徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ゴトビ以後/清水降格を受け入れるための覚書その2

2015-10-23 00:05:47 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
2010年のシーズンオフが清水エスパルスの大転換期だったことは間違いがない。それはその通りだし、崩壊の起点として論じられるのは仕方がない事だと思う。今更と思わないでもないが。
しかしフットボールは続く。

2011年、web上で「新しい旅立ち」を呼びかけたゴトビに対して、サポーターはどんな思いで彼を迎えたのか。
彼の来日、そして静岡駅到着を少なくないサポーターが迎え、在来線のホームではふたりのサポーターから花束が渡されたという。オレはいつもこのエピソードに胸が熱くなる。あの頃、それぐらいサポーターは精神的に追い詰められていたのだ。

東日本大震災が起こった2011年はエクストラなシーズンだった。ゴトビは震災に対して積極的な発言を行い、オランダでチャリティマッチまで実現した。そんなゴトビのチームがホームで神戸相手に5失点を喰らい惨敗しても、サポーターはそれを「チームの成長途上」として拍手で受け入れた。その後ダービーで起こったゴトビ核爆弾弾幕事件ではスタンド全体が下らない差別とも戦っていた。
ゴトビ自身はビジネスマン臭いが、大人の男で、彼が作ろうとしているチームは悪くないチームだと思っていた。
崩壊で負った傷は徐々に癒されようとしていたはずだった。

しかし次の転機は2012年だった。
前半戦を首位で折り返し、若手中心のメンバーでナビスコカップのファイナリストになった2012年である。あのシーズン、そしてゲーム、前半と同じような内容で戦い続けることができていれば、あの年、確実にタイトルを獲ってさえいれば、その後の第二の崩壊は起こらなかったのだと思う。

前回、健太時代を指して「ギャンブルにある程度勝った」と書いたが、実際あの時代はクラブにとっての「成功体験」になっている可能性は高い(最終的には大博打で投資し過ぎて大失敗したわけだが)。
当時の強化部長は健太の清水東時代の同級生で、鈴与の出向社員が務めていたのだが、彼が清水の将来のヴィジョンについてインタビューに答えている。それはこんなものだ。
「数年に一度カップ戦でタイトルを取って、時々優勝争いをする」
あまりの率直なヴィジョンに目眩を起こしそうになった記憶があるが、実際にタイトルは届かなかったものの、それをほとんど実現していたのが健太エスパルスだった。
2012年までのゴトビエスパルスもそれに近いヴィジョンを実現していたと思う。
しかしゴトビにはあまりにも運とサポートがなさ過ぎた。

ゴトビに対して、周囲からそそのかされ反旗を翻したプレーヤーたちはその後、結局自分たちの力を証明することはできなかった。勝つことでしか自分たちを証明することができない世界で、降格とは逆の意味で実力の証明であり、彼らははっきり言って間違っていた。すでにチームを離れてしまった小野伸二が、清水の降格に対して「選手の責任」とコメンントした意味とはそういうことだと思うのだ。
しかしまだ彼らにはゲームが残っている。彼らが残り3ゲームでどう戦い、自分たちを証明するのか、見るべきものに乏しかった「残留争い」のゲーム以上に注目に値する。

しかし、ここまで書いておきながら何なのだが、今回の降格とゴトビはほとんど関係がない。関係があるわけがない。このチームはゴトビのやり方を否定してスタートしたチームなのだから。
それははっきりさせるべきだろう。

他でも散々書いてきたように、今回の降格議論において、まず大榎克己と原靖と竹内前社長の責任を前提としない意見はまったく無意味で、聞く必要がない(何度でも書く)。
田坂監督は昨季以上にスクランブルな状況で、まさに「火中の栗を拾った」人物なわけで、目先の結果に文句はあってもシーズン全体の結果を責める気持ちにはとてもなれない。過去のインタビューやゲーム後のコメントを読む限り、自身の結果責任について、彼は十分理解しているだろう。
また左伴社長に関しても昨季後半の現場の混乱を引き継いだ状態で、自身のミッションである営業面に関しては十分以上の結果を残している以上、過大な結果責任を負わせる必要を感じない。彼に対するイージーな結果責任論はオーナーサイドも許さないのではないか。

取り敢えず原靖強化部長の退任報道が流れている。

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