。第五十九代化主秋山祐雅僧正揮毫。
▼須弥壇の荘厳と本尊大日如来坐像。
▼堂内の灯り。
▼本尊大日如来坐像。像高197.8cm、木造、仏師西村公朝の指導により1975年造像。
▼金堂戸口。
▼明王殿 (不動堂)。桁裄七間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。
金堂焼失後一時期金堂として使用されていたお堂。
▼明王殿扁額。第六十五代化主藤井龍心僧正揮毫。
▼明王殿外陣に吊るされている?
▼明王殿内陣。須弥壇中央に本尊不動明王、脇持に矜羯羅童子、制多迦童子が祀られています。
▼本尊不動明王坐像。像高84.5cm、寄せ木造り、玉眼。
▼明王殿外廊から境内。
▼大師堂参道。宗祖弘法大師空海をお祀りしています。寛政元年 (1789年)建立。
▼空海さん修行像。
▼大師堂 (遍照金剛殿)。桁裄五間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間唐破風向拝付。
▼大師堂扁額。別称遍照金剛殿と揮毫されています。
▼覚鑁上人像。
▼運敞蔵。第七代化主運敞僧正座像を祀り、僧正一代にわたって収集された書籍文献を収蔵。延宝元年 (1672年) 建立。
▼井戸。
▼密厳堂。中興祖、興教大師覚鑁像を安置。
桁裄五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。寛文七年 (1667年) 建立。
▼密厳堂扁額。第七代化主運敞僧正揮毫。
▼密厳堂。
▼求聞持堂(文殊堂、護摩堂)。本尊虚空蔵菩薩、嘉永四年 (1844年) 建立。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。
▼明星殿と書かれた求聞持堂扁額。
▼智積院総鎮守社、三部権現社拝殿。
▼三部権現とは中央仏部、右金剛部、左蓮華部のそれぞれの神が祀られ、この写真は中央仏部の本殿。
大書院の名勝庭園と国宝障壁画を拝見することにしましょう。
▼山門。正面見えるのは講堂。
▼講堂は横に長~い建物で全景は撮れません。
桁裄十八間、梁間九間、入母屋造、本瓦葺、総檜造。平成七年 (1995年) 再建。
総檜造としては京都一、自慢の種らしいですヨ。
▼講堂中央の間に本尊阿弥陀如来坐像。
▼後藤順一さんの襖絵。「浄」と「百雀図」
▼田渕俊夫さんの「四季墨絵」
墨の濃淡だけで表現する驚異的な世界、もの凄い描写力に言葉も出ません。六十点の襖絵が奉納されているんです。
▼講堂の外縁、かなり長く感じるでしょう。長いんです。
大書院の障壁画です。お見せするのは総てレプリカ。本物は収蔵庫で見ることができます。
▼右長谷川等伯の楓図、左長谷川久蔵の桜図。
▼等伯の楓図。
▼等伯の松と葵。
お庭に目を移しましょう。名勝庭園大書院前庭「利休好みの庭」「中国の盧山に倣って高低利用の築山を造り、その前面に池を
掘るとともに、山の中腹や山裾に石組みを配して変化を付けている」と説明がなされています
▼「利休好みの庭」アラカルト
▼宸殿は入れませんでした。こちらには堂本印象さんの襖絵があるそうです。
▼翻える五色幕に送られて長~い智積院拝観オシマイで~す。
▼ご朱印です。
本年の「古寺を歩こう」はこれにてオシマイ。
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皆様のハッピーライフをお祈りして、それではまた明年!
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まさかコメントいただけるとは思いもよりませんでした。
もっといい写真、もっといいコピーをとの激励として、戴きました。
いい写真、いいコピー精進します。
kotarouさんの3Dとボクの古寺、お互いに頑張ってゆきましょうネ。
いい酉歳になるように祈念いたします。
めったに見ることができないものを、日々ブログで拝見できる目福に預かり、感謝します。
ありがとうございました。
良いお年をお迎えくださいますように。
今年もすばらしいお写真と解説をありがとうございました。
襖絵は本当に益々斬新に感じます。大変貴重なお写真ありがとうございました。