土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

宇陀路の名刹を訪ねる、その2

2010年06月04日 | 奈良の古寺巡り
宇太水分神社から166号線を戻ります。しばらく走ると国道370号線との分岐交差
点に着きます。正面に大宇陀道の駅がドンと控えています。
この辺り阿騎野の地は、万葉の世、薬猟場であったといい、万葉集の舞台として、
柿本人麻呂がこの地へ狩りに訪れた軽皇子に同行し詠った万葉秀歌
「ひむがしの 野にかぎろひの 立つみえて かえりみすれば 月かたぶきぬ」
を残したゆかりの地であるそうです。

[ 大願寺 ]
真言宗御室派 仁和寺末寺 薩垂山成就院大願寺
大宇陀道の駅のすぐ裏手の高台にこのお寺の境内が広がっています。
織田信長の次男信雄から5代織田家が藩主であった宇陀松山藩の祈願所といわれ、
山内には三代織田長頼が白山神社から勧請した白山権現社が祀られています。

山門。
急坂、急石段ですが距離はありません。


山門扁額は、四代信武の直筆といわれています。


本堂。
本尊十一面観音立像。像高三尺三寸三分、724年長谷寺の開創徳道上人の作と伝
わります。


毘沙門堂。
四代信武の寄進になるそうです。


賓頭廬さま。
本堂前の小さなお堂に座しています。お顔はなんと表現していいか分かりません。
表現の仕様がありませんです。自分の患い箇所を賓頭廬さまの同じところを擦る
とその病が癒えるご利益で、皆さん一心に祈願されていました。当然ボクも。


境内。


庫裡兼レストラン。
お寺の境内には不釣り合いなきれいな建物。
近くには森野薬草園があり、古くからの薬猟場、薬草料理を提供しています。
おばさん達の団体で賑わっていました。


白山権現社。古寂びた社は織田家縁の社とはとても思えない寂しさです。


白山権現社への道。


[ 大蔵寺 ]
雲管山医王院大蔵寺。真言宗豊山派のお寺。
聖徳太子開基、空海中興。役小角の修行の道場と伝えられているそうです。
大蔵寺を訪ねたのは、以前読んだ白洲正子さんの著作 [かくれ里] にあった [宇
陀の大蔵寺] をこの日の前日もう一度読み直し、白洲さんが歩かれた後を訪ねて
みようと思ったからなのです。白洲さんがこれを書かれたのは昭和45~46年のこ
と、約40年前。当時から今の変わり様を確かめてみたかったのも、もう一つの理
由でもあります。

国道370号線を大願寺から南へしばらく走ると、大蔵寺への道しるべ。


参道へと向かう山道。
かなりの急坂で道幅も狭く、道の両脇には、春の名残なのかツツジの枯落花と木
の名は判らないが、枯れ葉が積もっています。


山側には六字名号板碑が草蒸して閑かに立っています。


参道入り口に石標。
この前に、掲示板があり「当寺は観光寺院ではありません。檀家の皆さんがこの
お寺を守っています。静かに参拝をお願いします。」とありました。


参道。
本堂への石段下に庫裡があります。ボクが前を通った時は無人のようでした。


石段すぐ上に山門と思ったのですが、鐘楼でした。兼ねているのでしょうか。


本堂(重要文化財)。
本尊薬師如来。寄棟造柿葺、鎌倉後期の堂宇だそうです。
石積基壇上に建てられた、きれいなお堂です。残念ながら白洲さんがジックリ見
られた堂内は拝観できませんでした。
境内はさほどの広さは感じませんが、この山中にあってここだけがポッカリ空に
通じている明るい空間になっています。


太子堂(重要文化財)。
宝形造柿葺、弘法大師を祀る大師堂としては日本最古と聞きました。


十三重石塔。今は三石失われて十重塔に。般若寺の石塔と同じ唐人伊行末の作と
云われています。


鐘楼。
写真の向こう側がすぐ石段。山門を兼ねるには少々無理があるように思えます。


鎮守社。由緒はよく判りません。


境内の一角に小さな石像。刻まれた文字によると京醍醐寺云々とありましたので
修験関係のお寺でもあったのでしょうか。役小角の伝承も案外本当だったのかも
知れませんね。


真言密教の修行地としてまさにピッタリの山中で、その匂いを今に伝えている古
寺の風格を感じました。
白洲さんが廻られた当時と山中環境には古さ故か、さほどの変化は無いのでは。
古寺維持の大変な努力の跡は歩いていて十分感じることが出来ます。
帰り間際、庫裡の前を通りかかりますと若いご住職お一人で庫裡前の庭の土入れ
作業をされてました。しばらくお話を伺いましたが、やはり観光寺院でないこと
だけは強調されていました。

追、
当時は依頼すればお堂はいくらでも拝観可能だったらしいですが、いろいろ理由
はあるのでしょうが今は各寺院とも頑に拒んでいるのがなんとも残念です。

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