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徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

20世紀の結婚の困難について/「春宵 小論集」

2010-11-19 02:41:41 | Osamu Hashimoto
<結婚は、一人の男と一人の女という個人同士の関係を作るもんだけれども、これは多く、「家同士の関係」を作るためのものだった。「政略結婚」というのが特別なものではなくて、「結婚とはすなわち、家同士の関係を作る政略結婚が本道で、家同士のかかわりを持たない結婚のほうが例外的だった」ということは、知っておくべきだ。家同士のかかわりと無縁の結婚は、「誇るべき家格を持たない貧乏人同士の同棲」に近いものだったんだから。
 なぜ結婚が「家」なのかというと、それは、「家」というものが、長い間、労働の場である「会社」の役割を果たしてきたから。(中略)妻というのは、単なる「家事」の担当者じゃなくて、「農家の嫁」という言葉に代表されるような、「さまざまな労働の担い手」だった。「夫と妻と子供のそれぞれが一人ずつ」というような、現代ではよくあるような家庭は、過去の人間の歴史から見れば、例外的で異常なものだと思った方がいい。家には「使用人」というものがいて、この複数の「他人」が、家というものには欠かせない要素だった。(中略)
 中産階級が一般化して、それが今の我々の知る「20世紀の結婚」という一般的スタイルを作ったんだ。夫は会社に行き、妻は家で待機して、よき母になることに専念するという、そういう家庭像を作るのが、「20世紀の結婚」という幻想。
 そういうものを、あまりにも当たり前に想定して、神聖化しすぎて、「そういう結婚」をすることが「一人前の証拠」だと思ったり、あるいはそれを「無意味」と言って否定したり、逆にファッションにしたりということは、もはやあんまり意味がないと思った方がいい。重要なのは、人間はなんらかの形で他人との関係を持つ――そのかかわりによって「自分の生活」なるものが生まれて来るのだということ、それを知ること。
「結婚に関する前例はあっても、自分達の結婚に関する前例はない」――こう思うしかないところが、現在の結婚の困難なんです。>
(橋本治「20世紀の結婚の困難について」月刊PLAYBOY1993年6月号/「春宵 小論集」中央公論社 所収)


春宵―小論集
<春の宵には、恋が聞きたい。「ムーン・リヴァー」「二人でお茶を」「嘘は罪」など、甘く小粋なメロディーにのせて、世の様々な出来事を詩情あふれるタッチで語る珠玉のエッセイ集。>

登録情報
単行本:314ページ
出版社:中央公論社 (1995/01)
ISBN-10:4120023982
ISBN-13:978-4120023989
発売日:1995/01
商品の寸法:20x12.8x2.6cm

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