場所・愛媛県今治市通町「今治城吹揚公園」

日本の造船は「戦艦大和」などの造船技術があり、戦後は巨大タンカーや貨物船で世界一の造船国家になった。
海軍とともに歩んだ三菱や石川島や川崎が日本と世界を代表していた。
その後、巨大船を大手会社が造る事よりも、大型船を中堅企業が造る方に移行し、
小説でも、来島ドックを柴田錬三郎(シバレン)が「大将」で面白く描いた。
その後、造船大国ではなくなったが瀬戸内海地方では基幹産業として頑張っている。
特に「しまなみ」沿いには造船所のクレーンがいたるところで見える。
それらの代表が「今治造船」。
今治造船は、いまや日本最大の造船メーカー。
その今治造船の社長を長く勤め、業界発展や、地域貢献の人が「檜垣俊幸」氏。
氏は小学校を卒業してすぐ、稼業の造船所で働き始め日本一の造船会社に育てた。
氏の銅像は今治を代表する名所、今治城の、大手門の前に建っている。
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台座の銘板に氏の功徳を称えた記述を写す。
今治市名誉市民 桧垣俊幸翁
桧垣俊幸氏は昭和3年、造船業を営む父正一、母ハルヨの三男として小浦町に生まれた、
幼少よりの夢、船造りを志いて14歳で今治造船株式会社に入社、造船業に身を投じられました
来全霊を傾注し、不暁不屈精神で「船造り一筋」に歩まれ、建造量日本一の「今治造船グループ」を築き上げられました。
この間、社団法人日本造船工業会副会長、今治商工会議所会頭など業界団体の要職を歴任され、
永年に亙り造船海運業の発展並びに県勢・市勢の進展、地域経済・商工業の振興に尽力されました。
時に、平成6年に開催された今治城築城・開町四百年祭では、請われて実行委員会会長に就任され、
藤堂高虎公の銅像建立、今治城鉄御門の再建等、余人をもって成し得なかったであろう数々の大事業を完遂されました。
また、今治市と越智郡11町村の合併に際して、委員として難題解決に尽力され、他に類を見ない海事産業が集結する「海事都市今治」の誕生に貢献されました。
83歳を迎え、愈々ご壮健で尽きることのない船造りの夢を追い求める氏の偉業を顕彰すると共に、
「海事都市今治」の限りない繁栄を願いこの像を建立いたします。
平成23年4月吉日
社団法人日本造船工業会 会長 元山登雄
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訪問日・2025年3月31日