裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

世界の中の日本国

2011年03月27日 19時34分37秒 | Weblog
今、身に染みてわかります。
「金は出しても、ひとは出さない」の意味。
国連などが手掛ける多くの和平途上の地、あるいは紛争地に、日本はお金だけを拠出して、兵隊を送ることは決してなかったのでした。
今、世界中の多くの国々が、日本の大災厄に際して「お金は出しますよ」と言ってくれてはいますが、「原発事故の最前線でお手伝いしますよ」とは言ってくれません。
多くの日本国民が淡い期待を寄せてた米軍までもが。
もちろん、この件はわが国の失態であって、米軍をはじめとする他国は、自国民を傷つけてまで処理にあたってくれるわけはありません。
「その後のお金の工面だけはフォローしますよ」という態度です。
それはまさに、これまでの日本国の態度そのもの。
これまで世界各地にひとを出さなかった分(というのは比較にならないでしょうが)、わが国は、誰にも頼らずに事を処理しきらなければなりません。
考えてみれば、どの紛争地でも日本は決して汚れ仕事を引き受けることなく、しかもいい顔をしたいがために、札ビラをバラまくという手段で、「手伝った気分」になってただけなのでした。
これは、常に国際社会から批判を浴びてきた態度です。
その場に介入するのなら、きちんと手を汚すべきでした。
介入しないのなら、金の支払いなどきっちりと拒絶するべきでした。
そういう「いい顔しい」が、今回の件に跳ね返ってきてるんじゃねっかと考えると、しっくりとパズルがハマる感触があるのですが、どうなんでしょうか?
手助けの手がまったく届かないまま(原発限定ね)にひとりきりにされてる日本国を見て、そう考えるのはうがちすぎですか?

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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