土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大覚寺、絶世の美女、檀林皇后を偲びに……。

2016年12月15日 | 京都の古寺巡り





(2016.12.10訪問)


二尊院から次の訪問先は、高格式のお寺、歴代天皇や皇族方が住職を務めた門跡寺院大覚寺を訪ねます。
参道を歩いていて又もやでました、嵯峨野の来ると必ず……。

♪ 京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女がひとり~
     
     ♪ 塩沢がすりに名古屋帯 耳をすませば滝の音
           
          ♪ 京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた女がひとり~
 

物思いに沈み、哀愁が漂う白壁沿いに、影をのばして暫し佇む、塩沢がすりの細身の女人、そう歳の頃三十代前半……、
こんな女性どこかにいます? い ま せ ん !




▼参道入口。






            [ 大覚寺 ]
            ●山号 嵯峨山 (さがざん)
            ●寺号 大覚寺 (だいかくじ) 正式名称 旧嵯峨御所大覚寺門跡
            ●宗派 真言宗大覚寺派大本山 (しんごんしゅうだいかくじは)
            ●勅願 嵯峨天皇 (さがてんのう)
            ●開山 恒寂法親王 (ごうじゃくほっしんのう)
            ●開創 貞観十八年 (876年)
            ●本尊 五大明王 (重文)
            ▲京都市右京区嵯峨大沢町4番地 TEL.075-871-0071
            ▲拝観料 500円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~17:00 
            ▲JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約15分
             京福電鉄嵐山線「嵐山駅」下車 徒歩約20分 
             市バス「大覚寺」下車 徒歩スグ




            ▼格式の高さは石柱の高さに比例するみたい。






大覚寺縁起 (大覚寺HPから抄出)
平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身、離宮嵯峨院である。嵯峨院が大
覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観十八年 (876年) のことである。弘法大師空海のすすめにより
嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(六十年に一度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。
明治時代
初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡を務めた格式高い門跡寺院である。




▼参道。正面を左に曲がりますと、







▼玄関門。戸口の広い三間一戸、簡素な造りですが格調高き門ですネ。切妻造、本瓦葺。






            ▼寺号木札。






▼門から見えるのは、通常庫裡と称する建物ですが、こちらは陣屋と呼んでいるようです。







▼式台玄関。こちらからは入れません。左が拝観入口。







▼宸殿 (重文)。桁裄九間、入母屋造、檜皮葺、寝殿造。
 江戸時代後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。入内された徳川将軍秀忠の娘、東福門院和子が宸殿として使用していたもの。
  (大覚寺HPから抄出)







▼宸殿襖絵。この襖絵はレプリカ、オリジは収蔵庫。絵師狩野山楽。           













▼宸殿広縁。







▼宸殿前庭。







▼御影堂。桁裄七間、入母屋造、桟瓦葺。大正十四年 (1925年) 建立。
 大正天皇即位に際し建てられた饗宴殿を式後賜り移築したもの。心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてあり
 内陣左右に嵯峨天皇、弘法大師、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた方々の尊像を安置。
  (大覚寺HPから抄出)







▼御影堂内陣。中央が開けられた窓、見えるのが勅封心経殿。







▼ 勅封心経殿。御影堂内陣と五色のテープで繫がっています。大正十四年 (1925年) 再建。
 嵯峨天皇、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経を奉安されている。通常は非公開、六十年に一度開扉。
  (大覚寺HPから抄出)







▼御影堂前庭、正面に見えるのが、







▼勅使門。四脚門、切妻造、銅板葺。嘉永年間 (1848~54年) 再建。
 屋根梁、正面および背面に軒唐破風を付け、全体は素木造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、金鍍金の飾り装飾を施している。
  (大覚寺HPから抄出)









▼渡り廊下。建物は総て渡り廊下で結ばれています。







▼安井堂内陣。後水尾天皇僧形を奉安。
 京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を明治四年 (1871年) 移築。 (大覚寺HPから抄出)







▼渡り廊下。







▼中庭の紅葉、しぶとく頑張ってます。







▼非常に複雑な堂形でオール朱色の霊明殿。東京日仏寺の本堂を昭和三十三年 (1958年) 移築。







▼霊明殿の内陣。本尊阿弥陀如来。天井から吊るされた、羅網が本当にきれいです。







▼霊明殿前庭。しぶとく頑張っている紅葉は左に見える紅葉です。







▼鐘楼。







▼建物拝観を終え一旦外に出ます。式台玄関から玄関門。







大沢池の西にいくらかの堂宇が並んでいます。

▼方丈池の近くに石仏が。







▼宝形造の小さなお堂、護摩堂。







▼方三間の宝形造、桟瓦葺の聖天堂。







▼心経宝塔 (多宝塔)。昭和四十二年 (1967年) 建立。       
 嵯峨天皇心経写経千百五十年を記念して建立。基壇内部に「如意宝珠」を納めた小塔を安置、内部には弘法大師像をお祀り。
 (大覚寺HPから抄出)















 




            ▼心経宝塔の相輪。






▼池畔の紅葉のトンネルもオシマイです。







▼大沢池です。                         
 大覚寺の東、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営時、唐の洞庭湖を模して造られたところか
 ら庭湖とも呼ばれています。(大覚寺HPから抄出)













▼呼べど答えず、ひたすら前進あるのみ。







▼大沢池。







              





▼大沢池から引かれた掘割を流れる水音を聞きながら大覚寺オシマイ。







▼ご朱印です。






            フ ロ ク
            ▼参道前の個人のお宅だと思いますが、こんな石塔が建ってました。






書をよくし空海、橘逸勢とともに三筆と讃えられ、華道の開祖とも伝わる平安初期の宮廷文化絢爛期を導いた嵯峨天皇。絶世の美女
橘嘉智子を皇后に迎え、男としては華麗な一生を、為政者としては影もまた多き一生と伝わります。平安初期の寺院草創には嵯峨天
皇の名がよく出てきます。ここ大覚寺は天皇自らがお寺として建立したものではなく、天皇皇女、皇孫がその遺志を継いだとは云え、
門跡寺院としての格調は半端じゃありません。やはり代々為政者として心の葛藤が神仏傾倒へと、自然な流れかも知れませんネ。

絶世の美女橘嘉智子はん、どんなお顔してはったんやろ。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (QooAIBO)
2016-12-18 22:27:38
いやぁ~、
すごいですね。
特に「宸殿襖絵」、圧巻です。
是非一度訪れてみたいですね。
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Unknown (hidepon)
2016-12-19 17:06:12
QooAIBOさん、こんにちは。

大寺院には障壁画の素晴らしいのが残っていますネ。
こちらの襖絵も広いお部屋を飾っているので迫力満点です。
願わくば、本物を見てみたい気がします。
レス遅れお詫びします。コメントありがとうございました。
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