しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「酛摺り(もとすり)」 

2021年06月18日 | 銅像の人
場所・岐阜県飛騨市古川町  渡辺酒造

岐阜県高山市の北に「飛騨古川」という小京都の町がある。
もっとも高山が小京都なので、古川(ふるかわ)は、小小京都か小高山になる。
とにかく飛騨の匂いが漂う、魅力的な街並みがある。





水をはじめ自然に恵まれているので、酒造りも盛んな街。
古い町並みの中に「酛摺り(もとすり)」の像が建つ。
地元の渡辺酒造が、杜氏たちの苦労に感謝して建てたそうだ。





像には、司馬遼太郎が碑文を寄せている。
「杜氏殿の 心澄みゆき 魂きはる いのちの酛は 生まれ始めけり」








撮影日・2016年2月3日


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鵜匠の像

2021年06月18日 | 銅像の人
場所・岐阜県岐阜市 長良橋南詰


鵜飼いは神武天皇の時代、すでにあった漁法。
岡山県でも、夏なると新聞やテレビで「旭川の鵜飼いが始まりました」と報道されていた。
たぶん月見橋~京橋間のどこかで実施されていたのだろう。
(岡山に新幹線ができる頃には廃止されていたような気がする)

隣県の三次の鵜飼いも知られているが、やはり一番有名なのは”ぎふ長良川鵜飼”。
岐阜公園の長良川河畔の観光船の船の数がすごい。
いけどもいけども遊覧船が係船されていた。






(Wikipedia)

鵜飼漁をする人を鵜使いまたは鵜匠(うしょう・うじょう)と呼ぶ。
その装束は風折烏帽子、漁服、胸あて、腰蓑を身に着ける。
漁に用いるウの数は各地の鵜飼漁の規模や漁法によって異なる。
例えば、小船を用いた一般的な鵜飼においては、1人の鵜匠が5羽から10羽程度のウを一度に操る。
期はおおむね晩春から初秋にかけてであり、鮎漁の解禁日にあわせて漁が始まることが多い。
鵜飼いでは、平底の小船の舳先で焚かれるかがり火が、照明のほかにアユを驚かせる役割を担っている。
かがり火の光に驚き、動きが活発になったアユは、鱗がかがり火の光に反射することでウに捕えられる。
ウののどには紐が巻かれており、ある大きさ以上のアユは完全に飲み込むことができなくなっており、鵜匠はそれを吐き出させて漁獲とする。
紐の巻き加減によって漁獲するアユの大きさを決め、それより小さいアユはウの胃に入る。

鵜飼は通常5月半ばから10月半ばまでの満月の日以外に行われる。
満月の日に行われないのは、かがり火に集まってくるアユが月明かりに惑わされるのを防ぐためである。










撮影日・2011年8月5日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする