(2018.03.24訪問)
新大和路号は観音霊場第二十番札所「善峯寺」をめざして久々に京西山の細〜い山道を走っています。西山古道で結ばれている西山
三山の一つ「善峯寺」はこの界隈の地域一番寺と申しましょうか、とにかく境内が広い、堂塔伽藍が多い、お堂開けっぴろげ、景観
が非常に結構、歴史もそこそこ、難点はアップダウンが急でシンドイ。しかしお寺を愛する人々にとってはこの上なく充実感が味わ
える、いいじゃないですかお寺の一つだと思います。相当な山中にもかかわらず参拝者の多さはさすがに札所、細〜い山道の終点に
は観光バスが数台停まってました。
※アホほど写真が多いです。アホらしなったらスルーしてくださいネ。見すぎると目が故障しますよ。ちなみにボクは目医者通い中。
▼山門。三間一戸、重層楼門、正徳六年 (1716年)建立。
[ 善峯寺 ]
●山号 西山(せいざん)
●寺号 善峯寺 (よしみねでら)
●開基 源算上人 (げんさんしょうにん)
●開創 長元二年 (1029年)
●宗派 天台宗単立
●本尊 千手観世音菩薩立像
▲拝観料 500円 朱印300円 駐車料500円
▲拝観時間 8:00~16:45
▲西国三十三カ所観音霊場第二十番札所
▲京都市西京区大原野小塩町1372 Tel.075-331-0020
▲http://www.yoshiminedera.com/
▲阪急京都線「東向日」から阪急バス66番 善峯寺行終点「善峯寺」下車 徒歩8分
京都縦貫道「大原野IC」から約15分
▼山門扁額。軒の組み物の先端が白塗りされているので、扁額白文字と喧嘩、チト読みにくい。
善峯寺縁起 (善峯寺HPから抄出)
源算上人は比叡山横川の恵心僧都に師事して、四十七歳で当山に入り、御自作の千手観音を本尊として奉安。長元七年 (1034年) 後
一条天皇より鎮護国家の勅願所として「良峯寺」の寺号が下賜。建久三年 (1192年) 後鳥羽天皇より「善峯寺」の宸額が下賜。以後
白河天皇や後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ皇室の崇敬をうけました。鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、多く
の親王が籠居され、室町時代には僧坊五十二に及びますが、応仁の乱で焼失、江戸時代に徳川綱吉の生母桂昌院を大檀那として鐘楼、
観音堂、護摩堂、鎮守社、薬師堂、経堂が復興されました。
▼阿形金剛力士。
▼吽形金剛力士。
仁王さんの部屋はガラス張りのため写り込み酷し、金網だったら奥の手があるんですがネ。
▼山門の初層格子天井。絵の痕はないようです。
▼こうして見ると中々雄大な山門ですネ。
▼山手のお寺の梅はまだまだの感じ。
▼山門を潜ると一直線に本堂への石段。
▼本堂前の手水舎。
▼本堂です(木札には観音堂と書かれています)。
桁行五間、梁間五間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。後堂が付属してます。元禄五年 (1692年) 再建。
本尊 千手観世音菩薩立像ですが秘仏 像高178.8cm、木造漆箔、平安後期。
▼本堂前面。
▼扁額は本尊名。
▼内陣奥須弥壇に豪華なお厨子。中に秘仏の本尊がおられるのでしょうが、しかしお前立ちもいないぞ。
▼傳教扁額と天蓋。
▼本堂外縁で黙々とお供えを活ける僧侶。
▼本堂。
▼一見、三〜四分咲き。
▼鐘楼(厄除けの鐘)。貞享三年(1686年)綱吉の厄年で桂昌院寄進。
▼護摩堂。本尊五大明王。三間四方、宝形造、桟瓦葺、元禄五年(1692年)桂昌院寄進。
▼護摩堂扁額。
▼五大明王が祀られた須弥壇、中央不動明王。最近の作でしょうかフィギアを見てるようです。
▼樹齢600年以上と云われる遊龍の松。幹長37mだそうで、太い幹は確かに龍を思わせます。
▼多宝塔 (重文)。石積み基壇に1mほどの床つき、塔形素晴らしく美観、ナイスな塔です。
元和七年(1621年)建立。本尊 愛染明王。入口ガラス張りのため内部は反射で全く見えません。
▼多宝塔の隣に経堂。宝永二年(1705年)建立。桂昌院寄進。
▼経堂前面。
▼傅大士 (ふだいし) を奉安。後ろは輪蔵、鉄眼版一切経が収められ……、
▼周囲には絵馬が狭しと並んでいます。
▼開山堂への道は右手が崖になり京都市街の眺望が広がります。京都タワーが見えますが判ります?
▼開山堂。貞享二年(1685年)建立。開山源算上人廟所です。
▼開山堂扁額。
▼極めてシンプルな堂内。お厨子の中に開山源算上人117歳の像が祀られてるそうです。
▼開山堂の隣崖上に幸福地蔵。
▼幸福地蔵のデッキから見渡すコレ紫陽花苑なんです。シーズンには凄いことになるそうですヨ。
▼善峯寺の大檀那、桂昌院 (綱吉の生母) の遺髪を納めた墓所。
宝永二年(1705年)建立。
▼鎮守社の前を通って……、
▼この石段を上って釈迦堂へ。
▼釈迦堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。
▼釈迦堂扁額。
▼釈迦堂内陣の様子。
▼釈迦堂内陣扁額。237世天台座主石室孝暢師揮毫。
▼釈迦堂本尊石像釈迦如来坐像。伝源算上人刻。お腹に横一線の継ぎ目が見えますネ、何か由緒でも?
▼本尊のお顔アップ。
▼薬師堂への参道。石段の先には薬師堂。紅梅がきれいでした。
▼境内最高所に建つ薬師堂。本尊 薬師如来立像。
桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付、元禄十四年(1701年)建立。
▼扁額。
▼本尊薬師如来立像、薬師三尊の理想的なカタチ、左右に日光、月光菩薩立像。
▼薬師堂からの市街眺望、一番高い山は比叡山。
▼薬師堂裏手に、開山源算上人建立の蓮華寿院旧地を利用した池泉庭園。
▼池の前には集められた石仏が並んでます。
▼けいしょう殿。
▼なに想う桂昌院さん、生まれ育った京の町を眺めながら。
▼聖観音の微笑み。
▼風に揺れてる青蓮の滝。
▼鎮守社稲荷大明神。
▼阿弥陀堂は工事進捗中。
▼高低差抜群?の境内巡りいよいよオシマイ。この参道上りか、平坦か、下りか、さて形状は?
▼やれやれやっと本堂前に戻ってきました。
▼ご朱印です。
境内は広く数多い堂宇伽藍は山肌斜面にそって散在、それぞれを繋ぐ参道は高低差かなりのハードな境内です。このお寺、西国観音
霊場第二十番札所ですが、肝心の本尊千手観世音さんは秘仏のため会うこと不可、お前立ちもいないお厨子だけが目立つ内陣須弥壇、
霊場巡りの巡礼者の方々は何に手を合わせばいいのでしょう、お厨子の中にご本尊はお立ちとは云え、不満はないのでしょうか。
人ごとながら気になった善峯寺でした。
善峯寺 オ シ マ イ 。
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