しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

中国地方の子守歌像

2021年06月14日 | 銅像の人
場所・岡山県井原市高屋町 子守歌の里高屋駅前






管理人の妻は井原市下出部町の出で、井原市高屋町は隣町。
その妻に、「(自分や妹・弟が)中国地方の子守歌を唄ってもらっていたか」聞いてみると、
「まったくない。そもそもその歌を知り、高屋の歌であることを知ったのが20歳を過ぎてから」という返事だった。

ついでに義母の話、「(子育てを終えて、いつか)テレビの番組で紹介されて初めて知った」。

再び妻の話、
「(井原市内の病院で出産した)病院の壁に「ブラームスの子守歌」と「中国地方の子守歌」が貼ってあった。
それを見て、自分の子には中国地方の子守歌を唄うことがあった」。



通称「高屋駅」は、正式名称は「子守唄の里高屋駅」。
駅前には子守歌像もある。

井原市内の文化祭や芸能祭、そのほかイベントにはよく行くが、
「中国地方の子守歌」を唄ったり、演奏したり、会場へ歌が流れる、そんなことを経験した思いは一度もない。

歌詞も曲もいい歌なんだが、”子守歌の里”とまで自称するのは、少し違和感を感じるな。






「歌がつむぐ日本の地図」  帝国書院  平成25年発行

中国地方の子守歌

詞・曲 不詳  編曲 山田耕作  昭和3年

東京音楽学校を出たばかりの作曲家志望の青年が、名声高かった山田耕作を訪ねた。
”ねんねこしゃっしゃりませ 寝た子のかわいさ”。
山田の前で独唱したのは、彼の郷里で歌い継がれてきた子守歌だった。
これが名曲「中国地方の子守歌」が世に出たきっかけである。
後に音声家となった上野耐之は、井原市高屋町出身。
高屋町には、「子守唄の里高屋」駅に子守歌記念碑があるほか、
歌詞や案内板が置かれた子守歌ロードも整備されている。




撮影日・2021年6月10日


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島原地方の子守歌像

2021年06月14日 | 銅像の人
場所・長崎県島原市  島原駅前


長崎県には一度も行ったことが無かった。
2012年に初めて行った。
着いたのは島原だった。
熊本港から船で島原港に行き、島原市に1泊、島原線に乗って去った。


島原市は雲仙岳、島原城、温泉、湧水群、どれも興味深かった。
なかでも、水路と武家屋敷は予想していたとおり趣があり、特に満足した。


(島原武家屋敷)






島原を去ろううと島原駅に行くと、
駅前に赤ちゃんをおんぶした銅像が立っていた。



おどみゃ島原の おどみゃ島原の
梨の木育ちよ
何の梨やら 何の梨やら
色気ナシばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい
鬼の池 久助(きゅうすけ)どんの 連れんこらるばい




(正面に島原城天守閣、背後に雲仙普賢岳)



民謡は、古くから伝わるので歌詞が方言で、ことがば難しい。
この歌は五木の子守歌のように貧困の歌のようである。
この”久助どん”とは女衒(ぜげん)の人のこと。
女衒は戦後、職業として消滅した。


女衒が歌詞に登場するとは・・・・。
生まれながらの悲しい環境下の親や赤ちゃんを唄っている。
絶望するような意味の子守歌だ。




(島原鉄道)



撮影日・2012年5月8日

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