しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

福山空襲遺跡・目標地点

2015年08月28日 | 昭和20年(終戦まで)
「福山空襲と戦時下のくらし」福山市人権平和資料館より引用する。


死者・354名、傷者数864名、焼失家屋10179戸、被災人口47.326人。

空襲目標は、
1・川西航空機(三菱電機)の工場
2・住宅密集地
3・陸軍歩兵41連隊
4・帝国染料(日本化薬)

であったが、
東深津、手城、引野、春日(宇山)、御幸町、千田、熊野、水呑などにも焼夷弾を投下している。


※管理者
目標地点外で投下されたのは、灯りが漏れていた為だろう。
機銃掃射では岡山県の茂平が入っているが、空襲では岡山県北木島は載っていない。

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福山空襲・福山海軍航空隊とその周辺区域

2015年08月27日 | 昭和20年(終戦まで)
海軍の飛行場があった大津野村には何度か機銃掃射を受けているが、
では正確に、何月何日でどうゆう攻撃で、どのような被害があったのか?
といえば不明だと思っていたが、以下

「福山空襲と戦時下のくらし」福山市人権平和資料館より転記する。

福山海軍航空隊への攻撃は3月19日が最初であり、艦載機と陸上機の攻撃を受け20機以上の水上練習機、施設が損害を受けた。
また米軍機密資料から、鞆・走島・宇治島・北木島付近の海面に多数の機雷を投下している。


「吉備製陶合資社」の跡地(笠岡市茂平)
茂平海岸にあった吉備焼き登り窯を軍事施設と見たためか、機銃掃射を受けた。





航空隊水上機の係留場所(笠岡茂平)
茂平海岸は遠浅で水上機を分散疎開係留していたため、銃撃を受けた。




※管理人記・茂平が二ヵ所機銃攻撃を受けたことになっているが、「航空隊水上機の係留場所(笠岡茂平)」の写真は吉備焼きの海岸を使っている。
いずれにせよ、茂平が・・・すくなくとも吉備焼き・・・攻撃を受けたのは事実のようだ。


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女性の再婚・再再婚

2015年08月13日 | 昭和16年~19年

大正生まれの母はよく「同級生の半分近くが再婚しとる」と話していた。
世にも稀な「姦通罪」がある国に、戦国女性のように再婚、再再婚が茶飯事であったことに驚く。
史料は入籍の有無しかないので実態がつかめないし、この事に関する本の有無もしらない。


郷土史本から関連記事を転記する

「フゴを売る」 金光町史

嫁は姑に対して絶対服従を求められ、もし逆らったりすると家風に合わぬと言われる。
財布を握っていたのは姑であり経済的に不自由であった。
「10年ひと辛抱」という言葉にあるように、花嫁は好きなものも買えなかった。
主導権を握るまで辛抱すればよいが我慢しきれない時は、婚家に黙って実家に帰ることがあった。
この事を「フゴを売る」といった。
女は一度嫁いでから離婚すると世間は「きずもの」といって差別するので辛抱していた。


「フゴを売る」鴨方町史
姑との折り合いが悪い、仕事がきつくて辛抱できないなどの理由で、嫁が「フゴを売る」ことがあった。
嫁が当座の着替えをもって、婚家に無断で里に帰ることをいう。最悪の場合は仲人に出てもらい相応の話をつけたのである。



金光・鴨方町史とも「フゴを売る」話しか書かれていない。
母の話では嫁の意思で婚家を出る人よりも、婚家から追い出されるケースの方が多い。
①(夫よりも)舅・姑との折り合いが悪い。②結婚して1年以内に子供ができな③夫が戦死により婚家を出る。

①②の離縁は女性の人権を無視したものだが、管理人が子供の頃はその名残のある家は確かに多かった。
③は戦争世代の婦人に限られる、やむをえない。

婦人の再婚は現在とは比にならない程多かったが、もはや実態をつかむことは不可能になっている。


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