しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

二十四の瞳 (映画村)

2021年06月13日 | 銅像の人
場所・香川県小豆島町田浦  二十四の瞳映画村

戦後の日本人にとって、じつは国民こそが軍を支持していたという事実を忘れてしまいたい。
戦争では日本国民こそが被害者だったと主張する反戦映画が盛んに作られ、
そこには相手側のことは描かれなかった。



その意味でもっとも見事な表現が、1954年木下恵介監督の「二十四の瞳」にある。
最初楽園のような生活描写にあてられていて、これが素晴らしい。
まもなく学校が軍国調になってくるとそれが嫌な先生は教師を辞職してしまう。

そして戦後、生活のため復職した先生は往時を回顧してすっかり感傷的になる。
教え子たちが何人も戦死していたからである。







戦後に日本では、「二十四の瞳」に限らず、戦争を反省した映画がたくさん作られた。
その主流を占めていたのは戦争では日本人自身もひどいめにあったから、もう戦争は嫌だ、というものだった。
「真空地帯」「ひめゆりの塔」「きけわだつみの声」、そして数多くある特攻隊を扱った作品。
それらの作品に日本人は納得する。

戦争ではアジアの人々をひどいめにあわせた。
だから反省しなければならない、ということを主題にしている作品は滅多にない。
「戦争と平和」「嵐の中の母」「人間の条件」、そして日中合作「未完の対局」ぐらいだろうか。



大石先生は、軍国教育に手を汚さない。
傷痍軍人・磯吉の、戦地での殺し合いや非人道的な行動はスルーしている。

木下監督は、戦争相手国(中国)と合作で、「二十四の瞳」では表現できなかった映画を画していたそうだが、
残念ながら実現できずに亡くなった。






この映画は、日本映画史上最良の作品の一つであると評価している。
しかし、あとで考えると疑問も生じるのである。

戦死した教え子たちは、あの無邪気なあどけない少年のまま死んだのではない。
敵兵も殺しただろうし、なかには残虐行為をやったものもいたかもしれない。
まるで純真無垢のままに戦争の犠牲になっただけであるような錯覚が生じる。

先生自身、学校が軍国調になると退職して手を汚さずにすんだように、
これでは全く一般の日本人には戦争責任がなかったかのようである。

・・・

「二十四の瞳」はまだ国交もなかった時期に中国でも上映されているが、
有名な謝晋監督は、当時これを見て感動し、そして
戦争では日本人も被害者だったということがこの映画で分かって感動したといった。
すぐれた作品である。しかし
日本人としてはそれで涙を流しているだけでよかったのか。


「映画の真実」  佐藤忠男  中公新書 2001年発行





撮影日・2007年5月3日

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横綱・琴桜

2021年06月13日 | 銅像の人
場所・鳥取県倉吉市東仲町








二所一門の大横綱の大鵬さんから、「さくら、さくら」とかわいがられ、猛稽古で横綱になった琴桜。
遅咲きで、比較的短命の横綱だったが、
立ち合いの”ぶちかまし”で押し出す相撲は”猛牛”と呼ばれた。


この猛牛は名とは正反対に、容ぼうが温厚で知的な雰囲気のお相撲さんだった。






以下は、

【倉吉市のHP】

前佐渡ヶ嶽親方(第53代横綱「琴櫻」)は倉吉出身で、その偉業を称え銅像が造られました。
郷土をこよなく愛し、春恒例の「桜ずもう」には佐渡ヶ嶽部屋の力士とともに参加しており、名誉市民に選ばれています。

1940年11月26日生
鳥取県東伯郡倉吉町鍛治町出身
身長182cm、体重150kg
倉吉町の借家地で、警察官の子として生まれました。
警察官の父より柔道を仕込まれ、中学生では段位を認めてもらうほどの腕前でした。勧誘され、佐渡ヶ嶽部屋に入門しました。

1959年一月場所に初土俵、1963年三月場所にて新入幕を果たしました。強烈なぶちかまし、のど輪で一気に攻める押し相撲を得意とし、「猛牛」との異名を取りました。
1967年九月場所後大関昇進。
1968年七月場所幕内初優勝。
1973年一月場所後第53代横綱へ昇進。幕内最高優勝5回。
1975年2月1日に引退相撲が開催されました。
引退後は親方として、琴風、琴ノ若(現・佐渡ヶ嶽部屋親方)ら多くの力士を育て、合計24人の関取を育てるなど、相撲の普及、後進の育成にも情熱を注ぎました。





撮影日・2020年10月13日


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孝子像(笹川良一)

2021年06月13日 | 銅像の人
場所・岡山県倉敷市児島  児島競艇場「孝養の像」








戦後は競艇と寄付金活動で有名な笹川良一氏の像。
特にTVCMの大相撲高見山との、『戸締まり用心、火の用心』『一日一善』は有名。
寄附の分野では、
岡山県の旧衆議院2区の選挙区内には「B&G海洋センター」のプールが、ほぼ全市町村にある。
誘致には加藤六月さんが尽力したと噂される。






母82歳で59歳の息子が背負って金毘羅詣りの像。
多分、全国のボート場にはすべて、この像は立っているのだろう。

「世界は一家、人類は皆兄弟」





撮影日・2018年2月17日


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