あまりにもいろんなことがあり過ぎて振り返ることも難しいのだけれども、大晦日ということで2011年を振り返る。
3.11以降の一週間は今でもまざまざと思い出すことができる。
あの、何かに浮かされ急かされたような東京の熱っぽさは、終末感というよりも……年末感だった。そのとき「逃げる」判断ができた人たちはどうしたってごく少数だっただろうし、正直、オレ自身もそんなシリアスな「パニック」にリアリティを感じられなかった。
あまり意味のなさそうな買い占め、薄暗い商店街を早足で歩く人々、そんな生活感のある「静かなパニック」だけがリアルだった。個々に事情はあるにせよ、オレにとっては今ここ(東京)にいて、空気を感じ続けることがだけがリアルだったのだと思う。
だから大晦日の今日は、あのときの雰囲気を十分に思い起こさせる。
3月はひたすらテレビとネットを観ていた。予定はストップしてしまい、大してやることもなかった。
それでも4月は動き始めた。「天罰」という言葉で始まった都知事選に都民は何の変化も求めなかったが、同じ日、オレは芝公園23号地へ向かった。もう何もせずにはいられないという衝動に突き動かされて、それ以降30回以上は反原発デモや抗議行動に参加した。
だから2011年は何をしていたか?と問われれば、ほぼ毎週デモってましたという他ない。
「あの日」に大災害と事故が起こってしまい、日常が変わってしまったのだから、その中で突き動かされるままに行動するのは当たり前のことなのだ。もちろん「変わった」ということを受け入れ難い人たちはいるだろう。しかしオレたちはこれからも「事故を起こした原発」という負の遺産を背負いながら、変わってしまった日常を受け入れられない人々に向けて伝え(デモり)続ける。
取り返しのつかない事故は本当に起きてしまった。オレたちはどうしたって変わらなければならない。変わることを受け入れ、選択するより他はない。
今日新しい靴を買った。
ワインレッドの、なかなかかっこいいトレッキングシューズだ。
今年デモに履いていった靴はずいぶん踵が磨り減ってしまったので、来年はこれを履いて街を歩く。
3.11以降の一週間は今でもまざまざと思い出すことができる。
あの、何かに浮かされ急かされたような東京の熱っぽさは、終末感というよりも……年末感だった。そのとき「逃げる」判断ができた人たちはどうしたってごく少数だっただろうし、正直、オレ自身もそんなシリアスな「パニック」にリアリティを感じられなかった。
あまり意味のなさそうな買い占め、薄暗い商店街を早足で歩く人々、そんな生活感のある「静かなパニック」だけがリアルだった。個々に事情はあるにせよ、オレにとっては今ここ(東京)にいて、空気を感じ続けることがだけがリアルだったのだと思う。
だから大晦日の今日は、あのときの雰囲気を十分に思い起こさせる。
3月はひたすらテレビとネットを観ていた。予定はストップしてしまい、大してやることもなかった。
それでも4月は動き始めた。「天罰」という言葉で始まった都知事選に都民は何の変化も求めなかったが、同じ日、オレは芝公園23号地へ向かった。もう何もせずにはいられないという衝動に突き動かされて、それ以降30回以上は反原発デモや抗議行動に参加した。
だから2011年は何をしていたか?と問われれば、ほぼ毎週デモってましたという他ない。
「あの日」に大災害と事故が起こってしまい、日常が変わってしまったのだから、その中で突き動かされるままに行動するのは当たり前のことなのだ。もちろん「変わった」ということを受け入れ難い人たちはいるだろう。しかしオレたちはこれからも「事故を起こした原発」という負の遺産を背負いながら、変わってしまった日常を受け入れられない人々に向けて伝え(デモり)続ける。
取り返しのつかない事故は本当に起きてしまった。オレたちはどうしたって変わらなければならない。変わることを受け入れ、選択するより他はない。
今日新しい靴を買った。
ワインレッドの、なかなかかっこいいトレッキングシューズだ。
今年デモに履いていった靴はずいぶん踵が磨り減ってしまったので、来年はこれを履いて街を歩く。