裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

死刑廃止論

2007年12月09日 01時56分19秒 | Weblog
死刑が執行されました。
「殺してヨシ」のハンコを押した法務大臣は、死刑囚は順ぐりかつ自動的に処置(つまり階段送り)していけばいい、と言い放ったひとです。
大変な批判を浴びたこの発言ですが、考えさせられますね。
ところで死刑制度反対論者のほとんどが「加害者の人権」を語るわけですが、その前に、被害者の深刻な苦しみを具体的に考えるという作業をしてみませんか?
反対を唱えるのは、とりあえずその後にしましょうよ。
思い浮かべてください。
この世の中で、自分がいちばん愛するひとを。
恋人、ツマ、だんなさん、我が子、かあちゃん、とうちゃん、親友、恩師、敬愛する人物、尊敬する人物、心から愛する人物・・・
さて、さらに想像します。(しんどいけど)
その「いちばん愛するひと」が殺されます。
しかし、そのひとだけでは足りません。
「二番目に愛するひと」も、さらに、最愛の「複数名」もが殺されます。
ひとり殺しただけでは、死刑判決など下りませんから。
しかもその最愛の人物たちは、楽には死なせてなどもらえません。
そのやり口は、人間のすることとも思えないような残忍なものでなければなりません。
これらが満たされないと、死刑という判決には至らないのです。
最も愛する人物が、抵抗さえ許されないまま、相手の身勝手な欲望を肉体に加えさせられたうえ、切り刻まれるようなやり方で、げんこつで、刃物で、ロープで、タバコの火で、熱湯で、長期間悶え苦しまされた末に、輝けるものであったろう未来を断たれ、挙げ句に山中に、海底に、そこいらの道ばたに、ゴミのように廃棄される。
そして、それが二人に、三人に四人にくり返される。
これが、死刑囚がしでかしてきたことです。
さて、このことをリアルに想像し得たひとだけがやっと、「刑とは懲罰であるべきか、更生であるべきか」という議論に参加することができます。
みなさんはどちらに組します?
ぼくは批判を覚悟で言わせてもらえれば、「それをしでかしたひとには、国家が大金を費やしてまで更生してもらわなくてもかまわないのでは?」と考えてます。
無念には仇討ちを。
サムライ見習いとして、そう発想します。
いかがです?

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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