しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

相方城の城門(現存する関ケ原以前の三城門)

2023年11月30日 | 【史跡】を訪ねる

場所・広島県福山市新市町戸出「素盞嗚神社」
訪問日・2023.11.29

 

(相方城城門・西門)

 

何年か前に”現存12天守”といった言葉ができた。
天守閣といっても弘前城や丸亀城は「御三階櫓」と呼ばれていたし、
備中松山城に至っては櫓よりも小さく、大きな古民家といった感じ。

天守閣や櫓と比べて地味な城門だが、広島県の芦田川の絶壁上に築かれた相方城には、石垣の遺構が残り、城門は移されて残っている。
昨日、イチョウを見に喧嘩祭で知られた「素盞嗚神社」に行き、
併せて城門を見学してきた。

相方城城門は関ケ原以前の城門では、日本に三つしか残らないうちの二つの城門であるそうだ。

 

 

(相方城城門・西門)

 

 

相方城城門
当神社境内には、相方城の城門二棟と櫓一棟が伝えられている。
櫓は、一九七〇年代に 火災により消失した。
城門二棟のうち、比較 的保存状況の良い、東側の門について解説する。
城門に関する史料がないので、建築年代の確定はできないが、 建築様式と部材の風化状態から十六世紀末から十七世紀初と推定される。
城門の形式は、三間一戸の切妻造の薬医門で、装飾の少ない簡素な意匠になる。
鏡柱本柱は、城門に定型の五平柱であり、柱上に冠木を渡す。
後方の控柱は角柱とし、二股の貫で本柱と繋ぐ。
この城門は、高麗門が普及する以前の薬医門であることから、
現存する関ケ原の戦い (一六〇〇年)以前の城門は当地の二門と島根県益田市にあるのみで、貴重である。

新市町教育委員会
新市商工会青年部

(相方城城門・東門)

 

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御堂筋にWパレードを見に行った 2023.11.23

2023年11月24日 | 令和元年~

7年前、広島の平和大通りに「広島カープ」の優勝パレードを見に行った。
その日は快晴で、びっしり沿道を埋めたファンの熱気が楽しかった。
それで、もう一度プロ野球の優勝パレードを見に行きたいものだと思っていた。

 

(オリックス1号車のラ王)

(オリックス1号車の、首位打者頓宮。備前市伊部のお隣さん山本由伸投手は欠席で残念)

 

 

今年はオリックスと阪神のパレードがあると、兵庫県と大阪府から発表があったので、即(天気さえよければ)見に行こうと決めた。

 

(オリックス2号車)

 

(オリックス3号車)

 

 

2023年11月23日の御堂筋の優勝パレードは天気にも恵まれ、風なく、温暖。
名物の銀杏並木は紅葉真っ盛り。

 

・・・

(阪神1号車)

 

御堂筋が真っ盛りなのはイチョウだけでなく、オリックスと阪神ファンの人の波もそうだった。
人、人、人、・・・・・・。
パレード1時間ほど前から、人が幾重に、前に後ろに、右に左に連なった。

広島のパレードで経験していたので、混雑は予想の内ではあったが、
なにせ商都・大阪と、中四国最大都市・広島とでは、まったく比較にもならなかった。

約5時間の間、移動なく、トイレなく、食事なく、立ちっぱなし。
(地面やイスに座るのは禁止)
終わったときは、へろへろになって、終わったことにほっとした。

 

(阪神2号車)

 

しかしパレード後の移動は可能になったが、当然のことながら前に進むのが遅く、帰りの新幹線指定席の切符はパー。
新大阪駅で握り飯を二つと缶ビールを買って、それを昼飯にしながら、1時間遅れで笠岡に帰ってきた。


少し疲れたけど、面白く、楽しい経験をすることが出来た。

 

(阪神3号車)

 

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新幹線のワゴン車

2023年11月24日 | 無くなったもの

無くなったもの・新幹線のワゴン車販売(但しJR東海の東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」に限定)
無くなった日時・2023年10月31日。
撮影日・2023年11月23日(みずほ・岡山駅~新神戸駅間)

岡山駅から新大阪駅に、新幹線「みずほ」に乗っていたら後方からワゴン車が来た。
あれ?
新幹線のワゴン車販売は既に無くなったんではなかったかな?
と思っていたら、前方の席の人が何か飲み物のようなものを買ってスマートホンで支払っている。

家に帰って調べると、
全ての新幹線でなく、JR東海の東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」に限定だった。

 




逆にいえば、
ワゴン車販売を続けているのは、新幹線でも山陽・東北・上越・北陸などの一部の列車だけだそうで、
北海道、九州ではすでに車内販売をやめている。


20年ほど前は、ワゴン車が前から来るか、後ろから来るか、いくらか楽しみだった。
今は新幹線に乗車する前に、駅構内でビールや弁当や土産物を買うのが普通になっている。
それ以前は、タバコは車内で吸いまくりという時代もあったし、
食べ物は、食堂車やビュッフェもあった。
それらはもう、ひと昔かふた昔のお話となった。

 

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松永のゲタリンピック

2023年11月11日 | 無くなったもの

場所・広島県福山市松永町
無くなった日時・2019年9月15日 (中止決定は2023.11.10)
撮影日・2019年9月15日 


コロナで中断していた松永のゲタリンピックが、コロナが落ち着いた今年も開催されなかった。
そして2023年11月10日、イベント自体の中止が発表された。

中国新聞によると理由は経費節減で、
「約30年の歴史に幕」だそうだ。

 

 

お祭りはJR松永駅を降りると、すぐ目の前からはじまっていた。
松永地区の高校生と福山大学の学生が主役のような感じで、
若々しく楽しいイベントだった。

 

 


お祭りが無くなるのは寂しいけれど、
考えてみると「下駄」も「ぽっくり」も履く人を見ないし、
松永湾名物・名所だった貯木場もすっかり縮小の様子になってしまった。

 

 

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笠岡でよお見る図柄ナンバープレート

2023年11月09日 | 令和元年~

ご当地ナンバーとか、図柄ナンバーとか呼ばれている、

デザイン付きのきれいなナンバープレートを町中でよく見る。

 

・・・

笠岡では、下記の三つを特によく見る。

 

 

カブトガニのカブニくん

(笠岡市HPより)

車でなく、単車のプレート。

 

 

広島カープのカープ坊や

(福山市HPより)

福山や備後地区でなく、広島県全域のプレートだそうだ。

 

 

鶴形山の「阿知の藤」、

と思っていたが、それは間違い

日本全国の花

 

そういうことで、

倉敷地域が対象でなく、北海道から沖縄まで日本全国が対象。

 

・・・・・・・

 

料金

無地のプレートに比べ、(福山市の場合)
車の前後2枚分で8.620円。それにプラス地方行政への寄付金が1.000円以上必要となる。

 

・・・・・・・

 

ところで、昨日福山市神辺町を運転していたら、前の車が

今まで見たことのないナンバープレートをしていた。

 

(番号は加工しています)

信号待ちの時に写した。

帰って家で調べると、「大阪万国博覧会」の図柄ナンバープレートだった。

 

阪神地域では、珍しくなのだろうが、

逆に阪神地域以外では「大阪万国博」に関連しては、誰も、何も、あんまり興味も関心もない。

”70年万博”は二度見に行ったが、夢も希望も興奮もあった。全レコード会社による歌もあった。

今回のはなんもない。

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まごころの湯

2023年11月09日 | 無くなったもの

場所・広島県福山市千田町
無くなった日時・2023年8月31日 
撮影日・2015年12月17日 

 

2023年11月8日、神辺の城跡と宿場町を歩き、程よく疲れたので「グランの湯」に行くと
運悪く閉店日だった。(11月は8.9日が休日)

それでは、と、まっさきに浮かんだのが千田の「まごころの湯」だったが、
おお、そうだ、
「まごころの湯」は2ヶ月前に閉店したんだ。

「まごころの湯」は国道沿いにあり、料金も普通で、便利な温浴施設だった。
2015年頃、大衆芝居も興行する「夢の湯」から、
芝居を止めて「まごころの湯」で開業した。
あらから8年ほどで今回の閉店となってしまった。

 

 

・・・・

「まごころの湯」から3~4km圏内に、「蔵王温泉ヘルス共和国Z」「西光寺温泉」「グランの湯」
と計4つの湯があったが、残るのは「グランの湯」だけになった。

 

 

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醤油屋さんの倉庫

2023年11月08日 | 無くなったもの(笠岡市)

場所・岡山県笠岡市吉田 
無くなった日・2023年11月初め
撮影日・2014.6.14 

 

「醤油屋さんの倉庫」と呼ばれていた倉庫が、今月突然のように消えていた。

すぐ前を旧・井笠鉄道が通り、その線路跡は現在県道笠岡・美星線となり、日常よく通っていた。

存在感のある倉庫だった。

 

 

「醤油屋さんの倉庫」は映画にも登場している。

大映映画「花の講道館」で、当時日本一の美人と言われた山本富士子が、汽車で東京へ旅立つ長谷川一夫を泣きながら見送る娘役だった。

 

この付近を山本富士子が歩き、

山本富士子と、「醤油屋さんの倉庫」と、蒸気機関車が映画に登場している。

 

 

吉田の名所がまた一つ消えた。

 

 

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デパートの屋上遊園地

2023年11月08日 | 失われた仕事

福山の天満屋が、木造から白い四階建ての近代ビルに替わり「スワン」と呼ばれた。
その屋上には福山駅からも、屋上に何か遊具のような、楽しそうな施設が見えていた。

しかし農村育ちの管理人にとっては、
遊具と言えば学校にあるブランコやギッタンバッタンしか知らなかったし、使ったこともなかった。
とても天満屋の屋上で遊ぶという発想も願いもなかった。

高校卒業の春、福山市の高校へ通う友と福山に遊びに行くと、
”いつも普通”といった感じで、天満屋の屋上に行った。
友は食堂に入り「オムライス」を注文した。
その時、自分も真似をして「オムライス」と言った。
それが生まれて初めて食べる「オムライス」だった。
食堂のガラス窓から、すぐ前にメリーゴーランドなどが見えていた。

・・・・

当時全国の百貨店の、ほぼすべてに屋上遊園地はあったと思える。
今は減って2023年10月現在、5店舗だそうだ。
現在屋上遊園地どころか、百貨店そのものが長い冬の時代が続いている。

 

・・・

「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和 グラフィック社 2020年発行

屋上遊園

デパートの屋上に設置された娯楽空間は、
百貨店がそれまでの木造の建物から高層ビルに建て直された時に生まれた。
はじめは、
そこから眺めを楽しむことじたいが娯楽だった。
それ以前は、山や丘のような自然の高地に登るしかなかった。
百貨店は出入り自由、
入場料はとられない、屋上に行くのも自由、
楽しんで帰っても金はかからない。
大食堂で食事をしたりすれば、経営者の思うつぼ。
そこをねらって、
屋上には草花、遊具、観覧車、コースター、豆電車もあった。

・・・


「失われゆく娯楽の図鑑」  藤木TDC グラフィック社 2022年発行

屋上遊園地


昭和40年代、子どもたちはデパートで遊んだ。
ゴーカートに乗って遊びまくった場所は、今や跡形もなくなっている。

デパートに必ず存在し、
観覧車やゴンドラ、ゴーカート、ミニ電車などで大いに遊んだ。
百貨店の売り上げ減と、消防法改正で屋上の半分を避難場所にする、
ことなどで絶滅に拍車をかけた。

・・・

朝日新聞Web 2023.11.7

百貨店の「屋上遊園地」が各地で姿を消しつつある。朝日新聞の調べでは、
今も営業をしているのは、松坂屋高槻店、松坂屋名古屋店、大和香林坊店(金沢市)、いよてつ高島屋(松山市)、浜屋百貨店(長崎市)の五店舗。

・・・

 

 

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機関士

2023年11月08日 | 失われた仕事

城見小学生の時は、交通事故=踏切事故で、(つまり自動車事故はなかった。車がないので)
校長先生の校庭での全員朝礼でも、ほぼ毎回踏切注意を言っていたような気がする。

茂平の子どもは学校へ行くときと、帰るときと、最低でも二度踏切をわたる。
当然のことだが、踏切小屋も遮断機も信号も、何もない。
勿論のことだが、父兄や緑のおばさんのような大人の付き添いもない。
踏切に立っていると、巨大な機関車が轟音と蒸気と煙を吐いて通るのは怖いほどだった。
母もたまに「アメリカ屋の前の踏切を渡るのは気をつけにゃあいけん」と経験談を言っていた。

その怖い踏切では、機関車の機関手と機関助手が見えた。
凄いスピードで通り過ぎるが、近いので顔が見えた。
機関手も機関助手も顔から汗が噴き出ていた。
機関助手は、前と後ろに顔がピストンしていた。
後ろを向いてスコップに石炭を入れ、前を向いて釜に投げ入れる。絶え間なくの繰り返し。

機関車の人と話すことはないが、非常に身近な存在の職業だった。
山陽本線の大門駅~笠岡駅間の蒸気機関車は、中学2年生の頃に突然消滅した。
蒸気機関車からジーゼル車に変った。それから1年するかししないうちに電化された。

 

・・・


「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行

ボイラーに石炭を投げ込む係を機関助士という。
そして蒸気の力でシリンダーを動かして車輪を回転させる。
蒸気の力をたくみにコントロールしながら機関車を操縦するのが機関士である。
機関士・機関助士はかなりの重労働だった。
ボイラーの高温と、シリンダーの振動という過酷な環境のなかで、
ひたすら蒸気のコントロールに神経を使い続けなければならない。

機関士は重い石炭をシャベルですくって火室内にまんべんなく投げ込む作業を何度も何度も繰り返す。
更に上司にあたる機関士から指導や叱責にも耐えなければならなかったという。

・・・

・・・

「昭和の消えた仕事図鑑」  澤宮優  原書房 2016年発行

蒸気機関車(機関士・機関助士)

トンネル
命がけの走行
トンネルを通過するのに5分ほどかかることがある。
そのため密室状態の坑内で煤煙を吸い、
機関士・機関助士ともに意識を失う事故があった。
また亡くなった機関士の肺をみると、
煤煙を吸い過ぎて真っ黒になっていたというのもしばしばだった。

・・・

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紙芝居屋

2023年11月03日 | 失われた仕事

 

茂平の観音堂の前に、紙芝居のおじさんが来ていた。
料金は5円か10円だった。
お金をわたすと棒がついた飴玉をくれた。
それをねぶりなら、おじさんが話す紙芝居を見ていた。

見物人は10人前後で、繁盛している様子はなかった。
紙芝居は、物語の途中で終わり
「つづきは次に来たときに」
で終わりだった。

紙芝居のおじさんは、話し方がとても上手で、
特に顔の表情がおもしろかった。
紙芝居よりも、おじさんの顔を見ている方がおもしろかった。

紙芝居屋さんは特に興味もないし、見てみたい気もなかった。
たぶん、代金が安いので親が金をくれたのだろう。
興味がないと言うのは、
「紙芝居」は小学生が見るものではない、と自分では思っていた。
あれは、小学生になる前の園児や幼児が見るものと思っていた。
実際、保育園では先生(保母さん)のする紙芝居は大きな楽しみだった。
しかし、小学生になって紙芝居に縁はまったくなくなっていた、
どうして?なんで?
小学生が紙芝居を見るのだろう?
今になっても不思議な思いだ。

 

 

・・・

「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行

紙芝居屋


紙芝居屋さんになるには、
まず自転車を用意する。
紙芝居協会というようなところから、絵と道具を借りる。
道具とは、
拍子木もしくは太鼓。
それから紙芝居用舞台。木製が多い。
それからお菓子の問屋さんでアメちゃんを用意する。
これでほぼ完成。

多くは数話でお話が成立する。
毎回同じ場所へやってきては、いいところで「次回へ」つなぐ。

先行投資の要らない紙芝居屋は、とっつきやすい商売だったという。

・・・


「昭和の仕事」  澤宮優 弦書房 2010年発行

紙芝居屋

紙芝居は、昭和5年から始まったという。
一人で出来るので、
テキヤの手にわたり、縁日、祭礼で子供相手に演じられるようになった。
街頭の紙芝居は昭和35年頃まであったが、
テレビにとって代わられ消滅の道を辿った。


・・・

 

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