裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ブーイング

2009年08月26日 11時45分40秒 | Weblog
甲子園大会で、相手チームの好プレーに対して、拍手と歓声で応じたチームのことが話題になってます。
敵は敵として本気で戦うとして、そのよいところだけは別個にたたえる。
いいね、こういうの。
作法やしつけというよりも、こういうのって、人間が本来持ってる衝動みたいなものだと思う。
すごいプレーは、たとえそれが敵であっても「すごい」と感じてしまうもの。
素直で、自然で、人間的で、実に普通な話ではないですか。
実はオレ、「ブーイング」ってやつにはげしい嫌悪感を覚えるのです。
違和感というかな。
おかしいでしょ、あれ。
日本文化になじみませんよね。
汚いプレーや、悪辣な振る舞いや、ヒール(悪役)のショーマンシップに対する「敬意としての」ブーイングならまだ許せるけど、敵方のスターの登場や、好プレーといった場面にまでブーイングするのは、どう見てもおかしい。
百歩ゆずって「盛り上げ」と解釈したとしても、まったく賛同できません。
オレはいろんなスポーツをやってきたんだけど、相手チームのすごいプレーを見たら、ただそれだけでうれしいし、興奮するし、声を上げてしまう。
ああこのヤロー、と思うけど、まずは人類の劇的な動きの美しさ、奇跡のような光景に目を見開かされる。
そういうもんでしょ。
プロの試合を観に行って、相手チームのサヨナラ満塁ホームランにがっかりする、ライバルチームのスーパーゴールを見させられて「来なきゃよかった」と感じる、なんていう観客は筋金入りのファンだけで、本当はみんな希有なシーンにお目にかかれてうれしいものなんじゃないのかな?
こういう非日常的、超絶的な光景を焼きつけるために人々は現場にまでわざわざ足を運ぶんであって、自分のチームが勝ちさえすれば溜飲が下がる、というものでもないと思うわけです。
ヨーロッパや南米の国内サッカーを観てると、ライバル同士は本気で憎しみ合ってて、実際に血みどろの大ゲンカを演じたり、殺し合ったりしてるんだけど、我が国の風土や国民性には、そういうのはぜんぜん根差させるべきじゃありません。
「あっちのサッカーは戦争そのものなんだよ。日本は遅れてるんだよ」などと物知り顔の若年寄は語るわけですが、あっちのサッカーこそが間違ってるんだと教えてさしあげたい。
そんな一部トチ狂ったリーダー格に無理やりにあおられてブーイングをやらされてる子羊ちゃんたちの姿には、寒々しいものを感じざるをえません。
ブーイングなんてやめてさ、もっとのんびりと選手たちのプレーを楽しみましょうよ。
そう、楽しむのは「勝ち負け」じゃなく、「プレー」であるべきなのです。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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