田口 その前にもいくつかフリーのノイズバンドをやっていたりしましたけれども、きちっとしたパンク・バンドをやろうという形で結成したのがばちかぶりです。それ以前は叫びとノイズみたいな形で2、3年やっていたという形ですね。
--ばちかぶりが活動していく上で田口さんにとってJAGATARA(当時のバンド名は、暗黒大陸じゃがたら、じゃがたら)の影響が大きかったそうですね。
田口 そう……そうだと思います。僕、今でも日本で一番好きなバンドはJAGATARAで、尊敬しているミュージシャンが江戸アケミさんなんですね。アケミさんの姿を見て、JAGATARAを観て、バンドをやりたいと思ったんです。やっぱり……かっこ悪いというか、アケミさんのヴィジュアルを見るとそのへんのオッサンみたいですよね。
--確かにそうですね(笑)。
田口 そのアケミさんが歌い出したときはものすごく衝撃を受けました。それまでのロックのバンドは、バンド名も横文字で、ヴィジュアルもかっこいいんですよ。世界同時多発的パンク思想という意味では、僕も彼らと志は一緒なんですけど、何か乗っていけないものがあったんですよ。そんなときにJAGATARAと出会って「これだ!」と思ったんです。かっこいいものは人に好かれるし、人が惹かれるのは当たり前だけれども、かっこ悪いものの中にこそ美を発見することの方が僕には合っているというような……うん、そんな感じがあった。そんな意味合いでJAGATARAは僕の中では本当にストライクだったんですね。歌詞も日本語だし、ダサくてかっちょいいという。そのリアルなサジ加減のヴァイブスにガツンと来たんです。
--ばちかぶり時代の田口さんにはステージでの嘔吐や脱糞という伝説的なパフォーマンスが残っていますけど、それはアケミさんの影響はあったんでしょうか?
田口 パフォーマンスに関してはアケミさんや(遠藤)ミチロウさんが真剣にやっていたことを、もう少しエンタテインメントにして見せたいという欲求がありました。踏襲しても勝てないと思い、ただ裸になったり、脱糞するのではなくて、ブラックな笑いとして、ギャクとして提示したんだけれども……誰も笑わず引かれました(笑)。
--なるほど(笑)。
田口 表現としては失敗という(笑)。ジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』でディヴァインが最後に犬のウンコを喰うという場面は笑いとして提示しているじゃないですか? そういう形のものを表現したかったんですけどね。
--エンタテインメントという視点はどういうところから生まれたんでしょう?
田口 パンクというのも、その時代が選んだオリジナルな大衆的エンタテインメントだと思うんです。エンタテインメントである以上、ただのマスターベーションでは、表現はいけないと思っているんです。マスターベーションを見せるのであってもツールとしての方法論が必要だと思っていて、それをきちっと通過できれば作品として人前に出せる。いろんな表現が時代時代にはあったし、僕もそれを見てきたし、自分も何ができるんだろうと悩んだりした中で、最終的には自己満足ではいけない、と。
(LB中洲通信2008年6月号)
--ばちかぶりが活動していく上で田口さんにとってJAGATARA(当時のバンド名は、暗黒大陸じゃがたら、じゃがたら)の影響が大きかったそうですね。
田口 そう……そうだと思います。僕、今でも日本で一番好きなバンドはJAGATARAで、尊敬しているミュージシャンが江戸アケミさんなんですね。アケミさんの姿を見て、JAGATARAを観て、バンドをやりたいと思ったんです。やっぱり……かっこ悪いというか、アケミさんのヴィジュアルを見るとそのへんのオッサンみたいですよね。
--確かにそうですね(笑)。
田口 そのアケミさんが歌い出したときはものすごく衝撃を受けました。それまでのロックのバンドは、バンド名も横文字で、ヴィジュアルもかっこいいんですよ。世界同時多発的パンク思想という意味では、僕も彼らと志は一緒なんですけど、何か乗っていけないものがあったんですよ。そんなときにJAGATARAと出会って「これだ!」と思ったんです。かっこいいものは人に好かれるし、人が惹かれるのは当たり前だけれども、かっこ悪いものの中にこそ美を発見することの方が僕には合っているというような……うん、そんな感じがあった。そんな意味合いでJAGATARAは僕の中では本当にストライクだったんですね。歌詞も日本語だし、ダサくてかっちょいいという。そのリアルなサジ加減のヴァイブスにガツンと来たんです。
--ばちかぶり時代の田口さんにはステージでの嘔吐や脱糞という伝説的なパフォーマンスが残っていますけど、それはアケミさんの影響はあったんでしょうか?
田口 パフォーマンスに関してはアケミさんや(遠藤)ミチロウさんが真剣にやっていたことを、もう少しエンタテインメントにして見せたいという欲求がありました。踏襲しても勝てないと思い、ただ裸になったり、脱糞するのではなくて、ブラックな笑いとして、ギャクとして提示したんだけれども……誰も笑わず引かれました(笑)。
--なるほど(笑)。
田口 表現としては失敗という(笑)。ジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』でディヴァインが最後に犬のウンコを喰うという場面は笑いとして提示しているじゃないですか? そういう形のものを表現したかったんですけどね。
--エンタテインメントという視点はどういうところから生まれたんでしょう?
田口 パンクというのも、その時代が選んだオリジナルな大衆的エンタテインメントだと思うんです。エンタテインメントである以上、ただのマスターベーションでは、表現はいけないと思っているんです。マスターベーションを見せるのであってもツールとしての方法論が必要だと思っていて、それをきちっと通過できれば作品として人前に出せる。いろんな表現が時代時代にはあったし、僕もそれを見てきたし、自分も何ができるんだろうと悩んだりした中で、最終的には自己満足ではいけない、と。
(LB中洲通信2008年6月号)
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