場所・愛媛県大洲市大洲「大洲城」
大洲城の石垣の麓に大洲市民会館があり、
その市民会館の駐車場の片隅に銅像が建っている。
台座に「毛利松平像」と刻まれている。
そういえば、そういう政治家がいたなと、家に帰ってネットで調べると
↓下記のような経歴の人だった。
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データベース『えひめの記憶』
毛利松平(1913~1985)
衆議院議員、第二次田中内閣環境庁長官。
大正2年7月16日、西宇和郡三机村大江(旧瀬戸町)で生まれた。
大洲中学校から慶応義塾大学法学部政治学科に進み、昭和13年に卒業した。
南満州鉄道に入社して撫順炭鉱に赴任、労務課長として大学時代からの夢であった〝大陸日本の建設〟に取り組んだが敗戦で挫折した。
帰国後、政治を志し27年10月の衆議院議員選挙に第2区から改進党公認で立候補して落選、以後28年4月、30年2月と計3回苦杯をなめた。
この間、不屈の精神とたくましい行動力で支持層を拡大、33年5月の第28回選挙で初当選して念願の衆議院議員になった。
以後、55年6月の第36回選挙まで9回連続当選した。
その間、外務政務次官、衆院大蔵委員長、自民党副幹事長、党県連会長などを歴任、
地元南予の水資源開発、南レク、道路整備などの事業推進に尽力した。
49年第二次田中内閣の環境庁長官に就任した。
豪放らい落な性格で武道をよくし、柔道七段、空手、合気道も高段者で武道館理事長、極真会会長を務めた。
58年2月25日勤続議員の表彰を受け、同年秋には勲一等瑞宝章を受章し、同年末の衆院選を機に健康上の理由で勇退、59年県功労賞を受けた。
これを記念してこの年12月出身地の瀬戸町役場前庭に胸像が建立された。
昭和60年5月24日、71歳で没した。
(『愛媛県史 人物』より)
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出生地の三机は佐田岬半島のほぼ真ん中にあり、地は良湾として知られ、真珠湾攻撃の潜水艦の訓練基地となったところ。
三机にとっては大洲よりも八幡浜の方が中心地だが、八幡浜にも氏の銅像があるのだろうか。
訪問日・2025年3月31日