場所・岡山県倉敷市茶屋町
今では信じられないだろうが、
家で飲む水も、工場で使う水も、昭和30年代は井戸水を使っていた。
ところが井戸を掘っても、水量が少ない地域や、塩分が多くて飲めない地域も多くあった。
水汲み仕事は大変だが、
塩分の多い地域は、それに加え水を溜める仕事があった。
都窪郡茶屋町は児島湾の新田で、塩辛い水しか湧かなかった。
姫井繁次町長は
水道を敷設すること、
高梁川の水をつかうこと、
それを大正時代に提唱し、実現させた町長さん。
英明な町長だと思う。
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記念碑
本町は元来干拓地で適当な飲料水がないため町民は砂ごしの川水 天水を用い
後には井戸を掘ったり担い水を買いなどして飲料としたが飲料水確保の根本的な解決とならず、
伝染病やジストマ患者が続出し町民の日常生活の不安は年とともに深刻になったのである
大正中期姫井繁次氏はこの情勢に鑑み、町長に就任 上水道敷設を提唱
水道常務委員会を組織して委員諸氏ともに日夜その実現に奔走し
早島町と提携 水源を高梁川に求め上郷六か町村の協力を得て準備十年
昭和五年一月起工四十数万円の巨費を投じ翌年十月工事を完了したのである
その後歴代関係者は熱心に維持管理に努力し中途倉敷市早島町とともに備南上水道配水組合を作り
これより町上水道事業は独立して来たが需要の増加と施設の老朽化のため既設送配水管の整備改良を企画して
昭和三十三年一月着工総工費七千数百万円を投じ
昭和三十七年秋待望の大工事を完成したのである。
ここに本町上水道敷設三十周年迎えるに当り 記念碑を建て功労者各位に感謝の意を表する次第である
昭和三十七年十一月二八日 茶屋町
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訪問日・2012.2.17